第32話 宙に浮くドラム
ゴブリンジェネラルがほえると、座っていたホブゴブリンが一斉に立ち上がって、こっちへ走り出した。
第11層の、3本の通路が集まる広場だ。格上の群れだと分かっていて、あたしと大鼓は自分から踏みこんだ。
十数体ぶんの足音が、高い天井から倍になって返ってくる。数えなくても、多すぎるのは分かる。
「眠りの歌いくから、大鼓は耳栓!」
大鼓がパーカーのポケットからオレンジ色の栓を出して、両耳に押しこんだ。
あたしは首のピックで弦を鳴らして歌い出した。海歌の窓へ向かって、2月24日の朝から毎晩練習してきた古い曲だ。低い声の歌手のゆっくりした歌に、眠りの魔法を乗せる。
先頭のホブゴブリンの足が鈍った。振り上げた棍棒まで、水の中を動くみたいにのろくなる。
眠り込みはしない。この層の相手には、遅くするのが精いっぱいだ。
のろくなった群れの後ろを、ジェネラルだけが同じ速さで歩いてくる。大人の男より大きい体に重い鎧を着て、大剣を片手に提げたままだ。
ジェネラルがもう一度ほえた。
のろのろしていたホブゴブリンが頭を振って、1体ずつ元の速さに戻っていく。
『眠ってなくない?』
『ドラムの人の耳栓オレンジなの、ちょっとかわいい』
『やばくね』
ジェネラルの前じゃ、眠りの歌は効かない。
あたしは歌をやめて、大鼓の肩を叩いた。大鼓が耳栓を外して、ポケットに押しこむ。
「朝と同じでいく」
「分かった」
大鼓は前へ出て、いちばん近いホブゴブリンの肩をスティックで叩いた。
叩かれた1体がのけぞって、大鼓のほうへ向き直る。これでもう、あのホブゴブリンは大鼓しか見ない。
大鼓は左手で自分の太ももを叩き、右手でまた肩を叩く。4つ目の一打で、乾いていた音がずしりと重くなった。
朝から何度も聞いてきた音だ。この重い音に声を合わせれば、あたしの歌は短くて済む。
あたしはその1体へ弦を鳴らした。腰に提げたアンプからギターの音が飛んで、ホブゴブリンが一瞬止まる。革の防具の下で、うずらの卵ほどの魔石が光って鳴った。
その高さを、大鼓の重い音に合わせて短く歌う。
魔石にひびの入る音がして、ホブゴブリンは光の粒になってほどけた。
大丈夫。ここまでは朝と同じだ。
大鼓はもう次の1体の顎を叩いていて、あたしもすぐ弦を鳴らす。
横から振られた棍棒を、大鼓はスティックで受け流して、そのまま相手の肩を叩き返した。叩く音は、受けている間も1つもずれない。
2体目も、3体目も、同じ形で割れていく。床に、ひびの入った魔石が3つ転がった。
『割れた!』
『中層でも声で割った』
『3体目!』
『吟遊詩人つええ』
『朝より速くね』
「いけるじゃん」
声に出したら、本当にいける気がしてきた。
ジェネラルがほえた。
大鼓に叩かれて大鼓を向いていたホブゴブリンまで、首をひねってジェネラルのほうへ向き直る。ばらけていた群れが、ほえる声1つで列にそろい直した。
3体割ったのに、群れのほうは少しも崩れていない。
大鼓がすぐ手前の1体を叩き直す。向き直ったのはその1体だけで、残りは列のまま動かない。
しかも列の端から、数体が横へ回りこんでくる。向かう先は大鼓じゃなく、歌っていたあたしだ。
物音に寄ってくる相手には、あたしの声がいちばんの目印になるらしい。
『横から来てる』
『吟遊詩人ちゃん逃げて』
『きりがない』
大鼓が、回りこんだ1体の膝を蹴ってあたしの前へ戻ってきた。蹴られたホブゴブリンは大鼓を追いかけて、また大鼓の前に並ぶ。
