第26話 売れた記録
海歌の首の真珠は、海歌の手に渡る1か月あまり前に、もう闇サイトで売れていた。
知ったのは祝日の昼、冒険者協会の建物の2階の、面談の小部屋でだった。
長机1つと椅子4つで満員になる狭さだ。窓を背にルーペさんが座り、向かいにあたしと海歌が並ぶ。空いた4つ目の椅子には、誰も座らない。
一緒に潜っている大鼓には、今日のことを頼んでいなかった。なのに朝、大鼓からメッセージが1通届いた。
家の用事。今日は行けない。
誘ってもいないのに、断りだけは律儀だ。
昨日の部室で、海歌は、調査員の人に話していい、わたしも行く、と打った。打ったとおり、今日は海歌が隣の椅子にいる。
海歌がスマートフォンを打った。
[はじめまして、有村海歌です。今日は、よろしくお願いします]
今日の読み上げは、きちんとした大人の女性の声だった。
ルーペさんがすっと立ち上がる。海歌が手に持ったスマートフォンに向かって、深々と頭を下げた。
「ご丁寧に、ありがとうございます。協会の調査員の、ルーペと申します」
ルーペさん、挨拶したのは海歌で、それはスマホです。
「順番にまいります」
座り直したルーペさんは、古い手帳を長机に置いた。
「メッセージでお伝えしたとおり、協会は、呪いの品を取り上げません。外れない品をつけた方は、被害にあった方として扱います。お話を伺うのも記録を残すのも、ご本人と保護者の方が同意されたときだけで……」
メッセージなら2行だった話が、例外の例外までついて10分になった。
海歌はうなずいて、画面を打った。
[記録、残してください。親には今朝電話で話して、いいって言われてます]
続けて親の連絡先を打ち、画面をルーペさんに向ける。ルーペさんが手帳に番号を写す。
声が出なくなった日のことは、あたしが話した。チョーカーをつけた次の日、部室で海歌の声が出なかったこと。
海歌はところどころで短く足した。
[顔を出さないミナモって歌い手が、わたしの声で歌ってます]
ルーペさんは一度も口をはさまず、手帳にペンを走らせていた。説明はあんなに長いのに、聞くときはひと言もしゃべらない人だ。
ミナモが歌う間だけ真珠が温かくなることは、話さなかった。
ルーペさんが、首から下げたルーペを持ち上げた。
腕をいっぱいに伸ばしてレンズを離し、その奥から海歌のチョーカーを見る。真珠がレンズの中で大きく、白く光った。
「記録のために、1枚だけよろしいですか」
海歌がうなずくと、ルーペさんはスマートフォンで真珠を1枚だけ撮った。シャッターの音が、狭い部屋にやけに大きく響く。
この真珠は、ライブハウスのハコブネで海歌によくしてくれる年上のミュージシャン、灯子さんが、楽屋で海歌にくれた物だ。
それからルーペさんは手帳を開き、こっちへ向けた。
「闇サイトで見つけた出品を、私が手で写したページです」
自分の字なのに、ルーペさんはまたレンズを腕いっぱいに離して、上から順に指でたどっていく。
ページのいちばん上に、題が書き写してあった。『ヴィンテージ真珠 希少 美品 即購入OK』。
フリマアプリで、誰かのいらなくなったアクセサリーに付いていそうな題だ。
題の下には鉛筆の絵がある。真珠の表面を大きく写した写真を、鉛筆で描き写したものだ。細い線で、表面の小さなくぼみまで描きこんである。
海歌の首の真珠にも、同じくぼみがある気がした。
「この絵の元の写真のくぼみと、このレンズで拝見した有村さんの真珠のくぼみは、同じ形でした。同じ品です」
説明の文の欄には、ルーペさんの字で『売り手が消去』とだけあった。題とは別にある品の名前の欄も、同じだった。
ルーペさんの指が、ページの下のほうへ下りる。
「残っているのは、売れた記録です。この品は、去年の12月の初めに、お1人の買い手へ売れております」
「買った人は、誰なんですか」
「分かっておりません」
頭の中で日付を並べてみる。真珠が売れたのが12月の初めで、海歌がチョーカーをもらったのは1月9日の夜だ。
