第19話 部室の3人
[本日は、ようこそおいでくださいました]
海歌のスマートフォンが、やけに渋いおじさんの声で読み上げた。
「いや、旅館の出迎えか」
あたしは考えるより先に突っ込んでいた。
ドアの枠に頭をぶつけないよう身をかがめていた大鼓が、その格好のまま固まる。後ろのポケットから、ドラムのスティックが2本のぞいている。
ミナモの生配信の夜から2日たった、週明けの放課後。今日はあたしと海歌のバンドが部室を使う日で、そこへ大鼓が来たのは、バンドを抜けてから初めてだ。
ボケが速かった。大鼓の足が部室に入るより先に、読み上げが鳴っていた。ずっと打って、待っていたみたいに。
海歌は窓の前の、マイクスタンドの横に立っている。歌うときの立ち位置に貼った、油性ペンで「うみか」と書いた黄色いテープからは、半歩ずれていた。
あたしはいつものアンプに腰かけて、ギターを膝に載せている。アンプの上では、あたしのスマートフォンのメトロノームがカチ、カチと鳴っていた。この1年近く、あたしの練習のビートはずっとこのアプリだ。
あたしはネックを握ったまま、海歌のほうを向いた。
「海歌、ごめん」
冗談を付けずに言うと、自分の低い声が部室の中でやけに大きく聞こえる。
「調べないって言われたのに、黙ってハコブネに録音のこと聞きに行った。窓越しに責められたときも、探偵ごっことか言ってごまかした」
袖で口元を隠さずに言い切れた。そのかわり、手のひらは汗だくだ。
海歌の親指が画面の上でしばらく止まって、それから動いた。
[調べるなら、次からはわたしにも言って]
許すとも許さないとも打たないまま、海歌はスマートフォンを下ろした。
「……うん。言う」
何が怖かったのか、海歌は打たなかったし、あたしも聞けなかった。
大鼓は部室の奥へ歩いていった。久しぶりのはずなのに、足は迷わない。
奥の壁ぎわには、学校の備品の古いドラムセットがある。
あたしと海歌が部室を使う日は、ずっとカバーをかぶったままで、バスドラムの上に、貝殻ラジオの3人で撮った写真が立ててある。
大鼓はその前で立ち止まった。テーピングを巻いた指をカバーの端まで伸ばして、触らずに引っこめる。
あたしは、見なかったことにした。
大鼓はドラムから離れて、アンプの前まで来た。カチ、カチと鳴るあたしのスマートフォンを、真上から見下ろす。ドラムの前にいたときより、ずっと真剣な顔だ。
それから画面に指を伸ばし、メトロノームを止めた。部室が静かになる。
大鼓は自分の太ももを指で4つ叩いた。
「メトロノームは要らない。俺が数える」
海歌と目が合った。2人とも何も言わなかった。
海歌がホワイトボードの隅を指さす。9月の文化祭、軽音部のバンドがステージに立つ日までの日数が書いてある。あと215日、7か月ちょっと先だ。
海歌は指をおろして打った。
[だいちゃん、4月から3年生じゃん? 文化祭、最後だねぇ]
「文化祭でも、ドラムは叩かない」
大鼓の返事はそれだけだった。なんでと聞いても、たぶん言わない。バンドを抜けたときも、理由を最後まで言わなかった人だ。
大鼓はあたしと海歌を順に見た。
「ミナモが海歌の声で歌っていることは、協会か警察に言うべきだ」
「あたしも、それ考えた。でも、協会にも警察にも、今は頼れない」
ネックから手を離して、膝の上で指を組む。
「ミナモは名前も顔も出してない。誰なのか知るには、配信サイトに名前を出させる裁判がいるって、昨日調べた」
「それに、真珠があったかくなるのは、触ったあたしと海歌にしか分かんない」
海歌が胸の前に手のひらを立てた。あたしの話を止めるときの手だ。
[言わないで]
[わたしが笑ってれば、だいたい済むから。ほら、この声もいい味でしょ?]
渋いおじさんの声がのんきに言い切った。
いつもなら、ここで突っ込む。今日は喉の手前で止まった。
「海歌の声がミナモに流れるのを止めるには、チョーカーを壊すしかない。壊す物は深い所で出るって、協会の職員さんが言ってたし」
大鼓が後ろのポケットからスマートフォンを出して、画面をこっちへ向けた。
協会のサイトにある層の案内で、1行目に『第10層の中間ボスを倒したことのない方は、中層へ下りられません』とあった。
上層は第10層まで。その下の中層からが深い層だ。
「第10層は、いつも潜ってる第8層より2つ深い」
たった2つ。遠くないのが、かえって怖い。
《共鳴》は、ギターで鳴らした魔石と同じ高さを声で出して割る、あたしのスキルだ。スキルptは、レベルが上がるたびにもらえる、スキルを強くするための点だ。
「スキルpt、使わないで12点貯めてある。全部、共鳴を強くするのに使う」
海歌が画面を打った。
[話はおしまい。練習]
海歌の手のひらは、歌う高さの合図だ。上がれば高く、下がれば低く。海歌はマイクスタンドの横で、その手のひらを胸の高さに上げた。
テープの上には、やっぱり立たない。
大鼓はカバーのかかったドラムセットを背にして、太ももを4つ叩いた。
あたしはアンプに座ったまま前奏を弾いて、小さく息を吸った。歌い出しの前の、海歌の癖だ。
「泡にならない」の頭から、海歌の歌い方をまねた高い声で入る。この歌い方なら、体が覚えている。
西日がマイクスタンドの影を、床に長く伸ばしていた。
海歌の手のひらが少しずつ上がって、あたしの声がその高さを追いかける。
大鼓の指は、太ももでビートを刻み続けている。メトロノームより少し重くて、少しも揺れない。
3人で1曲を鳴らすのは、いつ以来だろう。弦を押さえる左手まで、ビートに引っぱられて軽くなる。
サビへ上がる手前で、海歌の手のひらが止まった。
上げるでも、下げるでもない。宙で、ぴたりと。
節はサビへ上がっていくのに、手のひらはそこから動かない。あたしの声だけが、覚えたとおりに上へ抜けていく。
海歌は自分の手のひらを見ていた。
数小節で、あたしは弦から手を離した。部室に、大鼓の指の音だけが残る。
海歌は手を下ろして、何も打たない。
ミナモの手元には何があって、どうやって海歌の声を受け取っているんだろう。
あたしは自分の声で歌うときにだけ外す首のピックを、指でつまんだ。
「決めた」
海歌と大鼓がこっちを向く。
「第10層の中間ボスを越えて、その下の中層に行く」
海歌の親指がゆっくり動いた。
[うん。練習、ふやすね]
「分かった」
大鼓はまっすぐうなずいて、西日の中で、太ももを4つ叩いた。
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並行して『弱虫ダンジョン配信者の僕、宿った本物の殺人ピエロに体を貸したら『演技うますぎ』とバズった』も連載しています。同じ作者名のページから読めます。
次回から「第10層の大猿」が始まります。




