第13話 巨大蛙の腹の中
第13話 巨大蛙の腹の中
エレキモンキーの群れを討伐してから、三日後。
ジンとニーニャは、首都ザザンの南に広がる湿地帯を訪れていた。
「足元に気をつけろ。泥が深い」
「分かってるニャ」
黒いロングコートを纏ったジンが、乾いた場所を選びながら先へ進む。
その後ろを歩くニーニャは、泥へ沈みそうになるたび、足元に風を纏って身体を浮かせていた。
二人が受けたのは、ジャイアントトードの討伐依頼である。
湿地に近い村では、この一週間で家畜が何頭も姿を消していた。調査へ向かった村人まで帰ってこなかったことから、冒険者ギルドへ依頼が出されたのだ。
討伐対象は、全長五メートルを超える巨大な蛙型の魔物。
危険度はCランク上位に指定されている。
「近くにいるニャ」
ニーニャの犬耳が、左右へ忙しなく動いた。
「水の音に混じって、何かが呼吸してるニャ。それに、この生臭い匂い……間違いないニャ」
「方角は?」
「右前方。大きな水溜まりの近くだニャ」
ジンも右眼へ意識を集中させる。
漆黒の瞳が黄金色へ変わり、葦の向こうに巨大な魔力反応が浮かび上がった。
「見つけた」
だが、目を凝らしても魔物らしき姿は見当たらない。
そこにあるのは、苔に覆われた巨大な岩だけだった。
「どこにいるニャ?」
「あの岩だ」
「岩?」
次の瞬間。
巨大な岩が、ゆっくりと持ち上がった。
「ゲコオオオオッ!」
「ニャッ!?」
苔に見えたものは、緑褐色の皮膚だった。
身体へ泥と水草を付着させ、周囲の景色へ擬態していたのである。
ジャイアントトードが黄色い眼を開き、大きく喉を膨らませた。
「先手必勝だニャ!」
「待て!」
制止を聞かず、ニーニャが地面を蹴った。
緑色の風が両脚を包み、泥の上を一気に駆け抜ける。
二本のダガーを逆手に構え、ジャイアントトードの側面へ回り込んだ。
「喰らえニャ!」
風の刃を纏わせたダガーを、巨大な背中へ振り下ろす。
ブニュンッ。
「ニャ?」
刃は柔らかな皮膚へ深く沈んだ。
だが、斬れていない。
分厚い脂肪が衝撃を吸収し、表面を覆う粘液が刃を滑らせていた。
皮膚が大きくへこんだ直後、弾むように元へ戻る。
「何なんだニャ、このブニョブニョした身体は!」
「離れろ、ニーニャ!」
ジャイアントトードの口が開いた。
赤黒い舌が、鞭のような速さで伸びる。
「遅いニャ!」
ニーニャは横へ跳び、舌をかわした。
だが、泥へ足を下ろした瞬間、深く沈み込んで体勢が崩れる。
「しまっ――」
引き戻されたはずの舌が、空中で軌道を変えた。
粘つく舌がニーニャの腰と両脚へ巻きつく。
「ニャアッ!? 気持ち悪いニャ! 放せニャ!」
二本のダガーを突き立てるが、粘液に滑って刃が通らない。
ニーニャの身体が宙へ持ち上げられる。
「出てこい!」
ジンの影から黒い霧が噴き上がり、悪魔の騎士が姿を現した。
「舌を斬れ!」
「御意」
漆黒の大剣が振り下ろされる。
しかし、ジャイアントトードは一瞬早く舌を引き戻した。
「嘘だニャ! 待つニャアアアッ!」
ニーニャの身体が巨大な口へ消える。
ジャイアントトードは獲物を押し込むように目を閉じ、喉を大きく動かした。
「ニーニャ!」
暗闇の中。
全身へ生温かい粘液がまとわりついていた。
「んんんっ!」
ニーニャは腕を動かそうともがく。
だが、周囲の筋肉が四方から身体を締めつけ、さらに奥へ押し込もうとしていた。
息苦しい。
犬耳も、長い髪も、大きな尻尾も、粘液によって身体へ張りついている。
「こんなところで……消化されてたまるかニャ!」
風を放っても、狭い体内では自分まで傷つけてしまう。
残された手段は、一つしかない。
ニーニャは全身へ意識を集中させた。
エレキモンキーの血から得た雷の魔力。
普段は微弱な電流しか纏えないが、三日かけて少しずつ身体へ蓄えてきた。すべて解放すれば、一度だけ強力な放電ができる。
問題は、ニーニャ自身に雷への耐性がないことだった。
「やるしか……ないニャ!」
青白い火花が犬耳の先で弾ける。
「私まで丸焼きになったら、絶対に許さないニャ!」
誰に対する文句なのか、自分でも分からない。
ニーニャは覚悟を決め、蓄積した雷を解放した。
バチバチバチィッ!
