第44話 隠さずに聞く
今日は全部話す、と決めて来た。
木曜の放課後、冒険者協会の建物の2階にある面談の小部屋で、あたしは大鼓と並んで座っている。待っているのは、協会の調査員のルーペさんだ。
会って話したいことがあります、と昨夜ルーペさんにメッセージで頼んだ。大鼓にも、明日は来て、と自分から送った。家の用事と返ってきたら、引きずってでも連れてくるつもりだった。
長机の向こうの壁には、協会が窓口の職員に向けて書いた心得が貼ってある。
日に焼けた紙に、『窓口でのご説明は短く、要点を先に』とあった。
「窓口でのご説明は短く、要点を先に」
大鼓が真顔で読み上げた。いや、なんで音読。
しかもこの部屋で、これから説明の一番長い人を待っている。前にここで会ったときは、メッセージなら2行の話が10分になった。
戸が開いて、ルーペさんが入ってきた。紺の作業ジャンパーに調査員の腕章を付けて、首から紐でルーペを下げている。背中の大きなリュックが、戸の枠に擦れた。
「お待たせしました。そちらが、鳴瀬さんですね」
大鼓が立って頭を下げると、ルーペさんはそれより深く下げた。放っておくと、どっちが深いか比べっこが始まりそうだ。
ルーペさんは窓を背にして座り、古い手帳を長机に置いた。いつもの前置きが来る前に、あたしは口を開いた。
「先に、あたしの話を聞いてください。全部話します」
「大鼓さ、2月に『家の用事』って送ってきた日に、ほんとは片腕で1人で潜ってたの、ずっと黙ってたじゃん」
「ああ」
「あれ、あたしまだ怒ってるから。だから、あたしは隠さない」
大鼓は言い返さずにうなずいた。
身に覚えがあると、さすがに口答えはしないらしい。
「海歌が、文化祭に出る申し込み用紙で、ボーカルの欄から自分の名前を消したんです」
「声が戻らないのが怖いって。戻らなかったら文化祭であたしと歌えないから、欄を空けたって」
ルーペさんは手帳にペンを走らせている。
説明はあんなに長いのに、聞くときは一度も口をはさまない人だ。
「あと、2月に海歌から、ボーカルは心音が歌ってって頼まれてて。返事、まだしてない」
3月に大鼓に、文化祭はあたしが歌うのかと聞かれたときは、ボーカルの所は飾りだと冗談で返した。
その冗談の中身を、今になって自分で白状している。
「だから、決めたんです。5月16日の締め切りまでに、第13層の近道を通れるようにする。通れたら、ボーカルの欄に海歌の名前を書くって、海歌に言いました」
言い終えてから、冗談を1つも挟まなかったことに気づいた。
こんなに真面目に話し続けたのは、たぶん生まれて初めてだ。慣れないことをしたせいで、喉がからからに渇いている。
大鼓は黙ったまま、長机の下で太ももを指で叩き始めた。考えこむときに4つ数える、大鼓の癖だ。
とん、とん、とん、とん。
いつもより、1つずつがゆっくりだった。
「順番にまいります」
ルーペさんは手帳を閉じて、リュックから出したタブレットを長机の真ん中に立てた。
「近道の件だと思い、用意してまいりました。相手は武器を溶かしますが、音で攻撃するお二人ならいけると思ったのです」
「協会のサイトにある層の案内には、どこに何がいるかと、強い個体の印しか載せていません。習性は、挑んだ方の配信の録画を見るのが一番早いのです」
「種は、アシッドスライムです」
画面の中は白い石の洞だった。奥の壁の下に階段の口があり、その上に半透明の大きなスライムが覆いかぶさっている。階段の口がまるごと隠れる大きさだ。
ゼリーみたいな体の奥に、透けた魔石が1つ浮いていた。大コウモリのボスの魔石くらいある。でかい。
剣を持った冒険者が駆け寄って、スライムに斬りつけた。刃が沈んだ所から、白い煙が上がる。
引き抜いた剣は、先が溶けて丸くなっていた。
「いや、剣が」
続きが出てこなかった。溶かすって、こういうことか。斬ったほうの武器が、その場でなくなっていく。
録画の端を、コメント欄が流れていく。
『剣溶けた』
『ここのネームドは無理だって』
『盾も溶けるやつ』
『引き返せ』
ネームド、とコメント欄は呼んでいる。同じ場所に居ついた、強い個体への呼び名らしい。
後ろにいた弓の人が、矢を放った。矢はスライムの体を抜けて、透けた魔石に当たる。
当たった、と思ったのに、割れなかった。
魔石にひびが入りかけた瞬間、スライムの体が千切れるように分かれた。千切れた分は小さなスライムになって床を這い、魔石は大きいほうの体に残っている。
その体がさっきより一回り小さい。ひびを入れるたびに、こうやって縮んでいくんじゃないか。
2回目の矢でも、同じことが起きた。また分かれて、また縮む。
3回目に分かれたあと、スライムは急に向きを変えた。階段の口から離れた横の壁に、人がかがんで入れるくらいの細い穴が開いている。そこへ、滑るように入っていく。
弓の人が穴に矢を射こんだ。矢は奥の角の手前で岩に当たって、からんと落ちた。
「横穴です。入ってすぐ奥で折れ曲がっていて、矢も声も角の先へは届きません」
