第16話 ハコブネの階段を降りて
「次、そこ」
あたしの低い声と、大鼓のスティックがゴブリンの頭を叩く音が、同じビートで重なった。
ギターで鳴らしておいた胸の魔石が、同じ高さの声でぱきんと割れる。ゴブリンは光の粒になって消えた。
灯子さんがハコブネに出る金曜の放課後。大鼓にビートを頼んだ日から、毎日2人で潜っている。
残りは4匹。大鼓は真顔で太ももを叩き、蹴りで低い音を足して、ビートを刻み続けている。叩く音がさっきより硬い。
1人のときは声を伸ばさないと割れなかった相手が、ビートに乗れば短い声1つで割れる。何回やっても、ちょっとずるいと思う。
イヤホンに、部室の海歌から歌い方の指示が届いた。
[もっと下]
今日の読み上げは、駅のアナウンスみたいにきちんとした声だ。中身はいつもどおり短い。
声を低く落とすと、最後の1匹の魔石が割れた。
『ドラムの人、今日も真顔』
『一声で魔石割れるの変すぎ』
『吟遊詩人なのに今日も歌わない』
『もう2人で1セットでしょ』
配信を見ている人は60人前後。1人で潜っていたころの倍だ。
横穴で水を飲んでいると、見覚えのあるアイコンが流れてきた。壁がチラシだらけの、地下へ降りる階段の写真。海歌のライブの古いファン、ハコブネの最前列の人だ。
『ミナモの動画、投稿日をぜんぶ並べてみた』
『再生数が急に増えたのは、海歌ちゃんがライブを休みはじめた次の日から』
海歌がライブを休みはじめたのは、声が出なくなってすぐだ。バンドのSNSにのどのことを書いたのは、その1週間ほどあと。それまでは誰も知らなかったはずだ。
偶然にしては、日が合いすぎる。ミナモに海歌の声を使わせた誰かは、海歌がライブを休みはじめた次の日には、もう知っていた。海歌の身近な誰かだ。
『え、こわ』
『おーい、固まってる』
答えなかった。海歌が部室でこの配信を見ている。
知っている顔を指で数えかけて、やめた。
気づくと大鼓がスティックを止めて、こっちを見ていた。何も聞かない。太ももを指で4つ叩いて、また前を向いた。
◇
配信を切って地上に戻り、大鼓と別れて、坂の上の部室へ上がった。
坂を上がる間、何を言うかは決めていなかった。
マイクスタンドから離れた窓ぎわに、海歌が立っている。首に、真珠のチョーカーの白い粒が見えた。
海歌がスマートフォンに文字を打つ。
[まもなく、部室、部室です。お出口は右側です]
さっきの駅のアナウンスの声のまま、ボケてきた。
いつもなら、ここでツッコむ。返しの一言が喉の手前で止まった。
「さっきの書きこみ、見た? ミナモの」
海歌はうなずいて、すぐに笑った。
あたしの目は、海歌の首の白い粒から離れない。
「ねえ。海歌の声がミナモから聞こえるの、チョーカーの呪いのせい?」
海歌の手が真珠の上で止まった。
口元は笑ったまま、目だけが怖がっている。
次の瞬間にはもう指が動いていた。
[ないない。真珠に、そんな機能ないって。充電するとこもないし]
速い。いつものボケより、ずっと速い。
海歌は手のひらを胸の前に上げて、そこで止めた。
怖がらせた。あたしが。
「……だよね。ごめん、今のなし」
あたしは自分から録音の話に戻した。
「やっぱ録音だよ。ハコブネのライブとか、ネットの動画から作ったやつ。灯子さんも、AIで作ったんだろうって言ってたし」
海歌の手のひらが下りた。声のない笑い方で、肩を揺らす。
ほっとした顔だった。
何も分かってないのに、よく言うよ、あたし。
今夜ハコブネへ行くことは、言わなかった。
◇
夜。ハコブネは、協会の建物の真向かいにある。協会の地下にはダンジョンのゲートがあって、ハコブネの入口も、地下へ降りる狭い階段だ。
