第9話 四大怨霊の顕現と、不干渉の神域
東京、新宿。
地上三百メートルを越える漆黒の摩天楼『アビス・タワー』の周囲は、すでに現実の風景ではなかった。
空は赤黒く濁り、ビル風に混じって千年前の戦場の叫びが響いている。
そのタワーの正面玄関へ、一人の少年が歩みを進めていた。
背後には、顔を強張らせながらも決死の覚悟で付き従う沙羅の姿がある。
「……出たな、神代の小僧」
ビルのロビーを埋め尽くすのは、現代の最新装備で身を固めた特殊部隊――その実態は、平安の呪術によって魂を書き換えられた「生ける屍」たちだ。
彼らが一斉に、呪力弾を装填した突撃銃の引き金を引く。
数千発の弾丸が、物理的な質量と呪いの毒を伴って悠真を襲う。
だが。
「…………」
悠真は、足を止めない。
弾丸が彼の数センチ手前で、まるで目に見えない「世界の壁」に衝突したかのように、火花を散らして次々と弾け飛ぶ。
回避もしない。防御の印も結ばない。
ただそこにある「神代悠真」という存在そのものが、この世界のいかなる干渉をも拒絶していた。
「無駄だ。……道をあけろ」
悠真の口から漏れたのは、低い、地響きのような声。
彼が懐から、白銀に輝く御朱印帳を取り出した。
「我が平穏を乱した罪、万死を以てなお足りぬ。……出でよ、日の本の理を覆す者たち」
悠真がページを横に薙ぐ。
瞬間、タワーを揺るがすような四つの巨大な『影』が、彼の周囲に立ち昇った。
東に、雷火を纏い、天神の威光を放つ【菅原道真】。
西に、戦場を駆ける武者の怨念を束ねた将門の首、【平将門】。
南に、大天狗の羽翼を広げ、全てを飲み込む風を操る【崇徳上皇】。
北に、静謐なる死の呪いを湛えた【早良親王】。
かつてこの国を恐怖の底に叩き落とし、今は神として祀られる「四大怨霊」。
神格化された彼らが、一介の中学生である悠真の傍らで、恭しく膝をつく。
『――仰せのままに、我が主よ』
四つの神威が解放された。
道真の雷光がビルのセキュリティを焼き切り、
将門の放つ斬撃が、装甲を纏った屍の軍勢を塵のごとく両断する。
崇徳院の暴風がビル内の呪いの結界を粉砕し、
早良親王の波動が、敵の式神たちを音もなく消滅させた。
悠真は、その破壊の嵐の中を、ただ真っ直ぐに歩き続ける。
敵の術者が放つ渾身の呪いも、最強の防壁も、彼が歩みを止めないだけで、紙細工のように崩れ去っていく。
「ゆ、悠真殿……」
沙羅は、その光景に震えが止まらなかった。
悠真の背中が、次第に大きく、そして遠くなっていく。
彼の黒髪が、一歩ごとに白銀の光を増し、その瞳には見たこともない複雑な紋様が浮かび上がり始めていた。
「母さんも、親父も……そこにいるんだろ」
悠真の視線が、最上階の展望フロアを射抜く。
そこに潜む、今回の元凶――平安の闇を統べる大将の気配。
エレベーターなど必要ない。
悠真が床を一歩踏みしめるたび、巨大なタワーそのものが悲鳴を上げ、一段ずつ、階段を登るように彼の足元へと「降りてくる」。
それは、空間そのものを従える『王』の歩み。
最上階の扉の前に辿り着いた時、悠真の姿はもはや現代の少年ではなかった。
白銀の長髪は腰まで届き、その瞳は琥珀を通り越し、透き通るような白金に染まっている。
そして、制服の代わりに彼を包んでいたのは、自身の圧倒的な霊力を編み上げた、月光のように輝く白銀の古装束だった。
「…………覚悟しろ。もう、容赦する理由がない」
悠真が手をかける前に、巨大な鉄扉がその霊圧だけで粉々に砕け散った。
その先に待つのは、意識を失った両親を背後に従え、薄笑いを浮かべる大将の姿。
悠真の「一〇〇%」が、今、完全に解き放たれようとしていた。




