第29話 家の用事の中身
大鼓から届くメッセージは、2月の終わりから学年末テストの3日目まで、一字も変わらなかった。
家の用事。今日は行けない。
「コピペかよ」
スマートフォンに言い返しても、返事は来ない。腕の具合はどうなのかと何度か送ったのに、そこにだけは一度も答えてこなかった。
用事の中身を書く気がないことだけは、毎日届く同じ1文で分かる。
第10層の中間ボスの大猿と戦った日に傷めた左腕を、大鼓は今も三角巾で首からつっているはずだ。
あたしもダンジョンには潜っていない。2人で潜るのは、大鼓の腕が治ってからと決めた。
テストのあいだはどのみち潜らない。うちの高校は、成績が落ちると冒険者の活動を止めるからだ。ここで点を落としたら、腕が治っても潜れなくなる。
テストの1日目も2日目も、休み時間のたびにスマートフォンを見た。解いた問題の答えより、届いた1文のほうが頭に残っている。
夜は窓越しの練習だけ続けてきた。
路地を挟んだ向かいの窓で、声の出ない海歌が手のひらを上げ、その高さにあたしが低い声を合わせる。
バンドの持ち歌の「泡にならない」は、一度も弾いていない。海歌の歌い方をまねずに歌う方法が、まだ見つからないからだ。
毎晩合わせるのは持ち歌とは別の、文化祭のボーカルを歌うか5月16日までに答えると約束した朝に、窓越しに歌った曲だ。
自分のバンドの持ち歌を弾かないギター担当って、それもうただの近所の人じゃん。
◇
学年末テストの3日目の夕方、あたしは机で明日の数学の教科書を開いていた。
スマートフォンが震えて、協会の調査員のルーペさんからのメッセージが届く。海歌の首にある呪いの真珠が、どこから来たのかを追っている人だ。
三浦さん、ルーペです。各地の協会を回って、一昨日、下北沢に戻りました。
昨日と一昨日の夕方5時ごろ、こちらの買い取り窓口で、左腕を三角巾でつった冒険者の方をお見かけしました。三浦さんのパーティの方だと思います。
ご事情は、ご本人から伺うのがいちばんかと思います。
「……短っ」
会って話せば、例外の例外まで10分かけて説明する人だ。その人が、3行で終えている。
いい知らせなら、ルーペさんはこんなに短くしない。
左腕を三角巾でつった冒険者なら、あたしは1人しか知らない。昨日と一昨日は、どっちもテストのあった日だ。
今日の昼にも、大鼓からはいつもの1文が届いていた。時計を見ると、4時を回っている。
5時なら、今から出れば間に合う。
あたしは数学の教科書を閉じた。
テストのあいだは潜らないと決めたのは、あたしだ。そのあたしが、明日の数学を放り出して協会へ行く。自分で決めたことを、自分がいちばん先に破っている。
大鼓に何か送るより先に、窓を開けた。
1月、あたしは1人で大コウモリのボスに挑んだ。あれから、何かあったら先に海歌に言うと決めている。
「海歌」
向かいのカーテンが開いて、海歌が顔を出した。手にシャーペンを持ったままだ。海歌の明日も、たぶん同じ数学だろう。
「ルーペさんから連絡。大鼓が腕つったまま、協会の買い取り窓口に来てたって。今から見に行く」
海歌はシャーペンを置いて、親指で画面を打った。
[すぐ行く]
今日の読み上げは、駅のアナウンスみたいな平たい声だった。
いつもなら後ろに付くボケが、今日は付いてこない。
「じゃあ、下で待ってる」
◇
協会の建物の1階は、ダンジョン帰りの冒険者で混んでいた。
あたしと海歌は、ロビーの左手、壁ぎわに並んだ椅子に座った。この椅子からは、奥の地下へ下りる階段も、ロビーの向かいの買い取り窓口も、座ったまま見える。
「大鼓、背が高いから。立ってたら、向こうに先に見つかる」
小声で言うと、海歌はうなずいた。膝の上でスマートフォンを握ったまま、階段から目を離さない。
番号札の呼び出しの音が、何度か鳴った。海歌が読み上げの音をいちばん小さくして、画面を叩く。
[ルーペさんの言ってた5時、すぎたね]
「うん。……来ないなら、それでいいんだけど」
5時を少し過ぎたころ、階段から大鼓が上がってきた。
「……来た」
左腕を三角巾で首からつって、右手に小さな布の袋を提げている。
大鼓はこっちを見なかった。人のあいだを抜けて、まっすぐ買い取り窓口へ向かう。
窓口の台に、大鼓は右手の袋を置いた。
片手だと、袋の口を広げられないらしい。大鼓は袋の底をつまんで、ゆっくり傾けた。台の上に魔石が転がり出る。
米粒ほどの魔石が、数えられるほどしかなかった。上層の浅い所で出る、いちばん小さい魔石だ。
窓口の職員は、大鼓の顔を見ただけで頭を下げた。
「鳴瀬さん。いつもありがとうございます」
家の用事と送ってきた日に、大鼓は腕をつったまま1人で潜っていたのだ。
職員が魔石を数えて、画面に打ちこむ。
「お待たせしました。今日の魔石の買い取りで、2,130円になります」
「ありがとうございます」
トレーに、千円札が2枚と小銭が載った。
隣で、海歌の親指が画面の上で止まった。何も打たないまま、親指は動かない。
あたしも黙ったまま、トレーの札を見ていた。
大鼓は札を右手でつまんで、台に置いた財布へ押しこんだ。小銭は、手のひらの横でかき寄せる。片手で財布を扱う手つきは、もう慣れたものだった。
財布をパーカーのポケットにしまうと、大鼓は窓口を離れた。
受付の向こうの左側に、売店が見える。棚の手前には、傷を治すポーションの小瓶が並んでいる。
大鼓は、そちらを見もしないで、自動ドアへ歩いていった。
あの腕を治す1本を、自分には買わない。それなら何のためのお金なのか、あたしはまだ知らない。
深緑のパーカーの下は、あたしと同じ学校の制服だった。大鼓もテストを受けたその足で、ここへ来たのだ。
ボスに腕をかまれた3日後、大鼓は、なんで1人で、とあたしを本気で叱った。
あのときの怖い顔に、売店のほうを見もしない背中が重なる。
腹が立った。カーディガンの袖の中で、爪が手のひらに食いこむ。
これのどこが家の用事だ。
自動ドアの手前で、大鼓が足を止めた。
振り向いて、ロビーの隅のあたしと海歌を見る。
目が合った。




