第27話 きみの声で
冒険者協会の建物を出て、向かいのライブハウス、ハコブネの入口にある階段の前を、海歌と並んで歩く。チラシだらけの階段の壁を、点いたばかりの街灯が照らしていた。
協会の2階の小部屋で、調査員のルーペさんに聞いたばかりだ。海歌の首の真珠は、海歌に贈られる1か月あまり前に、闇サイトで売れていた。古道具の市で見つけた、という灯子さんの話とは合わない。
隣で、海歌がスマートフォンに親指を走らせた。打ち終えてから、にやっとこっちを見て、たっぷり一拍おいて送る。
[よかったぁ、わたしごと協会に預けられなくて。今ごろガラスのケースの中で、展示されてたよぉ]
「いや、博物館か」
[なんちゃって]
ツッコミを待ってから打つところまで、いつもの海歌だ。小部屋では、画面の上で止まってばかりいた親指なのに。
ボケの前のもったいぶった一拍まで、ちゃんと戻ってきている。おかげで、帰り道が少し軽い。
気が抜けたせいか、口が勝手に「泡にならない」をなぞり始めた。海歌が詞を書いた、あたしたちのバンドの持ち歌だ。
歌い出しの前に、小さく息を吸う。海歌が歌う前にいつもそうするのを、考えるより先にまねていた。
声も、海歌の高さに寄せる。幼稚園のころから隣で聞いてきた高さだから、低い地声でも、寄せ方だけは迷わない。
海歌がすぐに顔を上げて、空いているほうの手のひらを肩の高さに出した。部室でも、向かい合った2人の家の窓越しでも、海歌はこうして手のひらの高さで、歌う音の高さを教えてくれる。
歌に合わせて手のひらが少しずつ上がり、あたしの声がそれを追いかける。
通りの真ん中で指導を始める海歌も海歌だ。けど、手のひら1つでしっぽを振ってついていくあたしの声も、相当だと思う。
手のひらがもう1段上がった。サビだ。サビの頭の1行は、ダンジョンで大鼓のビートに乗せて、海歌の歌い方のまま歌い切ったこともある。
「きみの声で」まで歌ったところで、あたしの声が止まった。
続きの「海が鳴る」が、喉の手前で引っかかって出てこない。
海歌の首で、ミナモが歌うあいだだけ肌より少し温かくなる真珠のチョーカーが、街灯を映していた。
ミナモは顔を出さない歌い手のまま、海歌から奪った声で歌っている。
あたしは、戦うときは自分の声で歌うのに、「泡にならない」だけは海歌から借りた歌い方で歌っている。
やっていることは、ミナモと同じだ。
海歌が足を止めた。上げていた手を下ろして、親指で画面を短く叩く。
[どうしたの]
さっきボケを読み上げたのと同じ変な声だった。なのに、少しもおかしくない。
海歌はスマートフォンを持った手を胸もとに引き、もう片方の手のひらを、サビの高さまで上げ直した。続きを待つときの高さだ。
ハコブネの階段の下から、リハーサルの低音がこもって上ってくる。手のひらは、あたしの口より少し上で止まったまま、下りてこない。いつもなら、ここで声が勝手に上っていく。
あたしは息を吸いかけた。吸い方がまた海歌のになっている。そのまま吐いた。
あたしは海歌の手のひらに声を合わせなかった。
カーディガンの袖を、口もとへ持っていく。ぶかぶかの袖で、口ごと隠した。袖の中で、自分の息だけが熱い。
海歌は、宙に上げた自分の手のひらと、あたしの顔を見比べる。何も打たない。
海歌の手のひらがゆっくり腰の横まで下りていった。
路地までは、2人とも何も打たず、何も言わずに歩いた。
商店街を抜けるあいだ、海歌の歩幅はいつもより短い。あたしの足に合わせているのが、横を見なくても分かる。いつもは、あたしが小走りで追いつく側なのに。
向かい合った2軒の家の前まで来て、あたしは口を開いた。
「なんでもない。自分のバンドの歌詞ど忘れとか、ほんとさ」
あとは笑ってみせれば、それで終わるはずだった。言う冗談は、もう思いついていた。中学の音楽の時間に歌って、男子みたいと笑われた日から、何百回も言ってきた冗談だ。
笑ってみせる手前で、口を閉じた。あのまま笑ってみせていたら、たぶん全部なかったことにできた。
海歌は小さく手を振って、自分の家の玄関へ入っていく。少しして、向かいの家の2階に明かりがついた。あたしの部屋の、ちょうど向かいの窓だ。
◇
夜、自分の部屋のベッドに座って、ギターを膝に抱えた。
「泡にならない」の前奏を弾くと、指は迷わずに歌い出しの手前まで来て、息を吸う前に止まった。鳴りかけた弦を、手で押さえる。
路地の向こうで、海歌の部屋のカーテンが開いた。窓と窓のあいだは、手を伸ばせば届きそうなくらいしかない。
窓ぎわに立った海歌が、胸の高さに手のひらを上げる。窓越しの練習は、いつもこの高さから始まる。
あたしは、首から紐で下げたピックを指でつまんだ。自分の声で歌うときに、首から取って弾くピックだ。
海歌の手のひらは、しばらく上がったままだった。それから、カーテンが閉まる。
海歌の手のひらに返事をしなかったのは、今日これで2回目だ。
ピックをつまんだ指が、首もとから離れない。
次に歌うとき、あたしはどの声で歌えばいいんだろう。
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並行して『弱虫ダンジョン配信者の僕、宿った本物の殺人ピエロに体を貸したら『演技うますぎ』とバズった』も連載しています。同じ作者名のページから読めます。
次回から第3章「ギターボーカル、キーを決める」が始まります。




