第31話 1つで、俺の1日
3週間、大鼓は本当に1人で潜らなかった。
協会のロビーで父のけがの話をした日に、大鼓は自分で決めた。テストの結果が出るまでは、心音も俺も潜らない、と。
家に入れるお金のために、三角巾の片手でも潜っていた人がだ。言ったことは、文字どおりに守る人なのだと思う。
家の用事で来られない日は、中身を先に送ってくるようになった。
父の通院の付き添い。今日は行けない。
前は「家の用事」の4文字しか送ってこなかった人にしては、かなりの進歩だ。
テストの結果は、修了式の日にもらった通知表に出た。2人とも、学校に潜るのを止められる線のすぐ上だった。セーフはセーフだと思うことにした。
あたしは毎晩、向かいの窓の海歌に、低い声の練習を見てもらっている。そして今日は春休みの初日だ。
朝いちばんに寄った協会の売店で、大鼓はレジの横の棚から耳栓を1つ取った。
あたしの眠りの歌は、モンスターを眠らせる歌だ。困ったことに、聞こえていれば味方まで眠くなる。
会計を待つ間、大鼓は包みの裏の説明書きを真顔で読んでいた。
横からのぞくと、『ふんわり低反発で、耳にやさしいつけ心地』『まわりの音をやわらげて、朝までぐっすり』と書いてある。
「いや、あたしの眠りの歌で寝ないために買うんだけど」
「眠らないために買う」
大鼓は説明書きから目を上げずに、真顔でうなずく。
「眠りの歌の間だけ入れる。ほかのときは、心音の声を聞いて叩く」
当たり前みたいに言うので、ちょっと返事に困った。
列が1つ進む。
「今日でLv20まで行けるかな」
「心音はLv17、俺は18だ。20まで、心音はあと3つ、俺はあと2つだ」
行けるかを聞いたのに、残りの数が返ってくる。
この人に聞くと、だいたいこうなる。
「協会の職業の一覧に載ってない職業だと、進化したとき、できることが1個増えるんだって。サイトに書いてあった」
「分かった」
大鼓は耳栓をパーカーのポケットにしまう。
◇
入口の近くの転移陣で第10層の広間の奥へ移り、円を出てすぐの階段を下りる。
第11層は白い石灰岩の洞窟だった。上の層より天井がずっと高く、あたしの足音が上のほうから遅れて返ってくる。ここなら声がよく響きそうだ。
ドローンを飛ばして、配信を始める。題は、〔下北沢ダンジョン〕第11層、初めて下ります、にした。
腕のスマートフォンにコメントが流れ始め、片耳のイヤホンには家で見ている海歌の読み上げが届く。
[いってらっしゃい。おみやげは魔石でいいよぉ]
『中層デビューか』
『ドラムの人、腕治ってる』
『吟遊詩人ちゃん今日も歌う?』
歌うに決まってる。
今日は最初から自分の声だ。
いちばん広い通路を少し進んだ所で、角からホブゴブリンが2体出てきた。
ゴブリンよりひと回り大きく、子どもより頭ひとつ高い。革の防具を着けて、太い棍棒を提げている。
上の層のゴブリンは棍棒なんか持っていなかったから、中層に来たんだと、やっと実感した。
大鼓が前に出て、左手で太ももを叩き、右手のスティックで前の1体の肩を叩いた。職業は遊び人なのに、どう見てもドラムの叩き方だ。
叩かれたホブゴブリンが、棍棒ごと大鼓へ向き直る。上の層のゴブリンと同じで、叩かれたら叩いた人しか見なくなるらしい。
大鼓がモンスターを叩くたびに、叩く音が硬く大きくなっていく。このビートに乗れば、あたしの歌は短くて済む。
前の1体へ向けて、ギターを鳴らした。ホブゴブリンの動きが止まり、胸の奥で魔石が光って鳴る。上の層の魔石より、ずっと低い音だ。
止まったのは本当に一瞬で、棍棒はすぐまた大鼓のほうへ振り上がった。大鼓はそれをスティックで受けて、受けた音までビートに入れている。器用すぎる。
ギターの音を聞いて、2体目がこっちへ顔を向けた。物音に寄ってくると協会の資料にあったとおり、棍棒を引きずってあたしのほうへ来る。
大鼓がそっちへ半歩出て、2体目のこめかみを叩いた。2体目も大鼓へ向き直り、あたしに背中を見せる。
首のピックを紐から外す。自分の声で歌うときだけ使うピックだ。
中層の魔石に、この低い声が通じなかったら。ピックをつまむ指先が冷たくなった。
大鼓のビートが、白い壁から重く返ってくる。
大鼓へ向き直ったホブゴブリンの横顔の前で、あたしはピックで弦を弾きながら、さっき鳴った高さを自分の声で歌った。
低くかすれたあたしの声が、高い天井に響く。
声を出すのは一節だけだ。
ホブゴブリンの胸の奥で、魔石が割れた。
ホブゴブリンは棍棒を振り上げたまま、光の粒になってほどけた。
【レベルアップ。Lv17からLv18になりました】
2体目にもギターを鳴らす。今度の音はさっきより少しだけ低い。
大鼓が2体目を叩いて重くしたビートに、声を乗せた。2体目も一節で割れて、床にひびの入った魔石が2つ転がる。
『は?』
『歌っただけで割れたんだが』
『中層のホブ一撃』
『2体とも?』
「よし」
あたしが言えたのは、それだけだった。
『よし、じゃないのよ』
『普通に強いって』
◇
通路を進むと、ホブゴブリンは3体ずつで出てきた。
やることは同じだ。大鼓が叩いて自分のほうへ向かせ、あたしがその横から一節歌う。歌い終えるたびに、首のピックは紐へ戻した。