海歌に黙って来たせいで、1段ごとに足が重い。
ギターケースを背負ったまま降りていくと、床の下から、こもった低音が足の裏に上がってきた。
壁は、チラシとステッカーで隙間なく埋まっている。
ハコブネの最前列の人がアイコンにしている写真は、この階段だ。あの人は何度この階段を降りて、海歌を聞きに来たんだろう。
降りきった扉の横に、店の注意書きが貼ってあった。
上から『階段に座りこまないでください』『ご近所の迷惑になりますので、階段ではお静かに』。
その下に、同じ字で『当店はダンジョンの入口ではありません』。
いや、間違えないでしょ。
受付でドリンク代を払うついでに、スタッフの人に聞いた。
「あの、貝殻ラジオの昔のライブって、録音残ってたりしますか」
「ああ、貝殻ラジオのギターの子」
スタッフは、あたしの背中のギターケースを見て思い出した顔をした。
「録音は、出る人に頼まれたときだけ有料で録るの。貝殻ラジオは頼んでないよ。ネットにあるのは、お客さんのスマホの動画だけじゃない?」
あの歓声まじりの動画で、ミナモの新曲が作れるんだろうか。
それでも帰らなかったのは、灯子さんに誘われた金曜の夜だからだ。
客席は100人入れば満員の、天井の低い部屋だ。今夜は半分も埋まっていない。
灯子さんの番が来た。
黒のハイネックに、低い位置で1つに結んだ長い黒髪。ステッカーだらけのケースからアコースティックギターを出すと、マイクスタンドの前には立たずに、横の椅子に座った。
「この店に出るようになって、もう何年もたちます」
いつものやわらかい口調じゃない。最後まで言い切る、まっすぐな声だ。
灯子さんは足元のケースを指さした。
「このケースのステッカーは、出たライブの数です。1枚ずつ、貼ってきました。今日も、自分で作った曲を弾きます」
前にここで聞いたときの灯子さんは、自分の曲を自分の声で歌っていた。海歌の出番を待つ間に、客席の後ろで聞いていたから覚えている。
今夜の灯子さんは歌わずに、ギターだけで弾き始めた。
最初の4小節で、背中がまっすぐになった。
低い弦で歩くようにビートを刻みながら、高い弦で、歌の代わりのメロディを鳴らしている。
「……ギターが、歌ってる」
気づくと声に出していた。肩紐をつかんだ左手で、あたしは灯子さんと同じコードを押さえている。
灯子さんは目を閉じていた。近すぎる照明が、弦の上を動く指を照らしている。
あたしはギターを背負ったまま、客席のいちばん後ろで動けなかった。
最後の音が、低い天井に吸われて消えていく。
拍手は、まばらだった。
隣の客が、グラスを持ったまま小さく言う。
「灯子さん、最近歌わないよね」
連れの人は「ね」とうなずいただけで、話はそれで終わった。
灯子さんは椅子から立って、客席へ小さく頭を下げた。顔を上げたときには、もう笑っている。
歌わないで、ギターだけ。中学で声を笑われてから、あたしがずっとそうしてきたのと同じだ。
そうやって弾いた曲が、「ね」とうなずかれただけで終わったら、あたしはたぶん、もう弾けない。
灯子さんが自分で作ったこの曲は、ここにいない大勢に届いてほしい。歌わずにギターだけ弾いてきた、あたしの分まで。
手のひらが痛くなるまで、拍手した。
終演後、カウンターの奥で、灯子さんがさっきのスタッフと何か話している。スタッフが話しながら、あたしのほうを見た。
ギターケースを肩に掛けて、灯子さんがこっちへ来る。
「心音ちゃん、来てくれたんだ。ありがとう」
もう、いつものやわらかい声に戻っていた。
灯子さんは、相手の声に耳を傾けるときの癖で、少し首をかしげた。
「海歌ちゃんの録音、探してるんだって?」
口を開けた。
何も、出てこなかった。




