第20話 ルーペを下げた調査員
眠りの歌を最後の一節まで歌いきると、ゴブリンの群れが白い通路にばたばたと膝をついた。よし、全部寝た。
第8層の、主要な通路から外れた天井の低い道。眠った群れの中に、錆びた剣と木の盾を持ったゴブリンソルジャーが3匹混じっている。本命はこっちだ。
歌をやめて、いちばん手前のソルジャーへ弦を1本鳴らす。胸の魔石が弦と同じ高さで揺れて、光りながら鳴ったら、その高さの声を自分の喉で出して、割れるまで当て続ける。言葉は何でもいい。
「はい」
「い」を切らずに、1、2、3、4と伸ばす。
4つ目で、魔石がぱきんと割れた。大鼓のドラムのビートに乗せれば一言で割れるのに、今日は1匹に4秒かかる。
今日は祝日で、学校は休みだ。海歌のチョーカーを壊せる物を探しに、第10層の中間ボスを越えて、その下の中層へ行こうと、昨日の部室で決めたばかりだ。
なのに、ドラムの大鼓から朝いちばんに届いたメッセージは、1行だけだった。
家の用事。今日は行けない。
いや大鼓、用事の中身。1文字もないじゃん。
2匹目のソルジャーは、声を伸ばしている途中で目を開けた。歌をやめると、眠りは少し間をおいて切れる。剣が半分まで持ち上がったところで魔石が割れて、ソルジャーは光の粒になった。
危なかった。でも、間に合う長さは体が覚えている。1人で潜っていた1月と同じだ。
片耳のイヤホンが鳴った。家で配信を見ている海歌が文を打ち、スマートフォンが読み上げる声だ。今日の声は、幼稚園の先生みたいにはきはきしている。
[3匹目、まぶた動いてる]
まぶたまで見えてるのか、家から。
3匹目のソルジャーも4秒で割り、残りのゴブリンは一言ずつで片づけた。
【レベルアップ。Lv12からLv13になりました】
頭の内側で、あたしにだけ聞こえる声が告げる。
同時接続数は50前後。
『ドラムの人いないの?』
『今日ソロ回か』
ビートがないぶん、通路がやけに静かだ。
道の手前の、休める横穴に入った。膝くらいの岩に腰を下ろして、ギターを抱え直す。ここなら、群れに前後から挟まれる心配もない。
第10層の中間ボスに挑む前に、確かめておきたいことがある。魔石の高さは体の大きさで決まり、大きいほど低い。
下の層には、上層より大きいモンスターも出るはずだ。だったら、あたしの声がどこまで下りられるのか、先に知っておきたい。
持ち歌でいちばん低い音を、いちばん太い弦で鳴らす。そこに声を重ねていく。
喉は押し下げない。息に乗せて、出る所まで。
持ち歌のキーを3つ下げても、4つ下げても、まだ声になる。
キーを5つ下げた高さ。第8層の奥で、群れを率いていた大コウモリのボスを割ったとき、持ち歌をこの高さで歌った。ここでも、声は出る。
弦の音をもう1つ下げると、声が、息だけになった。
「……持ち歌のキーから、マイナス5。そこで止まる」
『低っ』
『今の低い声いいな』
ダンジョン目当ての視聴者が、いつもの調子でかぶせてくる。
『吟遊詩人、地下から声出てる』
あたしのチャンネル名は「シモキタ地下ライブ」だ。声まで地下に潜らなくていいんだけど。
思わず、袖で口元を隠しかけた。褒められても茶化されても、低い声を聞かれるのはまだ怖い。
もう1つ下へ、と喉に力を入れかけたところで、イヤホンが鳴った。
[そこまで。のどを押し下げない]
はい、先生。
あたしは弦から指を離して、息だけになった喉を休ませた。
◇
夕方、協会の建物の1階に上がった。
小型のアンプを足元に置いて休憩所の椅子に座り、ギターを膝に載せた。スマートフォンで協会のサイトを開き、モンスターの資料から、下北沢ダンジョンの第10層にいる中間ボスの欄を出す。
大猿。ゴリラほどの体をした猿のモンスターで、中間ボスは、ふつうの大猿より一回り大きい強い個体だ。載っている姿は、腕だけであたしの胴くらいある。
習性の欄には、胸を両手で叩いて鳴らすとあった。その音が広間の壁に響いて、歌と演奏のビートを乱すらしい。
ビートを乱すって。大鼓が読んだら、真顔で太ももを叩きそうだ。
大猿は、そばで殴りかかる相手に体を向けたまま、離れた所で大きな音を立てる相手へ、床の岩を投げるらしい。
離れた所で大きな音を出すのは、いつも、あたしのほうだ。大鼓が胸元を叩いているその横を抜けて、ギターを鳴らして歌うあたしの頭へ、あの腕で投げた岩が飛んでくる。
