第24話 魔女のほうの話
あたしと大鼓の戦いの切り抜きが、一晩で2万回も見られていた。
昨日、2人で第10層の中間ボスの大猿を倒してDランクに上がり、その代わりに大鼓は左の肩と腕を傷めた。
あたしは自分の部屋の机でスマートフォンを握り、ベッドの端には海歌が座っている。大鼓は左腕を三角巾で首から下げたまま、本棚の前に立っていた。
録ったら、あとでもう一度聞いて直す。海歌が昔から守っている決まりで、今日も昼から2人をここへ集めたのだ。
ただ、いま聞いているのは、知らない誰かが上げた1分ちょっとの動画だった。
画面の中で、膝をついた大鼓が、右手で太ももを叩いて1から4まで数えている。
「入ってこい」
痛みでかすれた声のすぐあとで、大猿が大鼓の4拍に合わせて自分の胸を叩き出す。最後に、あたしの低い声が長く伸びて、大猿の胸の魔石が割れる。
自分で見ても、だいぶ変な画だ。
コメントの上のほうは大猿と大鼓で沸いていた。
『猿がドラムの人に合わせてて草』
『ドラミングでセッションすな』
『膝ついても数えてるの何』
『どういう戦い方なのこれ』
『ドラムの人、最後まで真顔』
大猿まで笑いものになっているのは、ちょっと気の毒だ。
指で画面を下へ送る。
あたしの声が伸びる所に、書き込みが急に増えた。
『最後だけおっさん入った?』
『え、急に男の声しなかった?』
『吟遊詩人、声だけ男子』
『低すぎて二度見した』
『最後の低いの、鳥肌』
いいねが集まっているのは、笑うほうだ。褒めてくれた1件より、ずっと多い。
カーディガンの袖が勝手に口元へ上がった。
海歌がベッドから身を乗り出して、あたしの画面をのぞいた。
ボケは来ない。海歌は自分のスマートフォンで同じ動画を開き、いちばん上の笑う書き込みの、通報のボタンを押した。
押して、また同じボタンを押す。顔はずっと真顔のままだ。
あたしは袖を口元から下ろして、海歌の手首を指でつついた。
「いや海歌、同じ書き込みは、何回押しても1人1回分にしか数えられないから」
大鼓が「そうか」とうなずき、右手で後ろのポケットから自分のスマートフォンを出した。
「なら、俺も1件に1回ずつ押す」
片手の親指で、大鼓は上から順に、真面目に通報し始めた。
そういうことじゃない。でも、重かった部屋の空気が少しだけ抜けた。
あたしは自分の画面に戻って、昨日の配信の録画を開いた。
公開の横に、非公開への切り替えがある。
あたしはその上で親指を止めた。
押さないまま画面を閉じる。
窓の外で、紙袋のこすれる音がした。
路地を挟んだ向かいの海歌の家で、玄関の前に灯子さんが立っている。ライブハウスのハコブネで海歌の世話を焼いてくれていた、年上のミュージシャンだ。
長い黒髪を低い所で1つに結び、首元まで隠れる黒のハイネックを着ている。
海歌を訪ねて、留守だったのだろう。
灯子さんが顔を上げて、あたしの窓に気づいた。紙袋を持っていない手を小さく振る。
あたしは階段を下りて、玄関のドアを開けた。
「灯子さん。海歌なら、今うちに来てます。上がってください」
紙袋から出てきたのは、のどにいいお茶の缶と、湿布の箱だった。
「お茶は海歌ちゃんに。湿布は、そっちの腕にね」
大鼓が右手で湿布を受け取って、頭を下げる。
「腕、痛むでしょう。切り抜き、見たよ」
灯子さんはカーペットに膝をついて、少し首をかしげた。人の音を聞くときの、いつもの角度だ。
「膝をついたあとも、数えるの、一度も止めなかったね。あれがなかったら、たぶん全部崩れてた」
大鼓が右手の指で太ももを1回だけ叩いた。照れているらしい。
「心音ちゃんのギターも。あの広さで、腰の小さいアンプでしょう。それで、いちばん低い弦まで、ちゃんと鳴ってた」
そこまで聞いていたのか。ハコブネで若いバンドの演奏を聞いて、直す所をいつも1つだけ教えていく人だ。褒めるときまで細かい。
海歌がスマートフォンに文を打ち込むと、機械の読み上げの声がそれを読んだ。
[灯子さんも、もう一回いっしょに見ましょうよぉ]
今日の声は、ニュースを読む人みたいに落ち着いている。語尾だけ伸ばされると、なんだか据わりが悪い。
海歌がスマートフォンを灯子さんへ向けて、再生した。
大猿が胸を叩く音と、大鼓が数える声が続く。
それから、スピーカーの小さな穴から、あたしの低い声が部屋に伸びた。
灯子さんの指が、ハイネックの上から首元に当たった。
あたしの声が伸びているあいだ、指はそこから動かない。魔石の割れる音で声が止むと、指は膝へ下りる。
あたしはその指を見ていたけれど、何も聞かなかった。
動画が頭に戻っても、灯子さんは何も言わなかった。
