第37話 届かない声
腰まである草をかき分けて、あたしは踏み分け道を歩いていた。
今日の配信の題は、〔下北沢ダンジョン〕第12層、草原を渡る。
第11層の通路には、昨日の帰りも今朝も大猿の群れが座りこんでいた。どっちも、仲間のドラマーの大鼓が宙に浮くドラムでソロを叩きながら、群れの間を通り抜けた。
『今日のソロもよかった』
『帰りもソロあるよね?』
『ドラムの人のソロ目当てで来てる』
『ギターボーカルさん本体は?』
いや、あたしの配信なんだけど。
草原は、天井がどこにあるのか分からないくらい広い。弱い風が吹くたびに、草が同じ向きに倒れていく。
踏み分け道は草の海を1本だけ通っていて、その先の岩壁に、第13層への階段の口が小さく見える。
道の両側の草むらからは、ホブゴブリンの頭や狼の背がところどころのぞいているけど、どれも遠くて、こっちへ来る様子もない。
あれを割るには、声をあそこまで届かせるしかない。
あたしは首から紐で下げたピックを外した。海歌の歌い方をまねずに、自分の声で歌うときに弾く、あたしのピックだ。
腰のアンプのつまみを上げ、いちばん近いホブゴブリンへ一音を弾く。アンプの音は草の上を渡り、草の中でホブゴブリンの胸の魔石が同じ高さで光って鳴りだした。ギターの音なら、ここからでも届く。
あとはいつもどおり、鳴っている魔石と同じ高さを自分の声で歌えば割れるはずだった。
ところが、ギターに合わせて太く強くなったはずの声は、口を出たとたんに草の上で薄まって消えていく。遠くの光はいつまでも鳴り続けるだけだった。
『光った』
『でも割れない』
『昨日の洞窟だと一発だったのに』
『遠すぎ?』
届いてない。
昨日の洞では、壁と天井に跳ね返った声が段の上まで運ばれていた。ここには、跳ね返してくれる壁がない。
声が小さいなら、大きくすればいい。
あたしは歌の声を張り上げた。
お腹から押し出した声が、ギターの鳴らす高さにとどまれずに、上へ引っぱられていく。ギターの高さを離れたとたん、低いところにいた声がひっくり返った。裏返った声は、高くなったり戻ったりして揺れている。
自分の声なのに、どこへ行くのか分からない。
揺れた声では魔石は割れない。張り上げた分の声も、結局は草の上に散っていく。
今の、配信のマイクに全部入ったよね。
『え、今の何』
『声ひっくり返ってて草』
『低いとこから急に裏返るの笑う』
『もう1回やって』
『今の切り抜きたい』
コメント欄があたしの声で笑っていた。
中学の音楽の時間と同じだ。教室のどこかで上がった笑い声が、あっという間にまわりへ広がっていくのを、あたしは笑って聞いているしかなかった。
気づけば、外したピックを指先でいじっている。落ち着かないときの癖だ。
今の裏返った声を聞いた人は、見ている間にも増えていく。腕の画面の同時接続数は、配信を始めたときの150くらいから、1つずつ上がっていた。
いつもなら喜ぶ数字なのに、今は1つ上がるたびに胃が縮む。
ここから先も、増えた人の前で歌うことになる。次にまた裏返ったら、その全員が見る。
大鼓は何も言わない。遠くのホブゴブリンから目を離さずに、あたしの次の声を待っている。
あたしは次の一節を、小さな声で歌いかけた。
ギターの音より小さい声だった。これなら、配信のマイクにもほとんど入らない。
そのうえ、カーディガンの袖を口元へ持っていきかけている。
小さく歌って袖で隠せば、誰にも笑われない。中学のあの日から、あたしはずっとそうしてきた。
袖が口に届く前に、あたしは手を下ろした。
喉で張り上げて届かないなら、魔法で大きくすればいい。あたしが使ったのは、声をうんと大きくして相手にぶつける拡声だ。
上の層では、眠りの歌で眠らせたスライムに顔を寄せて使ってきた。大きな声を浴びたスライムは体がぶるぶる震え、最後ははじけて、光の粒になって消える。
その拡声の声で同じ高さの一節を歌うと、今度の声は散らずに草原の遠くまで鳴り渡り、草の中のホブゴブリンが一斉に顔を上げた。
狼も草の上に首を伸ばしてこっちを見ている。ばらばらに散っていたのが嘘みたいな数だ。
『全員こっち見た』
