第7話 天井のボスに、声が届かない
配信は切らない。ゆうべ窓越しに、海歌とそう約束した。
なのに土曜の昼、ゲートを抜けて10歩で、あたしはドローンをしまおうと手を伸ばしていた。奥に着くまで、電池を残しておきたかったから。
片耳のイヤホンに、部室で配信を見ている海歌の読み上げの声が届いた。
[切らないでって言った]
伸ばした手が止まる。約束して半日で破りかけるとか、あたし最低か。
「……はいはい、飛ばすって」
ドローンに向かって言うと、少しして、イヤホンの読み上げが[よろしい]と返してきた。部室で腕を組んでいる海歌の顔まで浮かぶ。
「えっと、シモキタ地下ライブです。今日は第8層の奥で、Eランクに上がるための相手を倒しに行きます」
配信の頭の挨拶をすませて、歩き出す。
第8層までの通路はどこも天井が低かった。背の低いあたしでも天井から下がる石のつららに頭をぶつけそうで、1時間半ずっと首をすくめっぱなしだ。
通路の天井は第8層の奥で急になくなった。
白い石の広間の入口に立つと、石の柱が奥まで並び、上は暗がりに溶けて見えない。
「いや、天井どこ」
見上げても終わりがない。ここなら、群れが好きなだけ飛べる。
ドローンはあたしの斜め上に浮いていて、電池の残りは30分くらい。
『天井たっか』
『吟遊詩人ひとりで昇格戦w』
『上になんかいる』
昇格戦を笑ったのは、いつも戦いだけ見に来るダンジョン目当ての視聴者だ。同時接続数は30前後で、昨日より多い。今はそれがちょっと恨めしい。
暗がりに目が慣れてくると、天井の近くに黒い塊がいくつも下がっているのが見えた。大コウモリが十匹前後、ぜんぶ逆さまだ。
「ほんとに逆さで寝てるし。……そのままずっと寝ててくれないかな」
小声で言ったつもりが、マイクはしっかり拾っていたらしい。
『寝かしとけ』
『起こす前提なんよ』
『真ん中の1匹でかくね』
大コウモリの群れの真ん中に、1匹だけ大きいのがいる。翼を畳んでいてもほかの倍はあって、広げたら人の背丈くらいになるはずだ。
その大きいのが短く一声鳴いた。あたしの小声を聞きつけたみたいに。
天井の群れが、一斉に翼を半分広げてざわっと揺れる。しばらくして、黒い塊はまた静かに畳まれた。
『今の何』
『あれがボス?』
きのう、盾の人が言っていた。ボスが鳴くと、寝てても群れが全部起きる、と。
短く鳴いただけで、群れは起きかけた。あれが群れのボスだ。本気で鳴かれたら、今度は全部起きる。
その相手を、あたしはひとりで見上げている。
入口に立ったまま、天井までの暗がりを見上げて考えた。
声をぶつける拡声は離れるほど弱くなる。あの高さだと、上がりきる前に散るかもしれない。
大きいモンスターの魔石は、同じ高さの声を長く当て続けないと割れない。
最悪が2つ、もう見えている。
頼れるのは《共鳴》だ。ギターで鳴らしている魔石は、同じ高さの声に自分から応えて震える。だから、離れた天井の魔石にも声が効く。
あたしは広間に入った。
腰に付けた小さなアンプのつまみを上げて、ギターの弦を1本はじく。
音は広間に広がって、天井まで上っていった。《共鳴》を Lv2 にしてから、アンプの音は前より遠くまで届くようになっている。
ボスがぴたりと止まり、体の中で魔石が光る。
ボスの魔石が、低い音で鳴った。
海歌の歌い方で出せるいちばん下より、まだ下で鳴っている。
大きい魔石ほど低く鳴る。
口の中で、その音を歌うように伸ばしかけた。
喉の底で、海歌の歌い方が崩れた。伸びかけたのは、一言で魔石を割るときのあたしの声。それで、歌おうとしていた。
……ちがう。今のは、なし。
答えを出す前に、ボスが鳴いた。
空気を引っかくような高い一声だった。逆さに寝ていた群れが、今度は本当に目を覚まし、一斉に天井を離れる。
十匹が天井から、あたしの頭の上へまっすぐ降ってくる。羽音が広間じゅうに跳ね返って、耳がおかしくなりそうだ。
『来た来た来た』
『囲まれるぞ』
『歌え歌え』
数えている暇はない。
ギターを抱えたまま、あたしは上を見て息を吸った。海歌の歌い方で、眠りの歌を出す。
声は白い石の壁に当たって、何重にも返ってきた。壁が硬いぶん、この広間はよく響く。返ってきた歌が、降ってくる群れを下から包んでいく。
1匹目が羽ばたきを止めた。
ぼとっ、と床に落ちる。
うそ、効いてる。
2匹目と3匹目は、翼を畳んだまま白い床へ転がった。気づいたら、飛んでいる大コウモリは1匹もいなかった。