録画の中で、誰かが穴に向かって何か叫んでいる。叫び声が届いたようには、少しも見えなかった。
その隙に、冒険者が1人、階段の口へ走った。逃げられたなら、空いた階段を下りればいい。あたしも一瞬そう思った。
その人が数段下りたところで、横穴からスライムが戻ってきた。まだ何分もたっていない。
スライムは階段へ流れこむように追いかけ、仲間が2人がかりでその人の腕をつかんで引き戻した。
『戻ってきた』
『下りたやつ逃げろ』
『だから無理だって』
パーティは溶けた剣を拾わずに広間を出ていき、録画はそこで終わった。
「これまで、このスライムを倒したパーティはありません。皆さん近道は諦めて、何時間もかかる遠回りの道を使っておられます。その遠回りですが……」
壁の張り紙の『要点を先に』が、ちょうどルーペさんの頭の後ろに見えている。
横穴に逃げこまれたら、あたしの歌も届かない。
録画の止まった画面を見ながら、分かれるたびに縮んでいったスライムを思い出した。
「魔石の鳴る音の高さって、体の大きさで決まるんです。ギターの弦と同じで、でかいほど低くて、小さいほど高い」
「だから、分かれて小さくなるたびに、魔石の音が高くなる」
ルーペさんが黙った。大鼓もこっちを見ている。
あたしは喉に手を当てた。今のあたしが伸ばして保てるのは、曲の高さを決めるキーを4つ下げた高さまでだ。
その上へ行こうとすると、声はかすれて、細い裏声にひっくり返る。
分かれるたびに、あの裏声のあたりまで追いかけていくことになる。
「それから、別の件が1つあります」
ルーペさんはタブレットを伏せて、手帳を開き直した。声が少し低くなった。
「有村さんの真珠を闇サイトで売っていた、ダンジョンを拝む団体の者たちです。追い詰められて変わっていく冒険者を、配信で見ているらしいのです」
その中に、あたしの配信も入っているのかもしれない。気づくと、スマートフォンの入ったポケットを手で押さえていた。
「ですので、三浦さん。配信は、しばらく控えていただけませんか」
「録画をお見せしたのは、お二人ならいけると思ったからです。ですが、あの者たちに見られながらとなると、話が違います」
「挑むのも、やめていただきたいのです」
丁寧な言葉なのに、ルーペさんは一度も目をそらさなかった。あれだけ説明の長い人が、止めるときだけは短い。
倒したパーティが1つもない相手に、知らない誰かに見られながら挑む。ルーペさんが心配しているのは、相手の強さより、見ている誰かのほうだ。
「配信は、切りません」
自分の声が思ったより低く出た。
「近道が開くところを、海歌に聞かせたいんです。海歌はいつも、家であたしの配信を見てるから」
ルーペさんは手帳を持ったまま、黙っている。
「それに、ミナモって歌い手がいて。海歌の声で、毎週土曜に配信で歌ってるんです。大勢の前で」
「だったら、あたしも同じ配信で、あたしの声を大勢に聞かせたい」
言ってから、最後のほうが妙に得意げだったのに気づいた。何を胸を張っているんだ、あたしは。
袖で口元を隠しかけて、途中でやめた。手を膝に下ろす。
ルーペさんは、あたしではなく大鼓のほうを向いた。
「鳴瀬さん。年上の方として、止めていただけませんか」
大鼓は太ももを叩かなかった。
「止めません。止めても、心音は行きます」
「俺の知らない所で1人で行かれるより、目の前にいるほうがいい」
大鼓は伏せたタブレットを起こして、止まった画面のスライムと、あたしの間に指を置いた。
「前は、俺が立ちます」
「近道の先なら、俺が家に入れる分も、2人でなら稼げます」
いつもの「分かった」と同じ短さで、大鼓は言い切った。最後の1文だけ、少し早口だ。
大鼓は、自分の稼ぎを全部家に入れている。あたしは横の大鼓を見ただけで、何も言わなかった。
ルーペさんはしばらく大鼓を見てから、手帳に何か書いた。何を書いたのかは、こっちからは見えない。
「では、1つだけお願いします。挑む日と時刻を、必ず私に知らせてください」
「知らせます。隠さないって、さっき言ったので」
ルーペさんは、書きかけの手帳をそのまま閉じた。
◇
その夜、自分の部屋でベッドに座って、海歌にメッセージを打った。
録画で見たことと、ルーペさんに言ったことを、短くまとめる。
近道のスライム、録画で見た。3回分かれて、最後は横穴に逃げる。配信で行くし、ルーペさんに止められても切らないって言った。
送ってから、怒られるかもと思った。既読はすぐについたのに、返事がなかなか来ない。
少しして、読み上げの声を録った短い音声が届いた。今夜の声は、深夜ラジオの男の人みたいな低い声だ。
[分かれるとこで転調する「泡にならない」、わたしが編曲する]
[作曲者の許可は、とってません]
いや、とれよ。「泡にならない」を作ったのは、あたしだ。
ベッドから立って、窓のカーテンを開ける。
路地の向かいの2階で、海歌の部屋の窓が開いた。
窓越しに歌の高さを教えてくれる海歌の手のひらが、何日かぶりに上がった。