回を重ねるごとに、ギターを鳴らしてから魔石が割れるまでが短くなっていく。
大鼓は、ひびの入ったうずらの卵ほどの魔石を拾っては、腰の袋へ1つずつ入れていく。
「1つで、俺の1日より高い」
袋に入れるたびに、大鼓は同じことを言った。
そのうち、あたしの声まで日給で数えられそうだ。
『時給で見てる』
『1日より高いbot』
最初の群れの2体目を倒したところで、大鼓が袋の口を押さえたまま言った。
「俺も上がった。19だ」
天気予報より平らな声の報告だった。
その群れの3体目を倒すと、今度はあたしの頭の中で声が鳴る。
【レベルアップ。Lv18からLv19になりました】
次の3体の群れも、同じやり方で片づけた。1体がギターの音に寄ってきかけたけど、大鼓が横から叩いて向きを戻した。
袋の中で、魔石どうしが小さく当たる音がする。大鼓の腰の袋は、もう小銭入れの重さじゃない。
その群れの最後の1体、朝から数えて8体目を倒したとき、頭の中の声が2回続いた。
【レベルアップ。Lv19からLv20になりました】
【職業が進化できます】
「20だ」
大鼓が宙を見たまま言った。
「進化できると出た」
『20きた』
『進化!?』
『中層初日でそれ?』
腕のスマートフォンの時計を見て、配信をいったん切った。お昼の間も飛ばしていたら、ドローンの電池がもたない。予備の電池は持っていない。
通路の脇の行き止まりで、2人でおにぎりを広げた。食べる前に、ステータスと念じて画面を開く。職業の行が、いつもより長い。
職業:吟遊詩人(進化できます)
職業の行を念じると、その下に1行増えた。
進化の候補:ギターボーカル
ギター、の所まではすっと読めた。名前を念じかけて、ボーカルの所で目が止まる。
文化祭の申し込み用紙を窓ガラスに押し当てた海歌が浮かんだ。ボーカルの欄は「有村海歌」だった。
あたしは何も念じずに、画面を閉じた。
「あとであとで。今は、おにぎりの具のほうが大事だし」
あとで開いても、たぶん同じ所で止まる。
大鼓は宙を見たまま、自分の画面を言葉どおりに読み上げた。
「遊び人の進化の候補は、2つだ。賢者と、ドラマー」
「賢者って、すごいやつじゃん」
「選ばなければ、今の職業のままだ。候補は残る。協会のサイトにそう書いてあった」
すごいかどうかには答えずに、決まりのほうを返してくる。
それから大鼓は、あたしのほうを向いた。
「心音は、あとで決めるんだな」
「え、うん。まあ」
「なら、俺もそのときに決める」
大鼓は宙から目を戻して、おにぎりの包みを開けた。画面はもう閉じたらしい。
あたしの具の話のせいで、賢者が1人、お昼休みに入った。気まずくて、おにぎりを大きくかじった。
お昼を食べ終えて、配信をつけ直した。
昼すぎ、広い通路の先で、急に左右の壁が開けた。3本の通路が1つに集まる広場だ。天井はさらに高く、上から下がる白い石の先がほのかに光っている。
あたしと大鼓は、来た通路の出口で足を止めた。奥の壁に開いた2本の通路の前に、ホブゴブリンが座りこんでいる。棍棒を膝に寝かせて、こっちにはまだ気づいていない。
十数体いる。朝の群れの4倍はいる。
その真ん中に、ひと回り大きい影が立っていた。大人の男より大きな体に重そうな鎧を着て、肩に大剣を担いでいる。
ゴブリンジェネラルだ。
協会のサイトで読んだことを思い出す。ジェネラルが率いる群れは、ホブゴブリンが何体でも、Lvとは別の協会のランクで、今のあたしたちの1つ上になる。
まともにぶつかったら勝てない相手だ。
ジェネラルは号令で群れを回り込ませるし、眠りの歌で眠らせても、ほえれば起こしてしまう。あたしが持っている手は、ほとんど封じられる。
『でか』
『ジェネラルいるじゃん』
『行けるだろ今日の吟遊詩人』
『低い声、洞窟だと映えるな』
『やれー』
流れていく中で、映える、の1件だけが目に引っかかった。中学で男子みたいと笑われたこの声を、知らない誰かがほめている。
朝から8回、あたしの声で魔石が割れて、そのたびにコメントが沸いた。
あの大剣の奥の魔石も、この声で割れたら。そう思ったときには、片足が半歩、広場の床に出ていた。
あたしの肩に大鼓の手が乗った。
パーカーの袖ごしでも、指に力が入っているのが分かる。
「待て、心音。あれは」
危ないことをする相手には、大鼓はいつも説教から入る。今もその顔だった。
なのに、言葉の続きが出てこない。手は肩に乗ったまま、引き戻しもしないし、押しもしない。
大鼓の目が、あたしの顔で止まった。
大鼓は言葉をのんで、あたしの肩から手を下ろした。
肩が急に軽くなる。大鼓が、広場の奥のジェネラルを見たまま言った。
「挑む」
あたしは、映える、をもう1回見たかった。
「いける」
[ホブゴブリン、多すぎない?]
海歌の読み上げが、駅のアナウンスみたいな平らな声に変わっていた。
「いける」
海歌にも同じ言葉を返して、首のピックを外す。
大鼓と並んで、広場へ踏みこんだ。ジェネラルがこっちを向き、肩の大剣を上げる。
ジェネラルがほえた。
座っていたホブゴブリンが、一斉に立ち上がった。
あれが全部こっちへ来る。