残ったのは天井に下がったボスだけだ。
『落ちたwww』
『全部寝てる』
『勝てるぞこれ』
『吟遊詩人つよ』
『で、ボスどうすんの』
床の大コウモリは、白い石の上で翼を投げ出したまま動かない。羽音が消えて、広間に残っているのはあたしの歌と、その響きだけになった。
コメントが沸いている。歌いながら、あたしも口の端が上がりそうになった。
いける。
その頭の上で、ボスは天井に下がったまま、こっちを見下ろしていた。耳の底には、さっきの低い音がまだ鳴り続けている。
ボスを落とさないと終わらない。ボスを倒せば、群れは散る。
眠りの歌をやめれば、床の群れはすぐに起きる。それでも歌を切り替えるしかなかった。
眠りの歌を切って、天井へ拡声の声をぶつける。
どん、と空気が揺れた。床の大コウモリが何匹か、衝撃で転がっていく。
天井のボスは揺れもしない。
「うそでしょ」
『え、ノーダメ?』
『ボスだけ平気そう』
『下のやつ起きかけてない?』
拡声が上まで届かない。
足もとで、かさ、と翼のこすれる音がした。
残っている方法は、ギターで魔石を鳴らす《共鳴》だけ。
それでも、少しでも近いほうが声は通る。
あたしは柱の間を抜けて、ボスの真下まで踏みこんだ。入ってきた通路が、背中のずっと後ろになる。
弦をはじき続けて、ボスの魔石を鳴りっぱなしにする。その音に、声を合わせていく。海歌の歌い方のまま、できるだけ低く。
練習のとき、海歌は声を下げてほしいと手のひらを下げてみせた。その手のひらを、頭の中で床まで押し下げる。
喉の奥で、声がきしんだ。
きしんだ一瞬だけ、海歌のまねが崩れた。のぞいたのは、あたしの低い声だ。その一瞬だけ、声がボスの魔石の高さに合った。
天井で、魔石がぱっと強く光る。
『光った』
『いけ』
声が、ボスまで届いた。
そう思ったところで、息が尽きた。声が上ずって、光がすっと消える。
今の、まねじゃなかった。そう気づきかけたときには、あたしはもう海歌の歌い方に声を戻していた。
数秒遅れて、部室の海歌から指示が届く。
[もっと下]
分かってる。分かってるけど、海歌の歌い方のままじゃ、これより下に声が行かない。
しかも、一瞬合っただけでは光って終わりだ。
部室で海歌に両手で肩を押さえてもらって、息の練習をしたのに。これとか、情けなさすぎる。
ボスがまた鳴いた。
床の群れがいっせいに跳ね起きて、今度はまっすぐあたしへ来る。
眠りの歌に戻して、入ってきた通路のほうへ戻る。先頭の何匹かがふらついて、床に落ちた。でも入口は、自分で踏みこんだぶんだけ遠い。
ボスが鳴く。落ちた大コウモリが、また起きる。
『また起きた』
『きりなくね』
『このままじゃ息もたない』
ずるい。あっちは一声で起こせるのに、こっちは歌いっぱなしで寝かせている。天井のボスには、眠りの歌も届かない。
歌うほど MP が減って、頭の奥が重くなってきた。
歌いながら、頭の隅で考える。
ゴブリンくらいなら、あたしの低い声の一言で毎日割っている。
でも、このボスは一言じゃ割れない。あの低さを、自分の声で長く保たないといけない。
海歌のまねをやめて、あたしの低い声で歌えば、ボスの魔石が鳴っている高さに届く。
でも、ドローンの向こうには30人がいる。
一言なら、まだ平気だった。ツッコミの声だと思えば、笑ってごまかせる。
今度は30人の前で、あの声で歌う。中学の教室で、男子みたい、と笑われた声で。
喉がぎゅっと閉じた。
袖で口元を隠したい手を、弦の上でこらえる。
あたしは低い自分の声を飲みこんで、海歌の歌い方の高い声に戻った。
眠りの歌を、もう何分歌い続けているんだろう。
息が足りない。一息つこうとした瞬間に、歌が途切れた。
眠りの歌はすぐに切れて、床から群れが一斉に飛び立つ。
左の前腕に、何かが刺さる。
かまれた。
痛いより先に、熱い。歌い直そうと口を開けても、切れた息が戻ってこない。
『やばい』
『腕かまれた』
『逃げて』
『下がって下がって』
『おい大丈夫か』
最後の書き込みは、さっき昇格戦を笑っていたダンジョン目当ての視聴者だった。今度は、笑っていない。
羽音が、前からも後ろからも来る。
気づけば、あたしは白い広間の真ん中で群れに囲まれていた。
左腕から、血が落ちる。
天井で、ボスがまた鳴いた。
本日(10/18 (日)) 10話まで一時間ごとに投稿予定です。
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