第36話 洞の上まで届く声
通路を抜けたとたん、頭の上で遠ぼえが1つ鳴った。
遠ぼえは洞の壁に跳ね返って、2つにも3つにも重なる。右の上から聞こえたと思ったら、もう左の上からも聞こえていて、どこで鳴いているのか分からない。
大猿の群れが座りこんだ通路を、大鼓のドラムだけで抜けてきたばかりだ。息をつく暇もくれないらしい。
出た先は鍾乳洞だった。見上げても、暗くて天井が見えない。
白い岩が、でっかい階段みたいに、上へ上へと段になって重なっている。あたしと大鼓は、その底の真ん中に立っていた。いちばん奥の壁にぽっかり開いた黒い穴が、第12層へ下りる階段だ。
大鼓が一歩出ると、その足音まで上のほうから返ってきた。
ここで大声を出したら、たぶん洞じゅうに聞こえる。
岩の上のあちこちに、影が立っていた。
1つではない。高さの違う岩の上に大きな狼が1匹ずつ立って、底にいるあたしたちを見下ろしている。
ダイアウルフだ。協会のサイトに載っていた狼で、肩の高さだけで、あたしの胸くらいある。
1匹がほえると、別の岩にいる1匹がほえ返した。
囲まれている。しかも上からだ。
『狼でかい』
『上にもいる』
『何匹いるのこれ』
いちばん低い所でも、あたしの背よりずっと高い。遠い所は、底から30歩は離れていそうだった。
あたしのギターも、大鼓のスティックも、あそこまでは届かない。
このままだと、大猿の通路に続いて、ここでも見ているだけになる。
低い所の狼が2匹、左右から同時に飛び降りた。
着地の音が響き終わる前に、2匹とも床を蹴ってこっちへ来る。
「大鼓、両側」
「分かった」
大鼓が、宙にドラムを出して叩く《グルーヴ》で、自分の腰の周りをぐるりとドラムで囲んだ。
大鼓は右から来た1匹の鼻先をスティックで叩いた。叩かれた狼が大鼓へ向き直る。左の1匹も、次の一打で大鼓のほうを向いた。
狼の牙が、大鼓の膝のすぐ横で鳴る。大鼓はそれをスティックで払いながら、膝でバスドラムを踏むように鳴らした。手のスネアも止まらない。
ビートは一度も崩れなかった。下は大鼓が受け止めてくれる。
叩かれた2匹は、牙が届かないと見るなり岩の上へ跳び戻った。代わりに、別の所から別の狼が下りてくる。
高い所の狼は、それ以外は1匹も下りてこない。こっちを見下ろしたまま、段から段へゆっくり移っていくだけだ。
こっちが疲れるまで、上で待つつもりだ。
『ドラムの人が下で止めてる』
『上のやつら降りてこないな』
『これずっと続くの?』
「心音。上は俺じゃ無理だ」
「知ってる」
上を割れるのはあたしだけだ。首のピックを紐から外す。
ギターの音を当てて魔石の高さを探し、同じ高さを自分の声で歌えば割れる。
狙うのは、いちばん高い所でほえていた1匹にした。いちばん遠いのを割れたら、ほかのどれでも割れる。
腰のアンプの音を上げて、弦を1本ずつ鳴らしていく。ギターの音が洞の壁に跳ね返りながら、天井のほうへのぼっていった。
何本目かで、高い所の狼の胸が白く光った。
光った胸から、細く澄んだ音が鳴りだす。狼は一瞬だけ足を止めて、すぐにまた岩の縁を歩きだした。
止まるのは初めの一瞬だけだ。でも、あたしがこの弦を鳴らしているかぎり、あの魔石は光って鳴り続ける。
問題はここからだった。
ギターの音は、アンプが上まで運んでくれる。あたしの声には、アンプがない。
あとは、この洞の響きに賭けるしかない。
あたしは、その弦を鳴らし続けたまま、上を向いた。
息を吸って、同じ高さを自分の声で歌いだす。
ギターの音に重なった声が、のどの奥でびりびり震える。その声が壁に跳ね返って、上へ、上へとのぼっていく。
洞じゅうから、自分の声が返ってきた。
『歌った』
『声めっちゃ響く』
『上向いて歌ってる』
下で、大鼓のスネアが硬く鳴っている。
高い所で、狼の胸の光が強くなる。
狼が足を止めて、あたしのほうを見下ろす。
魔石が割れた。
狼は岩の縁に立ったまま、光の粒になってほどけていった。
ここなら届く。
『え』
『上の割れた!?』
『触ってないのに』
『あんな遠くまで?』
『今の声で割ったの』
大鼓が、足もとの狼をスティックで払いながら上を見た。
「今のは、ここから25歩ある」
「いや、数えるとこそこ?」
残りの狼も、段の上にいるまま1匹ずつ割った。下りてくる狼は大鼓が叩いて追い返し、割れた魔石は岩の縁から転がり落ちてくる。
最後の1匹が光の粒になると、洞に水の滴る音が戻ってきた。
大鼓が、拾い集めた魔石の袋をのぞく。
「7つだ」
上の段から転がってきた分まで、大鼓は1つ残らず拾ってくれていた。
『声よすぎ』
『この洞窟で聞くの反則』
『低い声がこんなにかっこいいとは』
『ギターボーカルさん、もっと歌って』
『上まで全部届いてた』
腕の画面を、ほめる言葉が次々に流れていく。
低い声がかっこいい、という知らない誰かのコメントで目が止まった。
「……ありがと」
『返事した』
『しゃべった!』
『ギターボーカルさんがお礼言った』
『今の聞いた?』
片耳のイヤホンに、海歌の読み上げも届いた。声の出ない幼なじみが、部室で配信を見ながら打った一言だ。
[ファンサだよぉ]
部室で、にやにやしながら打っている顔が浮かぶ。
いや、なんで返事してんの、あたし。
「心音。誰と話している」
「誰とも話してない」
大鼓は首をかしげたまま、袋の口を閉じた。
◇
洞の奥の階段を下りきると、正面から風が来た。
あたしの腰まである草が、見渡すかぎり続いている。上のほうがぼんやり白く明るくて、風が吹くたびに、草がいっせいに同じほうへ寝る。
第12層の草原だった。洞の岩の匂いが、ここでは草の匂いに変わっている。
腕の画面の端で、ドローンの電池が減っていく。大猿の通路で、思ったより時間を食った。帰り道の分を残すと、この草原を渡る時間はもうない。
「今日はここまでだ」
「うん。続きは明日」
大鼓が先に、来た階段のほうへ向きを変えた。
引き返す前に、あたしはもう一度だけ草原を見渡す。
「……広すぎでしょ」
思わず漏れた声は、どこにも跳ね返らずに草の上で消えた。