気づくと、袖で口元を隠しかけていた。隠したって、ギターの音は止まらないのに。
画面を上へ戻すと、一回り大きい、のところで指が止まった。
大コウモリのボスより、ずっと大きい。体が大きいぶん、魔石の高さは、あたしの声が届いた5つ下より、もっと下だ。
さっきのあたしは、その手前で息を吐いていただけだ。
画面から顔を上げると、休憩所の入口に男の人が立っていた。
紺の作業ジャンパーに、調査員の腕章。背中には大きなリュック。白髪まじりの短い髪。
その人は古い手帳を腕いっぱいに離して読み、首から紐で下げたルーペをかざし直して、もう一度読んだ。それから、まっすぐこっちへ歩いてくる。
あたしはギターを抱えたまま、椅子から見上げた。
「三浦心音さんですね」
「は、はい」
「協会で調査員をしております。皆さんには、ルーペと呼ばれております」
探偵みたいな名前を、本人は大真面目に名乗った。
いや、さっき手帳を読むのに使ってたそれ、どう見ても老眼のためのやつでは。
「……ルーペさん」
「はい」
ルーペさんはにこりともしなかった。
「順番にまいります」
ルーペさんは向かいの椅子に浅く腰かけて、手帳を膝に置いた。
「私は、闇サイトに呪いの品を出している者たちを追っています。協会を通さずに品を売り買いする、ネットの市場です」
あたしがうなずくのを待ってから、ルーペさんは続けた。
「サイトは止めても、名前を変えてまた立ち上がります。ですから、売られた品のほうからたどっております。売り手は1人ではなく、ひとつの集まりに属する者たちだと見ています」
集まり、と言うときだけ、声が少し低くなった。
「1月の終わりに、その者たちの出品の写しを見つけました。載っていた品を協会の鑑定の記録と照らしますと、1月10日の夕方に、この建物の鑑定窓口で調べられた品がありました」
1月10日。声の出なくなった海歌と、ここの窓口に並んだ日だ。
ルーペさんは、首のレンズを手帳のページにかざし直した。
「名前は、沈黙の真珠」
海歌の首の、白い1粒。
「その真珠は、闇サイトで売られた品です」
値段が、付いていたんだ。海歌の声を止めている、あの1粒に。
休憩所の自動販売機が、低くうなっている。
「記録に、持ち主のお名前は残りません。ですが、窓口の職員が覚えていました。夕方の鑑定に付き添っていた制服の女の子が、その夜のうちに冒険者証を取りに来たことを」
夕方に付き添いで来て、夜にまた1人で駆けこんできた高校生。あたしのことだ。
「持ち主の方は、声が出ないと伺いました。ですから、付き添いの三浦さんにお願いしたいのです。真珠のことと、持ち主の方のことを、この建物でお聞かせいただけませんか」
ハコブネで海歌と知り合い、チョーカーを贈った年上の灯子さんは、古道具の市で見つけたと言っていた。誰かが闇サイトで買ったあとで売り直して、それが市に出たのかもしれない。
呪いの品を追っている人なら、壊し方だって知っている見込みがある。海歌の声で歌っているミナモのことも、ミナモが歌う間だけ真珠が温かくなることも、全部いま話したかった。気づけば、口が開いていた。
昨日の部室で、海歌に黙ってハコブネへ録音のことを聞きに行ったのを謝ったとき、海歌が打った文が頭に浮かぶ。
[調べるなら、次からはわたしにも言って]
海歌のその1行で、開いた口を閉じた。また、海歌のいない所で、海歌のことを話すところだった。
自分の声で歌うときだけ外す、首のピックを指でつまんで、あたしはルーペさんを見る。
「先に、海歌に話させてください。答えるのは、それからです」
ルーペさんはそれ以上押さなかった。
「急がなくてかまいません。持ち主の方が決めることです」
手帳の後ろから1枚抜いて、こっちへ差し出す。ルーペという呼び名と電話番号が、きちょうめんな字で並んでいた。上に小さく、協会の調査員とある。
「ほかの建物を回ってから、12日後、23日の祝日に、もう一度ここへ参ります」
自動ドアを出ると、通りの向かいに、海歌が歌っていたライブハウス、ハコブネの地下への階段があった。
その前で立ち止まって、海歌への文を打つ。送るところで、親指が1回だけ止まった。
押す。
明日、部室で話がある。調べる話。
既読は、すぐに付いた。