声のことには誰も触れない。書き込みを見て、気をつかってくれたのだろう。
「海歌ちゃんから聞いたよ。協会の調査員の人が、海歌ちゃんの真珠を調べてるんだってね」
灯子さんは膝の上で手を組んだ。
「1つだけ言うとね」
直す所を教える前の、いつもの前置きだった。
「知り合いに、協会の仕事を手伝ってた人がいるの。その人が言ってたんだけど」
灯子さんの声はやわらかいままだ。
「闇サイトの品って、協会が見つけたら、証拠として預かるんだって」
海歌がまばたきを止めた。
「外れない品なら、つけてる人ごと、何回も呼んで調べるみたい。誰からもらったかも、全部たどって」
灯子さんはふっと小さく笑った。
「くれた人も、呼ばれちゃうね。……私も、かな」
誰も笑わない。
「協会に話したら、チョーカー、調べ終わるまで返ってこないかも。声を戻すのも、それまでお預けかな」
海歌の指が、首の真珠を押さえた。
もう片方の手のスマートフォンは、膝の上から動かない。
海歌はそのまま、灯子さんを見上げた。
灯子さんは海歌の首元の指を見て、それから、やわらかく微笑んだ。
海歌が灯子さんに何と打つのか、あたしには分からなかった。
大鼓は空いている右手で、太ももを4つ叩いた。
「それは、本当ですか」
年上の人と協会の人にだけ使う、大鼓の固い丁寧語だった。
「誰から聞いた話ですか」
灯子さんは答えなかった。
首をかしげたまま大鼓を一度だけ見て、それから海歌のほうへ向き直る。
「海歌ちゃんは、どうしたい?」
わざと流したようにしか見えなかった。
みんなが海歌を見ている。
海歌は片手の親指だけで、画面を打った。
[まだ、わからない]
読み上げの声は平らなままだった。
「そうだよね。大丈夫、ゆっくりでいいよ」
灯子さんは海歌に微笑んだ。
大鼓は太ももの上で指を止めている。
灯子さんはベッドの上のノートに目を止めた。海歌が自分の歌の歌詞を書きためた、シールだらけのノートだ。録画を聞くときに持ってきていた。
開いたページのいちばん上に、海歌の持ち歌「泡にならない」の題がある。
「『泡にならない』。海歌ちゃんの、人魚姫の歌だね」
灯子さんはその題を指でなぞった。
「人魚姫の魔女ってさ、声を盗んだわけじゃないんだよね。引きかえに、受け取っただけ」
指は題の終わりで止まった。
「魔女のほうは、ずっと、声が欲しかったのかも」
その一言だけ、声からやわらかさが抜けていた。
海歌の「泡にならない」に、魔女は1行も出てこないのに。
「長居しちゃった。またね」
灯子さんが立ち上がる。声はいつものやわらかさに戻っている。
あたしは玄関まで送った。灯子さんは路地を渡って帰っていった。
知り合いって誰ですか。その一言くらい、あたしにも言えたはずだ。
口が回るのはツッコミのときだけらしい。
部屋に戻ると、海歌はベッドの端で、さっきと同じ姿勢のまま座っていた。
画面には何も打っていない。
大鼓が本棚の前から一歩出た。
「俺が1人で協会へ行って、本当かどうか聞いてくる」
「いや、その腕で?」
三角巾の左腕を胸の前に下げたまま、大鼓は真顔だ。
「右は動く。問題ない」
「問題しかないし」
言ってから、あたしは椅子から立った。
「ていうか、なんで1人で行くの」
大コウモリのボスに1人で挑んで腕をかまれたあと、大鼓があたしに最初に言ったのも、なんで1人で、だった。今度はあたしが言う番だ。
大鼓は口を閉じ、太ももを叩きかけた右手をそこで止めた。
「聞くなら、あたしが今ここで聞く。3人の前で」
あたしはカーディガンのポケットから、小さな紙を出した。協会の調査員の、ルーペさんの連絡先だ。
海歌と大鼓に画面が見えるように、スマートフォンをベッドの上に置いて、文を書く。
三浦です。協会は、外れない呪いの品を、つけた人ごと預かるんですか。
送った。
海歌は画面から目をそらさない。
ルーペさんの返事は、5分もしないうちに来た。
三浦さん、ご連絡ありがとうございます。
協会は、呪いの品を取り上げません。
そのほかのことは、23日に順番にご説明します。
23日は、ちょうど1週間後だ。
海歌は少しだけ肩を下ろした。
大鼓も長く息を吐く。
灯子さんの知り合いの、勘違いだったんだろう。
海歌がまた親指を動かした。
[くれた人のことも、聞かれるの?]
あたしは海歌の打った文を、そのまま送った。
今度の返事もすぐだった。
贈った方にも、お話を伺えればと思っています。
ただ、決めるのは持ち主の方です。
海歌は黙って、その2行を読んでいる。
次に海歌が何を打つのか、あたしは待った。
海歌は画面の上で親指を止めたまま、何も打たなかった。
もう片方の手の指で、まだ真珠を押さえている。




