第2話 冒険者ギルド
第2話 冒険者ギルド
エスパーダ王国の首都ザザン。
その中央区に建つ冒険者ギルド本部には、今日も各地から山のような依頼が持ち込まれていた。
吹き抜けになった広大な一階には、巨大な依頼掲示板が設置されている。そこに貼られているのは、魔の森に現れたレッドグリズリーの討伐依頼、ナギ大平原を徘徊するゾンビの群れの掃討依頼、魔鉄の鉱山に巣食うキラーワームの討伐依頼。
ほかにも、魔の森で行方不明になった旅人の捜索や、豊穣の海に出没した巨大ザメの討伐など、危険な依頼書が掲示板を埋め尽くしている。
「東部街道の護衛依頼、出発は明日の早朝です!」
「薬草の採取依頼は、現物を確認してから達成処理を行います! 採取場所を間違えないでください!」
「負傷者です! 治癒術師を呼んでください!」
冒険者と職員の声が飛び交い、ギルド本部には朝から慌ただしい空気が満ちていた。
受付には依頼を求める冒険者が列を作り、併設された酒場では仲間を募集する声が響く。奥の治療室へ担架で運び込まれていく者もいれば、依頼に失敗し、肩を落として報告書を提出する者もいる。
本来であれば、冒険者ギルドは依頼の危険度に応じて、相応の実力を持つ冒険者を派遣する。
しかし、現在はそれができない。
六王国の戦いが激しさを増す中、エスパーダ王国は南方のオルクス帝国との戦争に、保有する戦力の大半を投入していた。
有能な冒険者の多くも国から招集され、すでに前線へ送られている。特にBランク以上の冒険者には戦時徴兵条項が適用されるため、首都に残っている高ランク冒険者はほとんどいなかった。
首都や主要都市へ甚大な被害を及ぼす危険がある場合には、軍から騎士が派遣されることもある。
だが、それも極めて稀な話だった。
オルクス帝国との戦況は厳しく、一人の騎士、一丁の魔銃でさえ前線では貴重な戦力となる。軍が街道の魔物や鉱山の被害にまで手を回す余裕など、残されていなかった。
その結果、本来なら複数のCランク冒険者や、Bランク以上の者へ任せるべき依頼を、経験の浅い冒険者へ斡旋せざるを得ない状況が続いている。
無理な依頼を受けた冒険者が傷つき、あるいは命を落とす。
残された冒険者が減り、さらに無理な依頼を斡旋しなければならなくなる。
冒険者ギルドは、そんな悪循環に陥っていた。
「はぁ……」
受付の内側で、ギルド職員のナーベが深い溜息をついた。
栗色の髪を後ろでまとめた若い女性で、ジンが冒険者登録をした頃から彼の担当をしている。
ナーベの机には、処理を待つ依頼書と報告書が山積みになっていた。早く片づけなければならないと分かっているのに、先ほどから同じ書類を持ったまま、仕事が少しも進んでいない。
「ジン君、大丈夫かなぁ……」
視線の先にあるのは、依頼掲示板の一角だった。
昨日まで貼られていたキラーワームの討伐依頼は、すでに剝がされている。
依頼を引き受けたのは、十八歳のCランク冒険者、ジン・クロード。
キラーワームは、Cランクに分類されている魔物の中でも特に危険な存在だった。分厚い外皮は岩石よりも硬く、地中を自在に移動し、奇襲を仕掛けてくる。
少し前にも、三人組の冒険者が調査へ向かった。
一人は食い殺され、残る二人も重傷を負いながら、辛うじて生還したという。
複数人で挑んでも犠牲者が出る相手だ。
いくらジンが同年代とは比較にならないほど戦い慣れているとはいえ、単独で討伐できる保証などなかった。
「やっぱり、ほかの冒険者とパーティを組むように、もっと強く説得するべきだったかな……」
そう呟いたものの、今のギルドにジンと組ませられる冒険者が残っていないことも、ナーベには分かっていた。
首都に残っているのは、DランクやEランクの冒険者が大半である。僅かに残るCランクも、別の依頼を抱えているか、以前の仕事で負傷して療養していた。
無理に同行させれば、ジンを助けるどころか足手まといになってしまうかもしれない。
だからといって、十八歳の少年を一人で送り出してよかったはずがない。
もしも、ジンが帰ってこなかったら。
最悪の想像が頭をよぎり、ナーベの表情が曇る。
そのときだった。
ギイッ、と重い音を立て、ギルド本部の扉が開いた。
「……あっ!」
反射的に顔を上げたナーベは、目を大きく見開いた。
入口に立っていたのは、黒髪の少年だった。
革鎧には乾きかけた緑色の体液がこびりつき、髪も砂埃で汚れている。顔には隠し切れない疲労が浮かび、歩き方も普段よりぎこちない。
それでも、自分の足で立っている。
「お帰りなさい、ジン君!」
ナーベは書類を机へ置き、受付から飛び出した。
周囲の視線も気にせず、ジンのもとへ駆け寄る。肩や腕、脇腹と、入念に全身を確認するが、革鎧に目立った破損はなく、出血している様子もない。
「怪我はありませんか? 噛まれていませんよね? 気分が悪いとか、どこか痛むところは?」
「大丈夫です。少し筋肉が痛むだけです」
「それを大丈夫とは言わないのよ……」
ナーベは呆れたように答えながらも、胸を撫で下ろした。
少なくとも、命に関わるような怪我はないらしい。
「依頼は達成しました」
ジンは右手から指輪を外し、ナーベへ差し出した。
大型の討伐対象を回収するため、ギルドから貸与されていた収納指輪である。
「本当に……倒したんですか?」
「はい。死骸も回収してあります」
「分かりました。すぐに確認します。解体場へ来てください」
ナーベは職員二人と査定官を呼び、ジンをギルド本部の裏手へ案内した。
そこには、大型魔物の査定や解体を行うための広大な石床が設けられていた。床には血や体液を流すための溝が刻まれ、周囲には解体用の器具が並べられている。
ナーベは石床の中央へ収納指輪を向け、魔力を流した。
指輪の宝石が白く輝く。
次の瞬間。
ズシンッ!!