大鼓の息は、朝の通路で戦っていたときよりずっと荒くなっている。
割るなら、群れを動かしているジェネラルの魔石だ。
あたしはジェネラルへギターを向けて、いちばん低い弦を鳴らした。
ジェネラルの大きな体が一瞬止まる。鎧の胸の奥で、握った拳ほどもありそうな魔石が光って鳴った。
低い。あたしの声のいちばん下に、すぐ近い。
出せる高さだ。ただ、あれだけ大きい魔石だと、同じ高さを長く歌い続けないと割れない。
だから、合わせる音を手元で鳴らしておく。
止まった一瞬のうちに、首のピックで、魔石と同じ高さの一音だけを弾いた。和音にはしない。音が消えかける前に、同じ弦をまた弾く。
腰のアンプから、低い一音が途切れずに鳴り続ける。
あたしはその音に声を重ねて、同じ高さで歌い出した。
弾き語りなら、いつもやっていることだ。ギターに乗っていれば、高さは迷わない。
とたんに、ジェネラルが大剣を振り上げてほえた。
大剣は上がったまま、下りてこない。斬りに来るでもなく、その場でほえるだけだ。
あんな物を振り上げておいて、振り下ろしてこない。こっちへ来られるよりはましでも、気味が悪い。
ほえる声がお腹の底まで響いてくる。
自分の声が聞こえない。
聞こえるのは、腰のアンプから鳴り続けているギターの一音だけだった。
右手はまだ同じ弦を弾いている。ギターは魔石と同じ高さで鳴っているのに、喉の中で、あたしの声だけがぐらりと揺れた。魔石の光がすっと消えた。
ここまで歌い続けた分は、初めからやり直しだ。合わせる音が鳴っていても、自分の声が聞こえなければ保てない。
『今いけそうだったのに』
『ほえ声でかすぎ』
『歌かき消された』
『ジェネラルずるいだろ』
ギターの一音を鳴らし続けたまま歌い直しても、同じ所で大剣が上がり、ほえる声にあたしの声だけが消された。悔しくて、奥歯に力が入った。
あたしが立ち止まって歌っている間にも、横のホブゴブリンは近づいてくる。大鼓がそれを1体ずつ叩いて、自分の前へ引き戻していた。
『ドラムの人1人で止めてる』
『ジェネラル手前で待ってるだけ』
『動かないのが怖い』
ジェネラルが短く2回ほえた。今度のは、群れへの号令だった。
ホブゴブリンが左右に分かれて、大きく回りこんでくる。棍棒の先が床をこする音が、あたしたちのまわりを一周していく。
気づいたときには、群れの輪の真ん中で、あたしと大鼓は背中合わせになっていた。こんなときでも、大鼓の背中は少しも下がってこない。
あたしの正面の奥に、ジェネラルがいる。入ってきた通路は、背中の大鼓の側だ。
「後ろの通路の前に、3体いる」
大鼓が、見たとおりの数を言った。
あたしには見えない側だ。そっちのことは、背中の大鼓の目に任せるしかない。
『通路ふさがれた』
『囲まれてる』
『帰り道ないぞ』
『2人ともやばい』
[心音]
家で見ている海歌の読み上げは、名前を呼んだだけで途切れた。続きは来ない。
退けない。
輪になったホブゴブリンは、棍棒を構えたまま、ジェネラルの次の号令を待っている。次にほえられたら、輪が一度に縮んでくる。
昼の休みに、進化を選ばずに閉じたステータスの画面を思い出した。
ステータス、と念じる。ジェネラルとあたしの間に、半透明の画面が開いた。候補は、まだ消えずに残っている。
進化の候補:ギターボーカル
名前を念じかけて、ボーカルの所でまた目が止まった。昼と同じ所だ。
背中に、大鼓の背中が当たっている。パーカーごしに、大鼓が息を吸ったのが分かった。
