第34話 ボーカルのとこは
ロビーで待っていた海歌は、あたしのかすれた声を聞くなり、水のペットボトルを差し出してきた。
協会の建物の1階、地下から上がってくる階段を出た所だ。第11層でジェネラルの魔石を割って、大鼓と2人で転移陣から戻ってきたところだった。
配信を切る前に、海歌からは、協会で待っている、とだけ届いていた。
「ありがと。もう来てたんだ」
お礼の声まで、紙やすりでこすったみたいにがさがさだ。
海歌がスマートフォンを打つ。今日の読み上げは、遊園地の迷子のお知らせみたいな、やけに明るいお姉さんの声だった。
[水。しゃべらない]
[なお、本日の三浦さんの声は、売り切れとなりました]
「いや、勝手に売り切れにしないで」
言ったそばから喉がざらついて、あたしはおとなしくペットボトルのふたを開けた。
カーディガンのポケットの中で、広場で外したままの首のピックが指に当たった。
「海歌。待たせた」
[ぜんぜん待ってないよぉ。体感で3時間くらいしか]
「それ、けっこう待ってるから」
「先に売ってくる」
大鼓はそれだけ言って、ロビーの向かいの買い取り窓口へ歩いていった。
窓口の台で袋の口を開けて、魔石を1つずつ並べていく。うずらの卵ほどの魔石が11個と、握った拳ほどもあるジェネラルの魔石が1つ。どれにも、あたしの声で割ったひびが1本ずつ入っている。
ジェネラルの魔石を置いたときだけ、台がごとりと重い音を立てた。
12個も並ぶと、窓口の台が狭く見える。
職員が数えて、画面に打ちこむ。
「お待たせしました。魔石の買い取り、3万2,400円になります」
頭の中で、別の額が勝手に横に並んだ。
3週間前の夕方、同じ窓口で、三角巾の大鼓が受け取った2,130円だ。
桁からして違う。
あの日、大鼓は片手で千円札2枚をつまんでいた。今日は治った両手でトレーを受け取って、載った札を真顔で見下ろしている。
「俺が1人で回った日の、15日分だ」
「15日分って、細かくない?」
「正しくは、15日と少しだ」
「そこ直すんだ」
「全部、心音の声で割った」
照れも何もない、いつもの報告の声だった。
顔が熱くなる。喉のせいにしておく。
隣で、海歌の親指が動いた。2,130円の日は、画面の上で止まったまま何も打たなかった親指だ。今日は止まらない。
[ごちそうさまです、心音さま]
「いや、おごるって言ってないし」
また喉がひっかかって、海歌に水を指さされた。
ロビーの長椅子に、3人で並んで座った。真ん中があたしで、右に大鼓、左に海歌がいる。
大鼓は受け取った札と小銭を、膝の上で分け始めた。
1万円札、5千円札、千円札、100円玉と、同じものを1つずつ、2つの山に配っていく。こういう所だけ、やたらと手際がいい。
配り終えると、大鼓は片方の山を、あたしの膝の上へ押してよこした。
「稼ぎの半分だ。心音の分」
膝に載った札の山を、あたしは両手で包むように持つ。そうしていないと、長椅子から滑り落ちそうだ。
大鼓は残った山を数え直さなかった。パーカーの内ポケットから折り目のついた茶封筒を出して、札も小銭もそのまま全部入れる。
財布のほうには、100円玉1枚も残らない。
「ちょっと。少しは自分に使いなよ。スティック、ひび入ってんじゃん」
「まだ叩ける」
「じゃあせめて、帰りにジュース1本とか」
「半分ずつと、腕を治した日に決めた。俺の半分は、家に入れる」
あたしはジュースの話を引っこめた。
大鼓が封筒をパーカーにしまう。
その右手が腰の高さまで上がりかけた。何もない宙の、ダンジョンの中ならスネアが浮いている辺りだ。
協会の1階に、宙のドラムは出ない。
右手は何も叩かずに下りた。太ももも叩かない。考えるときにいつも4つ数える指も、膝の上で動かなかった。
