第16話 魔石を喰らう者
第16話 魔石を喰らう者
ストームワイバーンの首が、深い峡谷へ落ちていく。
その後を追うように、首を失った巨体も黒雲の下へ消えていった。
やがて雷鳴は遠ざかり、荒れ狂っていた暴風も少しずつ静まっていく。
三人を乗せた魔導列車は速度を落とすことなく、峡谷に架けられた線路を西へ走り続けていた。
「……終わったか」
漆黒の全身鎧を纏ったジンが、貨物車両の屋根へ降り立つ。
「戻れ」
全身を覆っていた装甲が黒い霧へ崩れ、二体の悪魔の騎士へ戻っていった。
その直後、緑色の風が屋根を撫でる。
ニーニャが転がるように着地し、勢いよく立ち上がった。
「当然だニャ!」
得意げに胸を張る全身には、緑色の風と青白い雷がまだ残っている。
「見たかニャ! これが新しい私の力だニャ!」
「脚が震えているぞ」
「これは武者震いだニャ」
バチッ。
「ニャハッ!?」
膨らんだ尻尾の先から火花が弾け、ニーニャの身体が跳ね上がった。
直後、両脚から力が抜け、その場へ崩れ落ちる。
「身体が……動かないニャ……」
「雷で筋肉を無理に動かした反動だろう」
「先に言えニャ……」
「使う前に確認しろ」
「アンタはいつも一言遅いニャ……」
ジンは動けなくなったニーニャをクロエへ任せ、峡谷を見下ろした。
ストームワイバーンの巨体は、すでに谷底を覆う濃霧へ隠れている。
「黒騎士」
「御意」
「一体は貨物を守れ。もう一体は谷底へ降り、討伐した個体の素材を回収しろ」
ジンは僅かに声を落とした。
「魔石を優先しろ」
「御意」
悪魔の騎士が走り続ける列車の屋根を蹴り、躊躇なく峡谷へ飛び降りた。
「この高さから落ちて平気なのかニャ?」
「壊れても影へ戻るだけだ」
「便利ね」
クロエは平然と答えながら、ニーニャの両脇へ腕を入れた。
「ニャッ! どこを持ってるニャ!」
「運んであげるのだから、文句を言わないで」
「自分で歩けるニャ!」
「脚が震えているわよ」
「武者震いだと言ってるニャ!」
二人の騒がしい声を背中で聞きながら、ジンは峡谷を振り返った。
悪魔の騎士の姿は、すでに暗闇の底へ消えていた。
数時間後。
魔導列車は、西部都市レグナの中央駅へ到着した。
最後尾の貨物車両には無数の爪痕が刻まれ、屋根の一部も大きくへこんでいた。それでも、積まれていた治療薬や食料、大量の魔石は一つも失われていない。
レグナ支部の冒険者ギルドで報告を済ませた三人は、追加報酬を受け取り、駅に近い宿へ入った。
峡谷へ向かわせた悪魔の騎士は、まだ戻っていない。
谷底まで降りたうえで、走り去った列車を追わなければならない。戻るとしても、日が変わる頃になるだろう。
「生き返るニャ!」
宿の食堂。
ニーニャが肉の煮込みへ勢いよく食らいつく。
ところが、握った銀の匙へ指先から雷が流れた。
バチッ。
「ニャハッ!?」
匙を口へ入れたまま、ニーニャの犬耳と尻尾が一斉に逆立つ。
向かいに座るクロエは、何事もなかったように肉を切り分けていた。
「随分と器用な食べ方ね」
「好きで感電してるんじゃないニャ!」
「新しい力を手に入れたのでしょう?」
「まだ慣れてないだけだニャ。すぐに使いこなして、アンタの尻にも雷を流してやるニャ」
「自分の舌を焼かなくなってから言いなさい」
「むかつくニャ……!」
ニーニャは匙を諦め、器を両手で持ち上げた。
「そういえば、クロエ」
「何かしら?」
「平民にしては、随分と食事の作法が綺麗だニャ」
