第5話 似てるけど違う
配信を始めて10秒で、見ている人が21人になった。
これまでの最高でも10人ちょっとの配信だ。倍じゃん。
21人。教室の半分くらいの人数が、今あたしを見ている。
腕のスマートフォンの画面を、見たことのないアカウントの書き込みが流れていく。
『告知から来ました』
『海歌ちゃんの声、ずっと好きで』
『今日は何層?』
最初の2件は、きのう海歌の配信の告知に『行きます。のど、お大事に』と返信した、ライブハウスのハコブネでいつも最前列にいた人だ。
いや待って。いちばん前で海歌を聴いてた人に見せられるもの、ここにないんだけど。
土曜の昼、下北沢ダンジョンの第3層。天井から垂れた白い石の先がほのかに光る、石灰岩の洞窟だ。
あたしは制服にぶかぶかのカーディガンのまま、腰に小さなアンプを提げてギターを抱えている。斜め上を、海歌から借りたドローンが飛んでいる。
片耳のイヤホンには、部室で見ている海歌の打つ文字が、読み上げで届く。
「えっと、第3層です。今日も、まあ、無事です」
歩きながら、コメントを拾う。分かれ道の手前で、ギターを構え直す。
『がんばれ吟遊詩人』
「その呼ばれ方、まだ慣れないんだけど」
職業の名前で応援されると、なんだか部活の大会みたいだ。
分かれ道の先から、乾いた足音がいくつも聞こえた。
そっとのぞく。子どもくらいの背の、緑がかった人型が4匹いて、さびた短い刃物を下げていた。ゴブリンだ。
眠りの歌なら、4匹まとめて眠らせられる。でも、とどめを刺そうと歌をやめたとたん、残りの3匹も起きてしまう。
ゴブリンは物音に集まってくる。小石を通路の先へ放ると、1匹だけがこっちへ顔を出した。
群れはこうして1匹ずつおびき出す。
カーディガンのポケットから、いつもの薄いピックを出す。首のピックとは別の、毎日部室で使っているやつだ。
弦を1本はじく。アンプの音が当たると、あたしのもう1つのスキルの《共鳴》で、ゴブリンがぴたりと止まり、胸の奥の魔石が光って鳴った。
止まっているうちに、眠りの歌に入る。海歌の歌い方で。
片耳に、海歌の読み上げが来た。
[肩、下げて]
届いたときには、あたしの肩はもう上がりきっていた。読み上げはいつも数秒遅れで届く。
肩を落として吸い直すと、お腹とわき腹がふくらんだ。
[息]
ゴブリンが膝から崩れて、眠った。
前は息継ぎのたびに、眠ったモンスターの耳がぴくりと動いた。今日は動かない。
練習、効いてるじゃん。
ここからが、きょう試すと決めてきたことだ。
水曜、しぶといスライムの魔石は、あたしのツッコミの一言で割れた。きのう部室でチューナーの針が真ん中に立ったのも、あたしが素の声でツッコんだ一瞬だけだった。
歌じゃない。一言だけ。
そう自分に言い訳して、眠りの歌をやめた。ゴブリンが目を開けかける。すぐにもう一度弦をはじくと、ゴブリンはぴたりと止まり、胸の魔石がまた鳴った。
ドローンのマイクがぎりぎり拾うくらいの小声で、その高さに語尾を合わせた。
「……いや、寝ててよぉ」
低くてかすれた、あたしの声だ。それを1秒、2秒と伸ばす。
鳴っていた魔石が、その声に応えるみたいに震えた。
ぱきん、と乾いた音がした。
ゴブリンの体が、糸がほどけるように光の粒になって消えていく。あとにはひびの入った魔石が1つ残った。
『今なんか低い声した?』
「気のせいです」
笑ってごまかした。心臓がうるさい。
『肩って何』
『息って書いてる人誰』
「コーチです。部室で見てる人」
言ってから、海歌はこの呼ばれ方を絶対に気に入る。賭けてもいい。
残りの3匹も、同じ手で割った。小声の一言は1匹ごとに短くなった。3匹目のときには、小石の音に出てくるゴブリンの間の抜けた顔まで覚えちゃったし。
4匹倒しても、まだ息が乱れていない。きのうまでなら、2匹目で肩で息をしていた。
『吟遊詩人、寝かしつけ係?』
戦いのときだけ書き込む人だ。歌の間はたいてい黙っている。
「否定できないのが悔しい」
第4層に下りると、通路の真ん中に、額に角のあるうさぎがいた。ホーンラビットだ。
弦をはじく。うさぎが止まって、小さな魔石が高く鳴った。
その高さに、海歌の歌い方で声を合わせる。