地響きとともに、巨大なキラーワームの死骸が石床へ横たわった。
「う、嘘……こんなに大きかったの?」
ナーベの口から、驚きの声が漏れる。
全長は十メートルを優に超えている。灰色の巨体には岩盤を掘り進んだ痕跡が残り、円状に並んだ牙は、死んでいると分かっていても近づくのを躊躇わせるほど凶悪だった。
何事かと集まってきた職員や冒険者たちも、その姿を見て息を呑んだ。
「こいつを一人で倒したのか?」
「冗談だろ……」
「本当にCランクなのか、あの少年」
向けられる驚愕の視線にも、ジンは特に反応しなかった。
査定官が死骸へ近づき、傷口や内部の焼損状態を調べる。
「外皮の一点を繰り返し攻撃して突破し、そこから爆炎を流し込んだようですな。力任せではなく、相手の性質を見極めた戦い方です」
査定官は感心したように頷いた。
今回の功績だけでも、Bランクへの昇級審査を受ける資格は十分にある。
だが、ナーベはその場で昇級を口にすることができなかった。
Bランクへ昇級すれば、ジンも戦時徴兵条項の対象になる。
明日から騎士学園へ進む少年を、手続きの都合で即座に前線へ送らせるわけにはいかない。功績は正式に記録したうえで、昇級審査については入学手続きが終わるまで保留にするべきだろう。
「報酬をもらえますか?」
ジンに声をかけられ、ナーベは我に返った。
「はい。キラーワームの討伐報酬が金貨三百枚。死骸と魔石の買取額が金貨二百枚ですので、合計で金貨五百枚になります」
金貨五百枚。
ギルド職員の年収にも相当する大金である。
ただし、それだけ依頼の危険度が高かったということだ。報酬だけを見て同じような依頼を繰り返せば、いくつ命があっても足りない。
ナーベは金貨百枚が入った袋と、残る四百枚を預け入れたことを証明するギルド発行の預金証書を手渡した。
「確かに受け取りました」
ジンは金貨袋の重さを確かめ、預金証書に記された金額を確認した。
「それから、これは私からのサービスです」
ナーベは机の引き出しから、淡い青色の液体が入った小瓶を取り出した。
「初級ポーション?」
「軽い傷だけでなく、筋肉の炎症や疲労にも効きます。ジン君、身体強化魔術を使ったのでしょう?」
「……分かりますか」
「歩き方を見れば分かります。明日は騎士学園の入学試験でしょう? 今夜のうちに飲んで、きちんと休んでください」
この依頼を斡旋したせいで、ジンが入学試験に失敗したら悔やんでも悔やみ切れない。
十四歳で両親を失ったジンが、これまでどれほど努力してきたのか、ナーベは知っている。
だからこそ、明日から始まる彼の新しい人生が、少しでも幸せなものになってほしかった。
「ありがとうございます」
ジンは小瓶を受け取り、普段よりも柔らかな表情で頭を下げた。
「ただし、条件があります」
「条件?」
ナーベは人差し指を立て、少しだけジンとの距離を詰める。
「騎士学園へ入っても、たまには冒険者ギルドに顔を出してください。今日でお別れなんて、私は認めませんからね」
上目遣いで念を押され、ジンは僅かに頬を赤らめた。
それでも、しっかりと頷く。
「騎士学園でもっと強くなったら、今まで以上に難しい依頼を受けられるようになります。そのときは、またナーベさんに担当してもらいます」
「命を粗末にするような依頼は紹介しませんよ?」
「それなら安心です」
冗談めかした返事に、ナーベは嬉しそうにはにかんだ。
「期待していますね、未来の騎士様」




