第19話 同居人
第19話 同居人
その日の午後。
冒険者ギルドで満員列車の警備依頼について報告を済ませたジンたちは、大通りを歩いていた。
「囮役までやったのに、追加報酬が金貨十枚だけとは納得できないニャ」
ニーニャは不満そうに頬を膨らませる。
列車内で着ていた白いシャツと黒いミニスカートのままで、普段使っている認識阻害の仮面も身につけていない。放電の影響で膨らんでいた髪と尻尾は元へ戻ったが、先程も尻尾の先から小さな火花が弾けていた。
「乗車賃も無料だったでしょう」
隣を歩くクロエが平然と答える。
「アンタは安全な場所にいただけだニャ!」
「最後に犯人を捕まえたわ」
「私が感電させなかったら、見つけられなかったニャ!」
「報酬の分配を変えたいのか?」
先を歩くジンが振り返る。
「それとこれとは別だニャ。三等分でいいニャ」
「現金ね」
「アンタにだけは言われたくないニャ!」
二人の言い争いを聞き流しながら、ジンは人通りの多い大通りを進んでいく。
そのときだった。
前方から蹄の音が近づいてきた。
通行人が道の両脇へ避けるなか、二頭立ての豪華な馬車が走ってくる。磨き上げられた黒い車体。その扉には、翼を広げた銀狼の紋章が刻まれていた。
「ニャッ!?」
紋章を見た瞬間、ニーニャの犬耳が真っすぐ立った。
エスカトール侯爵家の馬車だった。
「どうした?」
「な、何でもないニャ!」
ニーニャは慌てて顔を伏せる。
家族には騎士学園の入学試験を受けたことも、冒険者として活動していたことも話していない。
聖魔の儀へ参加した結果、犬の悪魔と融合してしまったことも当然知らなかった。
突然生えた犬耳と巨大な尻尾をどう説明すればよいのか分からず、ニーニャは屋敷へ戻れないまま宿屋で暮らしている。
普段なら認識阻害の仮面で顔を隠せる。だが、今日は列車の囮役を終えた直後の服装で、仮面は荷物の中だった。
「顔を見られたら終わりだニャ……!」
ニーニャが小声で呟き、ジンの背後へ回り込む。
「何をしている?」
「少しだけ壁になるニャ!」
「意味が分からない」
「いいから動かないでほしいニャ!」
ニーニャはジンの黒いロングコートへ顔を押しつけるようにして隠れた。
大きな尻尾だけが隠し切れず、コートの脇から飛び出している。
クロエは慌てふためくニーニャを眺め、意地の悪い笑みを浮かべた。
そして、ジンには聞こえない声で囁く。
「そんなに隠れなくても、今のあなたをエスカトール侯爵令嬢だと思う者はいないでしょう」
「それでも、顔を見られたら分からないニャ!」
「何を話している?」
ジンが振り返ろうとする。
「何でもないニャ!」
ニーニャはジンの背中を両手で押さえ、前を向かせた。
馬車が三人の横を通過する。
その瞬間、窓を覆っていたカーテンが僅かに開いた。
中にいたのは、ニーニャが幼い頃から知る侍女だった。捜し人を求めるように、通りへ視線を巡らせている。
侍女とニーニャの目が、一瞬だけ重なった。
「…………」
ニーニャの身体が硬直する。
だが、侍女は不思議そうに首を傾げただけだった。
赤褐色の髪と顔立ちは似ている。それでも、犬耳と巨大な尻尾を持つ獣人の少女が、行方不明になった侯爵令嬢本人だとは考えもしない。
馬車は速度を落とさず、大通りの向こうへ走り去った。
「た、助かったニャ……」
ニーニャはその場へしゃがみ込み、安堵の息を吐く。
「犬耳と尻尾が役に立ったわね」
「複雑な気分だニャ……」
「あの馬車に、知り合いでも乗っていたのか?」
「た、他人の空似だニャ!」
ニーニャの尻尾が不自然に左右へ揺れる。
「質問の答えになっていないぞ」
ジンは疑わしそうに見たが、それ以上は追及しなかった。
クロエはそんな二人を眺めた後、何かを思い出したように口を開く。
「そういえば、ジンの家はこの近くなのよね?」
「ああ。ここから歩いて十五分ほどだ」
「一人暮らしだったかしら?」
「そうだ」
「屋敷は広いの?」
「無駄に広い。使っていない部屋の方が多い」
クロエの黄金色の瞳が細められる。
「それなら、私たちも住ませてくれない?」
「ニャ!?」
立ち上がりかけていたニーニャが、再び体勢を崩した。
「私たちって、私も入ってるのかニャ!?」
「あなたも宿屋暮らしでしょう。いつ家族に見つかるか分からない宿より、ジンの家の方が安全よ」
「だからって、男の家に泊まるなんて……!」
ニーニャの頬が赤くなる。
侯爵令嬢である彼女には、家同士が決めた婚約者がいる。家出中に別の男の屋敷で暮らしていたと知られれば、間違いなく大問題になる。
だが、犬耳と尻尾が生えた今の姿で予定どおり結婚できるのかも分からない。
そもそも、家が望む結婚を受け入れるつもりなら、騎士を目指して家出などしていなかった。
(私は騎士になるんだニャ。もう婚約なんて関係ないニャ!)
