第38話 草原の野外フェス
風に揺れていた草の中から、ホブゴブリンの頭が1つ出た。少し離れて、もう1つ出る。
革の防具と棍棒を持った、子どもより頭ひとつ高いモンスターだ。草原のあちこちで同じ頭が草をかき分けて、みんなこっちへ向かってくる。
あたしは第12層の草原の踏み分け道に立って、首のピックでギターを鳴らしながら拡声で歌っている。背中側で宙のドラムを大きく叩いているのは大鼓だ。
ふつうの声では、この草原の広さに散って届かなかった。だから、割るためじゃなく呼び寄せるために歌う、という海歌の案で歌い出したところだ。
ホブゴブリンは物音に寄ってくる。呼べば、本当に来るらしい。
『なんか来てる』
『ホブゴブリン集まってきた』
『草から頭生えてて草』
『呼んだら来るんだ』
来たのは6体だった。どれもまだ、ふつうの声が届く近さじゃない。
あたしは拡声のまま、次の一節を草原へ投げた。後ろで大鼓のバスドラムが一段重くなって、あたしの声を下から押し上げてくれる。
先頭の1体が、踏み分け道の脇の草を割って飛び出してきた。棍棒を振り上げた顔が、もうはっきり見える。
あたしは拡声をやめて、1本の弦を弾いた。ギターの音が当たると、ホブゴブリンの胸が光って鳴り、振り上げた棍棒が一瞬止まる。
その高さを、今度はふつうの自分の声で歌った。
声は散らずに、大鼓のドラムに乗って胸の光までまっすぐ届く。一節で魔石が割れて、ホブゴブリンは棍棒ごと光の粒になった。
『割れた!』
『さっきは割れなかったのに』
『一節で割れた』
来れば割れる。
次の2体が並んで走ってくる。あたしは近いほうから、ギターの音を当てて同じ高さを歌った。1体目が粒になり、2体目もすぐ後を追う。
横から来た1体は、大鼓がスティックで肩を小突いて、自分のほうへ向かせた。小突かれたホブゴブリンは、もう大鼓しか見ていない。大鼓へ棍棒を振り上げて、あたしに体の横を向けたその胸の光へ、あたしは歌った。
6体目が粒になったところで、頭の中に声が響く。
【レベルアップ。Lv21からLv22になりました】
春休みからずっと21だったのに、たった6体で上がった。
『Lv22になってる』
『呼んで割るの強すぎ』
『草原の攻略法これじゃん』
「大鼓、次呼ぶ」
「分かった、心音」
あたしはまた拡声で歌った。
今度の群れは、さっきとは比べものにならない。草原の右からも左からも、草の揺れが何本もの線になって寄ってくる。十何体いるのか、もう数えていられなかった。
大鼓は宙のドラムを連れて、あたしの背中側へ半歩出る。寄ってきた群れを、端から1体ずつスティックで小突いて受け止めていく。小突くたびにスネアの音が硬くなって、膝で鳴らすバスドラムが重くなった。
ビートが強くなるほど、割るための声は短くて済む。1体に一節かかっていたのが、半分で割れていく。
右から来た1体に音を当てて割り、振り向いて左の2体を続けて割る。その間に、大鼓はもう次の3体を小突いて、自分に引きつけていた。
1体が棍棒を投げてきても、大鼓はシンバルの縁ではじいて、そのまま叩き続ける。叩く物が1つ増えただけ、みたいな顔だった。
呼んで、来させて、割って、また呼ぶ。曲の1番から2番へ入ったときみたいに、2回目は手が勝手に動いた。
『これもう野外フェスだろ』
『草原ステージ』
『入場止まらんw』
『客みんな棍棒持ってる』
『ヘッドライナーがギターボーカルさん』
コメント欄は、戦いの実況から、客席の野次みたいな調子に変わっていた。
腕の画面の同時接続数が、見るたびに上の桁から変わっていく。
あたしは2つ目の群れで最後に残った1体を、大鼓のシンバルと同時に粒にした。
【レベルアップ。Lv22からLv23になりました】
「報告する。俺も23だ」
「いや、それ毎回言うの?」
「俺の頭に響く声は、心音には聞こえない。毎回上がるなら、毎回言う」
『ドラムの人の報告助かる』
『律儀か』
[言ったでしょぉ。一気に上がるって]
片耳のイヤホンに届いた海歌の読み上げは、機械の声のくせに得意げだった。
コメント欄の流れに、見慣れない書き方が混じり始めた。
『ダンジョンは全然わからないけど』
『フェスみたいな配信あるって聞いて来た』
『この低い声すき』
『ベースみたいに響く声だね』
歌いながら、腕の画面の端でそれを一度だけ見た。
ホブもレベルも出てこない書き込みが、あたしの声のことだけを書いている。少し前に張り上げて裏返り、笑われたのと同じ声だ。
顔が熱いのは、拡声で歌いすぎたせいにしておく。
同時接続数は、始めたときの6倍の900を超えていた。
「次で最後にする」
「分かった」
あたしはお腹に息をためて、今日いちばん大きく拡声で歌った。声が草原の奥まで広がっていく。
返ってきたのは、今までで一番大きな群れだった。
ホブゴブリンの群れより前を、もっと速いものが走ってくる。草の上に背中だけを出して、まっすぐこっちへ伸びてくる線がいくつもあった。
ダイアウルフだ。肩の高さが1メートルを超える狼が10匹ほど、群れの先頭を駆けてくる。
あたしの声に呼ばれたのは、ホブゴブリンだけじゃなかったらしい。
『狼来た』
『速っ』
