第14話 太もものビートで、持ち歌を
「だって、まねのほうが上手いし」
昨日ゴブリンの群れを片づけたあと、大鼓に「なんで、まねで歌う」と聞かれた。日曜の昼の今日、下北沢ダンジョンの下りの通路を並んで歩きながら、あたしはやっと答えを返した。
大鼓は前を向いたまま、太ももを指で4つ叩いた。頭ひとつ以上高い所にある顔は、いつもどおりぴくりとも動かない。
「分かった」
あたしは思わず身構えた。
今度は何をしでかすつもりだろう。
石の通路に2人分の足音が響いて、天井から水の滴る音がする。待っても待っても、大鼓はそれ以上何も言わなかった。
「……いや、それだけ?」
「心音が答えた。だから、もう聞かない」
身構えていたぶん、膝の力が抜ける。
冗談だったんだけど、とは言えなかった。
◇
白い洞窟の天井から下がる石の先が、ぼんやり光っている。ドローンはあたしの斜め上に浮かび、大鼓は通路の少し前を歩いていた。
昨日の2人の戦いを、誰かが短く切り出して動画に上げたらしい。配信を始めると、同時接続数はすぐに60前後まで上がった。見たことのない名前ばかりが流れていく。
『切り抜きから来ました』
『ドラムの人いる』
広まるのが早すぎて、ちょっと怖い。
通路の先に、ゴブリンが6匹固まっていた。大鼓が先に出て、太ももと蹴りとスティックでビートを刻み始める。
叩かれたゴブリンが、みんな素直に大鼓のほうへ向かっていく。何度見ても変な光景だ。
あたしは後ろからギターの音を当てて魔石を鳴らし、鳴った魔石と同じ音の高さの短い声で、4つ数える1つ目ごとに割っていく。1匹割れるたびに、ぱきんという音がビートの上にきれいに並んだ。
日曜で部室が開かないから、海歌は今日、自分の部屋でこの配信を見ている。
片耳のイヤホンに、海歌から歌い方の指示が届いた。
[もっと下]
[いまの、のどに力入った]
声はもっと低く、のどは楽に。自分の部屋の画面ごしでも、海歌はあたしの声のそんな一瞬まで聞き逃さない。
最後の1匹まで、大鼓のビートは一度も崩れなかった。悔しいけど、1人で潜っていたころよりずっと楽だ。
『太ももの音いい』
『ゴブリンを太鼓にすな』
『太もも大丈夫?』
『切り抜きより叩いてる』
『あざになるやつ』
大鼓は返事をしない。スティックを後ろのポケットに差して、黙って魔石を拾い始めた。聞こえていないのか、気にしていないのか、たぶん後者だと思う。
【レベルアップ。Lv10からLv11になりました】
昨日上がったばかりなのに、また上がった。
通路の脇のくぼんだ岩場で、少し休むことにした。大鼓は岩に腰を下ろし、あたしはその隣でギターを膝に置く。
『休憩なら1曲ほしい』
『バンドの持ち歌のやつ聞きたい』
『曲名、「泡にならない」だっけ』
『フルで頼む』
「泡にならない」は、あたしが曲を作って海歌が詞を書いた、あたしたちのバンドの曲だ。
「えー、どうしよっかな」
勝手に口が動いて、いつもの冗談の形を作った。指まで勝手に、別の曲の前奏を弾きかける。適当に1曲歌っておけば、リクエストはそれで流れるはずだった。
片耳のイヤホンは静かなままだ。
あたしは弦を手のひらで押さえて、前奏を止めた。
海歌の歌を海歌の歌い方で歌う。
「大鼓、ビートちょうだい」
大鼓は何も聞き返さずに、膝の上で両手を構えた。
ぱん、と太ももが鳴る。4つ数えて、また頭から。白い壁がその音を少し遅れて返してきて、洞窟じゅうが小さなリハーサルスタジオみたいになった。
このテンポなら、歌が先へ急がずに済む。