あの手は、ダンジョンを出るたびにこうやって下りるのかもしれない。
あたしはそれを見ていたけど、誰も何も言わない。
やっぱり、空気を変えたのは海歌だった。
海歌がスマートフォンの画面を、あたしと大鼓のほうへ向ける。さっきの配信の録画だ。
広場の真ん中で、画面の中のあたしが、かすれた声で「ギターボーカル」と言う。コメント欄が、ギターボーカルさん、で埋まっていく。
録画で見るあたしは、膝をついたまま、思っていたより小さかった。
海歌は家で、あたしがこの名前を言うのを聞いていたんだ。
『戦い方おかしい2人が、なんで勝てるの』
『去年の新宿の、人形1体ででかいオーク3体倒した配信以来の謎勝ち』
『ドラムの人、勝っても真顔なの草』
「てか、本人の前で録画流すのやめて」
海歌の親指が画面の端で動いた。
[ギターボーカルさん、ファンです。サインください]
「いや、隣の家に住んでるファンって何」
[ファン歴は、幼稚園からです]
「古参すぎるでしょ」
突っ込むたびに喉がざらつくのに、笑ってしまう。
大鼓があたしの肩ごしに画面をのぞきこんだ。
画面に映った自分の背中を、しばらく見てから口を開く。
「ギターボーカルは、ギターを弾きながら歌う人のことだろう。ボーカルなら、文化祭は心音が歌うのか」
喉に残っていた水の味が、急にしなくなる。
大鼓の顔は、窓口で額を見たときと同じ真顔だった。
海歌の顔は笑ったままで、親指だけが画面の上で止まった。
膝に置いていた海歌の空いたほうの手のひらが、少しだけ浮く。窓越しの練習で、歌い出しの高さを教えるときの形だ。
振替休日の朝の窓を思い出した。ガラスに押し当てられた申し込み用紙と、[ボーカル、心音が歌って]。あたしは、5月16日の締め切りまでに答えると言った。
あの朝の窓のことを、大鼓は知らない。
画面の中では、録画のあたしがまだ広場に立っていて、コメントがギターボーカルさんと呼び続けている。
ポケットの中で、首のピックの角が指に食いこむ。
番号札の呼び出しの音が、ロビーに1つ鳴った。
大鼓は、あたしの答えを待って黙っている。海歌は画面から目を上げない。
用紙のボーカルの欄に書いてあるのは、海歌の名前だ。
あたしはいつもの冗談を選んだ。
カーディガンの袖を口元まで持っていく。
「ないない。ギターボーカルの、ボーカルのとこは飾りだから。メインはギター」
がさがさの声のおかげで、いつもより軽く言えた。
大鼓は一度うなずいた。
「分かった。ギターが主か。心音らしい」
大鼓が言うと、本当にそういうことに決まってしまう気がする。
海歌のほうからは、すぐには何も届かなかった。
海歌は少し遅れて、声の出ないいつもの笑い方で肩を揺らした。止まっていた親指が動く。
その遅れた分だけ、あたしは息を止めていた。
[じゃあ、サインも飾りでいいです]
[なんちゃって]
海歌の手のひらが、膝の上に下りた。
海歌の画面では、録画のコメントがまだ流れている。
『ギターボーカルさん、次も頼む』
『ギターボーカルさんの声よかった』
ボーカルの席は海歌のまま守れたと、あたしは思った。
あたしはポケットから首のピックを出して、紐に通し直した。
大鼓は封筒の入ったパーカーの胸を、上から一度押さえる。
海歌は録画を流したまま、画面を見ていた。
海歌の手のひらは膝に置かれたまま、もう上がらなかった。
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並行して『弱虫ダンジョン配信者の僕、宿った本物の殺人ピエロに体を貸したら『演技うますぎ』とバズった』も連載しています。同じ作者名のページから読めます。
次回から「声の散る草原」が始まります。