「ギニャアアアアアッ!?」
青白い雷がジャイアントトードの体内を駆け巡った。
「ゲコオオオオオッ!?」
巨大な身体が跳ね上がる。
雷は湿った体内を伝わり、筋肉を激しく痙攣させた。
同時に、放電したニーニャ自身も全身を貫く電撃に悲鳴を上げる。
ジャイアントトードが苦しげに口を開いた。
「ゲボオッ!」
大量の粘液とともに、ニーニャが吐き出される。
「ニャ……ニャニャ……」
泥の中へ転がったニーニャは、全身から細い煙を立ち昇らせていた。
赤褐色の髪も犬耳も逆立ち、大きな尻尾は普段の倍近くまで膨らんでいる。
「生きているか?」
「何とか……生きてるニャ……」
差し出されたジンの手を掴もうとして、ニーニャの指先から火花が弾けた。
バチッ。
「痛い」
「私の方が痛いニャ!」
ニーニャは震える脚で立ち上がった。
全身を覆う粘液から、生臭い匂いが漂っている。
「よくも丸呑みにしてくれたニャ……!」
二本のダガーを引き抜き、残された魔力を注ぎ込む。
「今度こそ斬ってやるニャ!」
交差する風の刃が、ジャイアントトードの腹へ直撃した。
だが、柔らかな皮膚が大きく波打っただけだった。
「また効かないニャ!?」
「粘液と脂肪が斬撃を分散させている」
「先に言えニャ!」
「お前が確かめる前に突っ込んだ」
「アンタはいつも一言遅いニャ!」
ジャイアントトードが怒り狂い、再び舌を伸ばした。
悪魔の騎士が大剣で受け止める。
舌を斬ることはできないが、両手で押さえ込めば僅かに動きを止められる。
ジンは神眼で魔力の流れを追った。
皮膚の表面には、防御の魔力が網目状に巡っている。
しかし、口の内側にはほとんど流れていない。
「外から斬れないなら、中を狙う」
「まさか、アンタまで食われるつもりかニャ?」
「口を開かせるには、それが早い」
「馬鹿なのかニャ!?」
ジンは右手を前へ突き出した。
「戻れ――換装!」
悪魔の騎士が黒い霧へ崩れ、ジンの全身へ殺到する。
漆黒の装甲が右腕から肩、胸、腰、両脚へ広がった。
ジャイアントトードは、目の前に現れた新たな獲物へ舌を伸ばす。
ジンは避けなかった。
粘つく舌が漆黒の鎧へ巻きつき、その身体を持ち上げる。
「本当に捕まってどうするニャ!」
「狙いどおりだ」
ジンが巨大な口元へ引き寄せられる。
生臭い息が鎧を包んだ。
上下に並ぶ細かな牙。
その奥に、無防備な喉が見える。
飲み込まれる直前、ジンは左腕を突き出した。
黒い霧が集まり、ハンドガン型の魔銃を形成する。
銃身へ刻まれた《爆炎》のルーン文字が、真紅に輝いた。
「二度も同じ獲物を食えると思うな」
銃口を喉の奥へ向け、引き金を引く。
轟音。
放たれた爆炎が口内を駆け抜け、ジャイアントトードの体内で炸裂した。
「ゲコオオオオオッ!」
巨大な口が開き、舌の力が緩む。
ジンは拘束を振りほどき、地面へ着地した。
「ニーニャ、今だ!」
「分かってるニャ!」
放電の反動で震える脚へ、残された風を集める。
二本のダガーを交差させ、開かれた口へ狙いを定めた。
「外が駄目なら――中を斬るニャ!」
ダガーが振り抜かれる。
交差する風刃が口内へ飛び込み、焼けた喉を深く斬り裂いた。
ジャイアントトードが大きく仰け反る。
その隙にジンが魔銃を構え直した。
「これで終わりだ」
二発目の爆炎が、傷ついた喉からさらに奥へ突き抜ける。
ジャイアントトードの巨体が内側から膨らみ、そのまま泥の中へ倒れた。
「……終わったか」
神眼で生命反応が消えたことを確認し、ジンは換装を解除する。
振り返ると、ニーニャが無言で立っていた。
全身は粘液まみれ。
髪と犬耳はべったりと張りつき、巨大な尻尾から粘液が滴り落ちている。
「……臭いニャ」
「沼と蛙を混ぜたような匂いだな」
「具体的に言うなニャ!」
ニーニャは自分の尻尾を抱え、涙目になった。
「今すぐ水場を探すニャ! この匂いじゃ首都に帰れないニャ!」
「その前に魔石を回収する」
「先に私を洗うニャ!」
ジンがジャイアントトードへ近づくと、ニーニャは露骨に顔をしかめた。
「血は吸わないのか?」
「今回は絶対にいらないニャ!」
「皮膚の弾力や粘液を吸収できるかもしれないぞ」
「私の身体がブニョブニョになったり、舌が伸びるようになったらどうするニャ!」
「戦いには使えそうだ」
「乙女として終わるニャ!」
湿地帯に、ニーニャの怒声が響き渡る。
こうして二人は、二度目の共同依頼を無事に達成した。
ただし、その日。
全身に染みついた蛙の臭いが取れるまで、ニーニャは川から一歩も出ようとしなかった。