首のピックは、自分の声で歌うときだけ外して弾く。今日は首のピックには触れずに、薄いピックで前奏を弾いた。
歌い出しの前に、小さく息を吸う。海歌がいつも、そうしていた。
高さは海歌に合わせて、伸ばし方も海歌のままにした。何十回も海歌の後ろで聞いてきた歌い方だから、喉のほうが先に覚えている。
サビが近づいたところで、顔を出さない人気の歌い手、ミナモの新曲を思い出した。
あの曲の中では今、海歌の声が、海歌の歌ったこともない歌を歌っている。
声が一度、細くなった。
まねまで下手になって、どうするんだ。
それでも、大鼓のビートは止まらない。
揺れた声の下で、ビートだけが同じ速さのまま待っている。
あたしはビートの次の1つ目に、もう一度声を乗せた。
細くなりかけた声を、海歌の高さへ戻す。
サビに入る。
「きみの声で 海が鳴る」
最後のコードが、白い壁に返って消えていく。
大鼓の手が膝の上で止まる。
数秒遅れて、イヤホンに海歌の読み上げが届いた。
[それ、わたしの歌。ちゃんと、わたしの]
歌い方の指示じゃなかった。
サビの前に思い出したミナモの新曲が、また頭をよぎる。
あたしは片耳のイヤホンに指を当てたまま、しばらく動けなかった。
腕のスマートフォンを見ると、海歌はコメント欄にも同じ文字を1行だけ打っている。その下に、知らない人たちの書き込みが続いた。
『これ誰の曲?』
『オリジナル?』
『わたしの歌って書いた人、この曲作った人?』
「うちのバンドの曲」
◇
配信を切ってダンジョンから地上に戻ると、もう夕方だった。
大鼓と並んで、あたしの家のほうへ歩く。少し歩いたところで、大鼓が口を開いた。
「なんで、まねで歌う」
「それ、昼に答えたじゃん」
「さっきの歌を聞いた。だから、もう一度聞く」
今度は冗談が出てこなかった。
「今さ、海歌の声で歌ってる人がいるの」
ミナモの名前までは言わなかった。
大鼓がこっちを見下ろす。顔はいつもどおりなのに、足だけが一歩ぶん遅れた。
「だから、あたしが海歌の歌い方で歌ってれば、海歌の歌は、なくならないでしょ」
口に出したのは、初めてだった。
大鼓はしばらく黙って歩いた。太ももを叩く指の音が、4つ聞こえる。
「心音の声なら、昔から好きだ」
照れもせずに、天気の話でもするみたいな調子で言う。
「はいはい」
笑って流してから、気づくと首のピックを指でつまんでいた。
「好きとか言われてもさ。中学の音楽の時間に、男子みたいって笑われた声だよ」
言ってから、少しだけ迷った。
「笑われたあとのこと、誰にも言ってないんだけど」
大鼓は黙ったまま、あたしの歩く速さに合わせた。
「みんなが笑い出したとき、あたし、わざと声をもっと低くして、男子っぽく歌ってやったの。腰に手まで当てて」
あの日の教室の笑い声は、今でもときどき耳の奥で鳴る。その真ん中で、あたしもいちばん大きな声で笑っていた。
「そしたら大ウケ。笑われてたのが、笑わせてたことになった。それから、歌の話になったら先に冗談にすることにしてるの」
その日の帰りに楽器屋で買ったピックが、指の中で冷たかった。
「ま、ウケたからいいんだけどね」
「よくない」
あたしの家がある路地の入り口で、大鼓が立ち止まった。振り返ると、点いたばかりの街灯の下で、いつもの真顔がこっちを向いていた。
「小さいころ、心音は低い声で歌っていた。俺は、それをかっこいいと言った」
「は?」
「大鼓、誰かと間違えてない?」
「間違えてない」
「覚えてないし」
「俺は覚えてる」