あたしは、ギターボーカルの名前を念じた。
ギターボーカルに進化(はい/いいえ)
今度は迷わずに、はいと念じた。
【職業が、吟遊詩人からギターボーカルになりました】
画面の職業の行が、ギターボーカルに書き換わる。
手は光らないし、体のどこも変わった気がしない。
一覧にない職業ならできることが1個増えるはずなのに、何が増えたのかは歌ってみないと分からない。
「選んだ」
あたしは背中ごしに、それだけ言った。
大鼓は、何を、とは聞かなかった。少しして、背中の向こうから声がする。
「俺も開いた。遊び人から進化できるのは、賢者と、ドラマーだ」
『遊び人から賢者きた!』
『ゲームで見たやつだ』
『遊んでたら悟るやつ』
『賢者一択』
こっちは囲まれているのに、コメント欄はゲームの話で盛り上がっている。
大鼓は、画面を読んだそのままの調子で黙った。
背中の向こうで、大鼓の指が太ももを4つ叩くのが伝わってくる。考えるときの癖だ。
「微妙だ」
「は?」
「賢者は、叩く職業じゃない」
「いや、賢者を微妙って言う人、初めて見たんだけど」
あたしがツッコんでいるうちに、大鼓はもう選んでいた。
「ドラマーになった」
『賢者蹴った!?』
『微妙は草』
『理由そこ?』
『ドラムの人がドラマーに』
大鼓が、叩く音で歌を強くするスキルの《グルーヴ》を使った。ドラマーになった今は、自分の太ももの代わりに、叩くためのドラムが宙に浮かぶ。
バスドラムとスネアとタムとシンバルが、大鼓を囲む輪になって、腰の高さに並んでいた。
部室の奥でカバーをかぶったまま、バスドラムに貝殻ラジオの3人の写真を立ててある、学校の古いドラムセットと同じ並びだ。
スキルで出た物なのに、どれも光らない。
大鼓は右手のスティックで、宙に浮くドラムのスネアを叩いた。
タン。
宙に浮いたスネアの音が、石の壁にぶつかって高い天井から返ってきた。
去年の春から一度も聞いていなかった、大鼓のスネアの音だ。
背中の大鼓は何も言わずに、続けてスネアを叩いた。バスドラムの低い音が重なる。
2打目から、もうビートになっていた。
『ドラム浮いてる!?』
『ドラムセット出た』
『本物の音してる』
『ドラムの人がドラム叩いてる』
『鳥肌』
ホブゴブリンの輪の何体かが、ドラムの音のほうへ顔を向けた。大鼓が半歩ずれると、宙のドラムも輪のまま一緒に付いていく。
大鼓は気にもせずに、シンバルを1回鳴らしてまたスネアへ戻った。
背中ごしに、バスドラムの音が胸の奥まで響いてくる。
やっぱり大鼓の音は、太ももよりこっちのほうがずっといい。
あたしは大鼓の背中にもたれたまま、首のピックを指でつまんだ。
「正直さ。太もも叩くあの戦い方、絵面がやばすぎて、一緒に潜るかちょっと迷ってたんだよね。安心した」
大鼓は叩く手を止めずに、首だけこっちへ回した。
「待て。迷っていたのか」
「冗談だって」
「あれは本気の戦い方だった。俺は一度も、笑わせるつもりで叩いていない」
「知ってる。だから変だったんだって」
大鼓は前に向き直って、スネアを叩いた。
「もう太ももは叩かない。叩く物ができた」
『ドラムの人ガチ抗議で草』
『迷ってたの!?』
『この状況で漫才すな』
囲まれて帰り道もふさがれているのに、あたしは少しだけ笑ってしまった。
正面の奥で、ジェネラルが大剣を振り上げた。
またほえる気だ。
あたしは首のピックを握り直して、ギターをジェネラルへ向けた。