光が、強くなった。
声が魔石の高さに近いほど、光は強くなる。うさぎの胸の奥から白い光があふれて、洞窟の壁にあたしの影が大きく伸びた。斜め上のドローンの影まで、天井に映っている。
コップのふちを指ではじいたような音が、通路の奥まで響いていく。
息が続くかぎり、声を伸ばす。光は、まだ強くなる。
これまでで、いちばんだ。
『うわ明るっ』
『画面真っ白なんだけど』
『うさぎ動いた!』
でも、割れない。あたしの声は、魔石の高さの手前で止まったままだ。
うさぎが跳んだ。うさぎを止めておける時間が切れた。
角がまっすぐ胸に来る。横へ転がると、角はカーディガンの袖をかすめて、後ろの壁を突いた。
あぶな。袖に穴、開くとこだった。胸に抱えたギターは、どこにもぶつけずに済んだ。
歌で割れないなら、さっきの手だ。
眠りの歌で寝かせて、歌をやめる。うさぎの耳がぴくりと立ったところで、すぐ弦をはじき直す。止まったうさぎの胸で、魔石がまた高く鳴った。
小声で、短く。「……おとなしくしてて」の語尾を、その高さで伸ばす。
魔石が震えて、ぱきんと割れた。白い体がほどけて光の粒になり、ひびの入った魔石が転がった。
『割れた』
『今の何』
『歌じゃなくて割れた?』
「歌じゃないし。今のは、ただの一言だし」
言い訳しながら、引っかかる。まねの歌では、どこまで近づいても割れないのかもしれない。
壁ぎわに座って、息を整える。眠りの歌を続けたぶん、頭の奥が少し重い。
コメントが、さっきから同じことを言い始めている。
『戦闘より歌のほう見たい』
『戦闘配信だろ』
『さっきの歌、もうちょい聴きたい』
2件目は、戦いのときだけ書き込む人だ。
人に聴かせるつもりで声を出したことは、一度もない。
でも、今日の21人のたぶん半分は、海歌の告知を見て、海歌の歌を聴きに来た人たちだ。
海歌の歌い方なら、あたしの声を聴かせることにはならない。
「……途中までなら。海歌の曲だから」
腕のスマートフォンで、ドローンを顔の正面の高さまで下ろす。ドローンに向き直って、ギターを抱え直す。
持ち歌の「泡にならない」。海歌の声の後ろで、何十回も弾いてきた曲だ。
ピックを持つ指先が、少し冷たい。洞窟の冷えのせいだけじゃない。前奏を弾く。
歌った。
白い洞窟が、声を返してくる。
吸った息で、お腹とわき腹がふくらんだまま、しぼまない。高いところへ上がるたびに、喉の奥がきゅっと細くなって、自分の喉なのに借り物みたいだった。
ピックを持つ右手だけは、いつもどおり迷わない。サビの手前で、膝が少しだけ震えた。
画面の端を、コメントが下から上へ流れていく。ギターを抱えたあたしの顔の横を、知らない人の文字が次々に通り過ぎる。
[息]
『入りの息、海歌ちゃんのだ』
『海歌ちゃんの歌い方だ』
『サビ前の溜めも同じ』
3件とも、同じ人だった。
ハコブネの最前列の人だ。
海歌の歌をいちばん前で聴いてきた人が、海歌の歌い方を聞き分けている。
ほかのコメントも、それに乗ってくる。
『ここライブハウス?』
『シモキタ地下ライブって、こういうことか』
『鳥肌』
『戦闘配信……まあいいか』
途中まで、と言ったのに、サビの終わりまで弾いていた。最後の和音が、洞窟の奥まで転がっていって、戻ってこない。
こんなに喜んでもらえるなら、何回だってやる。
『アンコール』
『もう1曲』
イヤホンだけが、鳴らない。
いつもなら1曲で10個は来る海歌の指示が、歌い出しの[息]の1つきりだった。
画面の文字はまだ流れているのに、片耳だけが静かだ。流れていく文字のどこにも、海歌の書き込みがない。
わざと肩を少し上げてみる。[肩、下げて]は来ない。
ピックを持ったままの指が、弦の上で止まっている。
待っても、次の指示は来ない。部室の窓の前で、海歌は今、スマートフォンを持ったまま何も打たずにいる。たぶん。
ハコブネの最前列の人が新しく書いた一言を、あたしは読んだ。
『似てるけど違う』
本日(10/18 (日)) 10話まで一時間ごとに投稿予定です。
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