そのあいだに、年末とお正月がまるごと挟まっている。
12月の初めなら、あたしたちは期末テストの話をしていた。海歌はハコブネで、いつもどおりに歌っていた頃だ。
つまり誰かが、海歌に贈る日より前にこの真珠を選んで買っていたことになる。
隣で、海歌の指が首の真珠を押さえていた。もう片方の手の親指は、画面の上で止まっている。
いつもならここで何か打つのに、読み上げは鳴らないままだ。
ルーペさんが手帳の上で指を組んだ。
「ここからは少し、私の推理を……」
声がそこだけ弾んで、ルーペさんは自分から口を閉じた。
「いえ。今は、事実だけにします」
絶対に言いたかったやつだ、今の推理。
「有村さん。このチョーカーは、どのように手に入れられましたか」
海歌の親指がやっと動いた。
[信頼してる人が、古道具の市で見つけて、くれました]
ルーペさんは、売れた記録の行に指を置いたまま答えた。
「闇サイトで売れた品が、表の古道具の市に出ることは、まずありません」
責める声ではなかった。売れた日を言ったときと同じ平らな声だった。
「今は、決めつけません。ですが、その方に、お話を伺えませんか」
誰かが売り直した真珠が市に出たのかもしれない、とあたしは思っていた。その見込みは、今の一言で外れた。
だったら、ルーペさんの話と合わないのは、灯子さんの「市で見つけた」という話のほうだ。
あたしは膝の上で指を1本折って、合わない所を数えた。
灯子さんの話が合わないのは、これが初めてじゃない。
1週間前にあたしの部屋へ来た灯子さんは、協会は外れない品をつけた人ごと何回も呼んで調べる、と言った。知り合いの勘違いだと片づけていたその話は、同意したときだけ、というルーペさんの返事と反対だ。
あたしは膝の上で、もう1本指を折った。
だとしたら、気になるのは真珠を贈った人のほうだ。
ハコブネの楽屋で、灯子さんが海歌に真珠を渡す。見てもいない場面なのに、その手つきまで浮かんだ。
気づいたら、口が勝手に開いていた。
「と」
声は1音だけで止まった。
海歌が振り向く。
ルーペさんの目も一瞬だけあたしに来た。
「……なんでもないです」
口から出かけたのは、灯子さんの名前だった。ふだんなら冗談でごまかせるのに、今は「なんでもないです」しか出てこなかった。
海歌はあたしから目を戻すと、手のひらを胸の前に立てた。ルーペさんに向けて、首を横に振る。
[それは、できないです]
あたしの部屋で、灯子さんは「くれた人も、呼ばれちゃうね」と小さく笑った。その人をかばう顔を、今の海歌はしている。
ルーペさんは、あたしには何も聞かなかった。
「分かりました。決めるのは、有村さんです」
手帳に、1行が書き足される。逆さまに読めた行は、『古道具の市で贈られた』で終わっていた。
ルーペさんは手帳を閉じかけて、そこで手を止めた。
一瞬だけ海歌を見る。誰かが壊れていくのを、もう見たくない人みたいな目だった。
次に顔を上げたときには、元の真面目な顔に戻っていた。
「何かあれば、どんな小さなことでも、お知らせください」
閉じかけた手帳を、ルーペさんがもう一度開いた。
「闇サイトの売り手は1人ではありません。ダンジョンを神様のように拝む団体の者たちらしいのです」
「……拝む?」
「ダンジョンが人を変えると信じて、あの奥をありがたがる人たちです」
ルーペさんは、売れた記録の行を指でたたいた。
「品を売ったあとも、買った方の様子を、ずっと見ているようです」
あたしは潜るたびに、この建物の地下のゲートを通る。その奥をありがたがる人たちがいるなんて、考えたこともなかった。
海歌の指が首の真珠に触れて、そのまま離れなかった。
隣の海歌は唇を結んだままだ。
灯子さんは知り合いの勘違いを伝えただけで、市で見つけたのも本当なのかもしれない。
海歌が信じている人を、あたしが疑ってどうする。
あたしは灯子さんを疑うのをやめたふりをした。
ふりをしただけで、疑いは消えていない。