クロエの手が一瞬だけ止まる。
その黄金色の瞳が、ニーニャへ向けられた。
「あなたこそ、平民とは思えないほど貴族の作法に詳しいのね」
「ニャッ……」
ニーニャの尻尾が硬直する。
二人は互いの正体を知っている。
家出中の公爵令嬢と、身分を隠して冒険者になった侯爵令嬢。
今の会話は疑いではなく、余計なことを口にするなという牽制だった。
「どこで覚えたのかしら?」
「み、見よう見まねだニャ」
「私も同じよ」
「嘘をつけニャ……」
事情を知らないジンは、二人の妙な会話を聞きながら黙々と食事を続けた。
騒がしいが、不思議と不快ではない。
これまでのジンは、一人で依頼を受け、一人で戦い、一人で食事をすることが多かった。
だが、今日は違う。
ストームワイバーンとの戦いも、二人がいなければ勝てなかった。
その事実が、胸の奥へ重く残っていた。
深夜。
ニーニャとクロエが眠った後、ジンは一人で宿を抜け出した。
向かったのは、街外れにある使われなくなった倉庫だった。
崩れかけた扉を閉め、月明かりが差し込む室内で待つ。
やがて、足元の影が揺れた。
黒い霧とともに、峡谷へ向かわせた悪魔の騎士が片膝をつく。漆黒の鎧には無数の傷が刻まれ、左腕も失われていた。
それでも、残された右腕には巨大な魔石が握られている。
「よく戻った」
受け取った魔石は、人間の拳よりも大きかった。
青灰色の結晶の中で、緑色の風と青白い雷が嵐のように渦巻いている。
間違いない。
ストームワイバーンの魔石だった。
ジンは月明かりへ魔石を掲げた。
Bランク下位のレッドグリズリーなら、一人でも倒せた。
だが、同じBランクでも上位に位置するストームワイバーンには、三人で連携してようやく勝利した。
ニーニャが風と雷を弱めなければ、接近することさえできなかった。
クロエが残された眼を撃ち抜かなければ、首へ大剣を振り下ろす隙も生まれなかった。
もし一人だったなら、倒せただろうか。
「……無理だな」
ジンは冷静に認めた。
悪魔の鎧を換装すれば、Bランク下位から中位に相当する力を引き出せる。しかし、鎧を使わない素の実力は、Cランク上位がいいところだ。
この程度では、オルクス帝国の軍勢を打ち破れない。
まして、帝国の頂点に立つ皇帝へ刃を届かせるなど、夢物語に等しい。
「もっと力が必要だ」
悪魔の騎士へ依存するだけでは足りない。
自分自身の魔力量を増やし、剣も神眼も鍛えなければならない。
「神眼を強化する方法は……」
そのときだった。
『――喰らえ』
低い声が、頭の中へ響いた。
ジンは周囲を見回す。
倉庫には、片腕を失った悪魔の騎士しかいない。
「誰だ?」
返事はなかった。
『喰らえ』
再び声が響く。
ジンの視線が、手の中の魔石へ落ちた。
「黒騎士に吸収させろということか?」
『違う』
今度は、より明確に聞こえた。
『お前自身が喰らえ』
ジンの表情が強張る。
人間が魔石を直接取り込む行為は、《魔喰い》と呼ばれている。
魔石には濃縮された魔力だけでなく、魔物の本能や残留思念まで宿っている。人間が喰らえば魔力経路が耐えられずに破裂し、多くは死亡する。
運よく生き残っても、肉体が異形へ変わり、理性を失うとされていた。
王国と教会の双方が禁じる禁忌。
発覚すれば、騎士学園から追放されるだけでは済まない。魔人化の危険がある者として拘束され、場合によっては討伐対象となる。
「…………」