『こわいこわい』
『狼もいるじゃん』
ところが、一節を歌い終えて声を止めても、遠くの光は1つも割れていなかった。顔を上げていたモンスターたちも、また草の中に頭を沈めてしまう。喉の奥が少しざらざらする。
拡声の声じゃ、何度歌っても魔石は割れない。
「1体ずつ、近づくか」
大鼓が遠くの草を見たまま聞いた。
近くまで行けばふつうの声でも届くけど、草原は広いし、モンスターはあちこちに散っている。腕の画面を見ると、ドローンの電池が切れる前に戻る分を残して、使えるのはあと25分ほどだ。
「歩いて回ってたら、何体も割らないうちに時間切れだよ」
「そうか」
大鼓は遠くの草へ目を戻した。腰の魔石の袋には、今朝の鍾乳洞で割った狼の魔石が3つ入っている。
片耳のイヤホンに、海歌がスマートフォンに打った文を読み上げる、機械の声が届いた。声の出ない海歌は、家で配信を見ている。
[拡声は、割るんじゃなくて、呼び集めるのに使うの]
[草原じゅう集めちゃえ。レベル一気に上がるよぉ]
ホブゴブリンは、物音が鳴りやまなければ寄ってくる連中だ。さっきは一節で声を止めたから、顔を上げても頭を戻しただけだった。
その使い方は考えてもみなかった。歌のことになると、海歌は冗談でごまかさない。
大鼓が自分の腕の画面で海歌の書き込みを読み、一度うなずいた。
「集まれば、魔石が増える」
真顔で言われると、もう決まったことに聞こえる。
『ドラムの人もう数えてる』
『全部来たらやばくない?』
拡声で歌えば、割れなくても、あたしの声は草原の端まで聞こえる。今まで歌ってきたのは、高さを合わせて割れたら止める、魔石を割るための歌だった。
レベルが一気に上がれば、海歌のチョーカーを壊す物が出るという深い層へ、それだけ早く近づける。
今度は聞かせるために歌う。
あたしは指でいじっていたピックを弾く形に持ち直し、大鼓のドラムに乗せやすい速い曲を、いつも弾いている中から1つ選んだ。
「大鼓。いちばんでかい音で叩いて」
「分かった。いちばんでかい音だな」
言葉どおりに受け取って、本当にいちばんでかいのを出す気だ。
大鼓の腰のまわりに、宙に浮くドラムが輪になって現れた。大鼓は両手のスティックを高く振り上げ、シンバルを思いきり叩き下ろす。
明るい音が草原の上を渡っていった。
『え、何するの』
『ドラムの人の構えガチ』
持ち直したピックで、最初の和音をかき鳴らす。
息を吸った。袖は下ろしたままだ。
あたしは拡声で歌い出した。
低い声が、草原の果てまで響いた。
その下で大鼓のバスドラムが鳴り、スネアがビートを刻んで、あたしの声を前へ押し出していく。バスドラムの低い音は、草の根もとを伝って足の裏まで届いた。
振り返らなくても、大鼓がどこを叩いているか分かる。バスドラムが鳴るたびに、背中を押される。
風に倒れる草の真ん中で、あたしは口を大きく開けて歌った。
頭の少し上で、ドローンがこっちを向いて浮いている。いつもなら、レンズから顔をそらしているところだ。
今日はそらさない。
拡声の声は、あたしの耳にも大きく返ってくる。低くてかすれた、いつもの声だ。
それでいい。
『声でけえ』
『始まった』
『ギターボーカルさん本体きた』
『低い声えぐい』
一節が終わっても止めない。息を吸い足して、次の一節へそのまま入る。
サビへ上がる所で、声が上の端に近づいた。
さっきはここで裏返った。
張り上げずに、出る高さのまま拡声に任せる。声は揺れないまま、草原の向こうまで出ていった。
『ドラムの人本気出した』
『これ割るためじゃなくない?』
『普通に曲じゃん』
『サビまで声通ってる』
『鳥肌』
さっきの笑う書き込みは、次々に流れてくる書き込みに押し上げられて、画面の外へ消えていった。
同時接続数は、300を超えている。さっき裏返った声を聞いた人も、この中にいるはずだ。今は、そっちを気にしている暇がない。
大鼓は真顔のまま、サビの頭でシンバルをもう一度叩いた。
遠くの草の中で、ホブゴブリンが顔を上げた。
今度は頭を草の中へ戻さない。
風の向きとは関係なく、あちこちで草が揺れ始めた。
どの揺れもこっちへ向かってくる。