ニーニャは自分へ言い聞かせるように拳を握った。
一方、クロエにも別の思惑があった。
公爵令嬢であり、第一王子の婚約者でもあるクロエが、未婚の男と一つ屋根の下で生活していたと知られれば、王妃候補としての評判に傷がつく。
婚約を破棄させるための材料として利用できるかもしれない。
それに、ジンなら信用できる。
列車でも依頼先でも、自分の利益より仲間や一般人を優先していた。クロエの身分を知ったとしても、それを利用する人間ではないと判断している。
「宿代も馬鹿にならないのよ」
クロエは本音の一部だけを口にした。
「空き部屋なら余っている。好きに使えばいい」
ジンはあっさりと承諾した。
「本当にいいのかニャ?」
「俺は困らない。ただし、食事と掃除は分担しろ」
「交渉成立ね」
「決めるのが早すぎるニャ!」
三人は大通りを離れ、貴族街の外れへ向かった。
やがて、高い鉄柵に囲まれた大きな屋敷が見えてくる。
三階建ての本館と広い庭。壁や屋根には傷みが見られるものの、かつて伯爵家の屋敷だっただけあり、今も十分な威容を残していた。
「ここがアンタの家なのかニャ!?」
ニーニャが門の前で目を丸くする。
「そうだ」
「大きすぎるニャ! 本当に一人で住んでるのかニャ?」
「四年前からな」
クロード家は、かつて伯爵位を持つ騎士の名門だった。
父は黒騎士団長。母は聖騎士団副団長。
だが、二人が戦死した後、敵前逃亡と裏切りの汚名を着せられた。爵位は剥奪され、領地や財産の大半も没収された。
首都の屋敷だけは、当時十四歳だったジンの生活場所として残された。しかし、仕えていた使用人たちは去り、今ではジンだけが暮らしている。
玄関の扉が開く。
広い玄関ホールには冷たい静寂が満ち、家具にも薄く埃が積もっていた。ジンが使っている一部の部屋を除けば、長い間誰も足を踏み入れていないらしい。
「こんなに広い家で、ずっと一人だったのかニャ?」
「ああ」
「寂しくなかったのかニャ?」
「慣れた」
ジンは短く答え、二階へ続く階段を上がる。
その背中を見つめ、ニーニャの犬耳が僅かに伏せられた。
「客室は好きに選べ。水が出るのは東側だけだ」
「なら、私は二階の南東にある部屋を使うわ」
クロエが迷わず答える。
「どうして部屋の位置が分かるニャ?」
「外から窓を見れば、おおよその構造は分かるでしょう」
「絶対に事前に調べてたニャ……」
ニーニャの疑いは正しい。
クロエはジンへ接触する前から、クロード家の没落した経緯だけでなく、首都に残された屋敷の場所や規模まで調べていた。
その日の夕方。
二人の荷物が運び込まれ、静まり返っていた屋敷へ新しい生活の音が加わった。
食堂では、三人分の食器が古いテーブルへ並んでいる。
ニーニャが匙へ手を伸ばした瞬間、指先から火花が弾けた。
バチッ。
「ニャハッ!?」
銀の食器が一斉に震える。
「ニーニャ。屋敷を燃やすな」
「好きで放電してるんじゃないニャ!」
「壊したものは弁償してもらうわよ」
「アンタの屋敷じゃないニャ!」
ニーニャの怒声が、長い間静まり返っていた屋敷へ響き渡る。
ジンは騒がしい二人を眺め、ほんの僅かに表情を緩めた。
こうして、誰もいなかったクロード家の屋敷で、三人の奇妙な共同生活が始まった。