『先頭が狼はやばいって』
あたしがギターの音を当てるより先に、狼は大鼓のところへ飛びこんでいた。
大鼓は先頭の1匹をスティックで小突いて受け止め、次の鼻先を払う。払ったところへ、もう1匹が真横から跳んだ。
大鼓はその牙をスティックで受けた。
乾いた音がして、スティックが真ん中から折れる。縦にひびの入っていたほうの1本だ。
ドラムの音が止まった。
『折れた!?』
『スティック!』
『やばいやばい』
ビートが切れた途端、狼が2人の内側まで入りこんできた。あたしは大鼓と背中を合わせて、草の上をじりじり押されて下がる。
目の前の狼にギターの音を当てて歌う。さっきまで半分の節で割れていた魔石が、いつまでたっても光ったまま鳴っている。
ビートがないと、こんなに長い。
狼の牙が、ギターのヘッドのすぐ先で鳴った。あたしはネックを胸へ寄せて、もう半歩下がる。
割れる前に、横からもう1匹が回りこんでくる。狼の後ろには、まだホブゴブリンの群れが続いていた。このままだと、2人ともここで囲まれる。
『囲まれてる』
『ドラムの人が』
『逃げて』
背中で、折れた半分が草に落ちる音がした。
すぐに、膝のバスドラムが鳴った。
スネアが続く。残った1本では、さっきより音が1つ足りない。それでも、ずれずに同じ速さで戻ってきた。
「止めない」
大鼓は背中越しにそれだけ言った。
あたしは背中から聞こえるバスドラムの一打に、歌い出しをそろえた。
ビートに乗った声が、すぐに太く強くなる。鳴りっぱなしだった魔石が、一節の終わりで割れた。
『戻った!』
『1本で叩いてる』
『背中合わせ熱すぎ』
『押し返してる』
『狼減ってきた』
左から跳んだ1匹を、大鼓が振り向きもせずにスティックで小突く。狼の首が大鼓へ向いたところで、あたしはその胸の光へ歌って割った。
右の1匹も、同じ順で粒になる。
背中を合わせたまま、2人で草を踏んで一歩ずつ前へ出た。入りこんでいた狼が、1匹ずつ減っていく。
『さっきより強くない?』
『1本のほうがキレてる』
最後の狼が、大鼓の前で牙をむいた。
大鼓がスティックを振り下ろす。バスドラムが鳴る。
その一打に合わせて、あたしは歌った。
狼の魔石が割れた。
後ろから来ていたホブゴブリンも、同じビートの上で次々に割れていく。
最後の1体が光の粒になった。
【レベルアップ。Lv23からLv24になりました】
「報告する。24だ」
大鼓の手が止まって、宙のドラムが鳴りやむ。
あたしもギターの弦から指を離すと、聞こえるのは草を揺らす風だけになった。
喉がひりひりして、息が上がっている。押し返せたのは、ぎりぎりだった。
『全部割った!』
『ぎりぎりどころか圧勝』
『押されてから押し返すの最高』
『最後の狼、ドラムと同時に割れた』
『鳥肌』
[今の歌、いちばんよかった]
さっきと同じ機械の声なのに、今度はまっすぐ耳に入ってきた。
『アンコール』
『アンコール!』
『また来たい』
『ダンジョン知らないけど、また来る』
『次いつやるの』
ダンジョン目当ての書き込みと初めて来た人の書き込みが、同じ言葉で並んでいた。
腕の画面に出ているドローンの電池の残りは、ここから戻る分しかない。
大鼓は草の中にしゃがんで、散らばった魔石を拾い集め始めた。折れたスティックの半分も拾って、後ろのポケットに差す。
「47個だ。売れば、俺が1人で潜る日の稼ぎの52日分と少しだ」
「この場で割り算しないでよ」
「した。合っている」
魔石の袋を腰に提げて立ち上がると、大鼓は草原の向こうの岩壁を見た。
海歌のチョーカーを壊せる物は、深い層で出ることが多いと聞いている。5月16日には、文化祭の申し込みも締め切られる。それまでに、少しでも下へ近づいておきたかった。
「今日のうちに、あの岩壁の、第13層への階段まで行く」
「戻る分の時間を使うことになる」
「うん」
「帰りの途中で電池が切れる。そうしたら、海歌が見られなくなる」
「分かってる」
岩壁の下に着いたのは、それから25分後だった。踏み分け道は岩の割れ目の前で終わっていて、その奥に下りの階段が続いている。
階段の奥から、冷たい空気が上がってくる。下りるのは、次に来たときだ。
あたしはドローンのカメラに向き直る。
「今日はここまで。聞いてくれて、ありがと」
拡声もギターも使わずに、ふつうの自分の声で言う。
帰りの草原の途中で、頭の上のドローンが短く鳴って、草の中へ下りてきた。腕の画面の配信は、そこで切れた。
拾い上げたドローンに傷はない。第11層の通路には今日も大猿の群れが座りこんでいた。大鼓が1本のスティックでソロを叩き、群れがそれを聞いている間に、2人で通り抜けた。
◇
協会の建物の1階に上がると、スマートフォンが続けて震えた。
海歌からのメッセージが、何件もたまっている。
配信切れた
だいじょうぶ?
電池? 電池だよね?
ふたりとも、けがしてない?
上がったら、ひとことちょうだい
返事を打とうとした指の先で、D-Tube の通知が1件、メッセージの下に届いていた。
題は、〔草原で野外フェスを始めたギターボーカルさん〕。
再生の数は、もう2万回を超えていた。