それでもジンは、右眼へ意識を集中させた。
漆黒だった瞳が黄金色へ変わる。
神眼の視界に、魔石を構成する無数の魔力経路が浮かび上がった。
雷。
風。
生命力。
獣の本能。
死の間際に刻まれた怒りと苦痛。
それらが複雑に絡み合っている。
このまま喰らえば、確実に肉体を侵食される。
しかし、神眼は同時に別の経路も映し出していた。
属性と残留思念を悪魔の鎧へ流し、純粋な魔力だけを自分の体内へ残す。
神眼で力を分解し、悪魔の鎧で濾過する。
その二つを同時に使えば、魔人化の危険を大きく抑えられる。
「俺なら、喰えるのか」
安全ではない。
だが、成功する可能性は十分にある。
ジンは覚悟を決めた。
「戻れ――換装」
片腕を失った黒騎士が霧へ崩れる。影に残っていたもう一体も呼び出されることなく霧となり、ジンの全身へ殺到した。
漆黒の装甲が右腕から肩、胸、腰、両脚へ広がっていく。
完全な悪魔の鎧を纏ったジンは、魔石を口元へ運んだ。
兜の口元だけが黒い霧へ変わる。
「人間のままでは届かないのなら――」
魔石へ歯を突き立てる。
「人間であることに、こだわる理由はない」
その瞬間、青灰色の結晶へ無数の亀裂が走った。
バチバチィッ!
「ぐっ……!」
青白い雷と暴風が黒い霧へ変わり、口から体内へ流れ込む。
全身の血管が焼ける。
筋肉が引き裂かれ、骨が内側から砕かれるような激痛が走った。
神眼が荒れ狂う力を分解する。
風と雷の属性、魔物の本能、残留思念は、漆黒の鎧へ吸い込まれていく。装甲の表面を青白い雷が走り、背中から緑色の風が噴き上がった。
一方、不純物を失った純粋な魔力だけが、ジンの心臓へ集まっていく。
鼓動が大きくなる。
血液へ魔力が溶け込み、全身の魔力経路を内側から押し広げた。
「まだだ……!」
ジンは魔石を放さなかった。
黄金色の右眼へ魔力の一部が流れ込み、瞳孔が悪魔のように縦へ裂ける。
処理しきれなかった残りの力は、足元の影へ吸い込まれていった。
やがて、手の中から魔石が完全に消滅する。
「はぁ……はぁ……」
ジンは片膝をついた。
鎧の表面には、雷と風を思わせる紋様が刻まれている。
魔力量も増加していた。
神眼には、以前より遥かに細かな魔力の流れが見えている。
足元の影が大きく膨らんだ。
暗闇の中に、赤紫色の眼が二組。
その奥で、新たな一組が開く。
「出てこい」
黒い霧が立ち昇る。
一体。
二体。
そして、その後方へ三体目の悪魔の騎士が姿を現した。
三体が同時に片膝をつく。
「御意」
重なった声が、倉庫の壁を震わせた。
成功した。
だが、この力を得た方法は誰にも知られてはならない。
ニーニャにも。
クロエにも。
「戻れ」
三体の騎士が黒い霧へ崩れ、ジンの影へ沈んでいった。
翌朝。
宿の食堂へ入ったジンへ、ニーニャが不意に顔を近づけた。
鼻先を動かし、何度も匂いを確かめる。
「……ジン」
「何だ?」
「昨日より、悪魔の臭いが濃くなってないかニャ?」
「ストームワイバーンとの戦いで、鎧との同調が進んだらしい」
「そうなのかニャ……?」
ニーニャは疑わしそうに首を傾げた。
ジンは表情を変えず、その横を通り過ぎる。
だが、席に座っていたクロエだけは、何も言わずに黄金色の瞳を細めていた。
クロエが知っている物語では、この時期のジンに、これほど急激な魔力の増大は起きていない。
そして、ジンの影の奥では。
三つ目の気配が、静かに息を潜めていた。




