第11話 聞けば、分かる
『ミナモの新曲の声、海歌ちゃんじゃない?』
ハコブネの最前列の人が書きこんだ。ライブハウスのハコブネで、海歌の歌をいつもいちばん前で聞いてきた人だから、耳は確かだ。
新曲のリンクを親指で押した。
ミナモは、顔を出さずにネットで歌う人気の歌い手だ。
下北沢ダンジョンの第3層。地上から3つ下りた白い洞窟で、あたしの配信はつながったままになっている。
片耳のイヤホンには、声の出ない海歌が部室から打って読ませる文が、いつもなら届くのに、あの書きこみから一度も来ない。
静かなイヤホンに、アコースティックギターの前奏が流れこんできた。
『リンク聞いてくるわ』
『新曲聞いて戻った』
『前奏しっとり系』
『ゴブリンのあとに聞く曲じゃない』
コメント欄はあたしを置いて、新曲の話で勝手に進んでいく。
聞きたくないのに、気づけば音量を2つ上げていた。
前奏が細くなって、途切れる。
歌が入る直前、イヤホンの奥で、小さく息を吸う音がした。
知ってる息だ。
部室でもハコブネでも、あたしはこの息を、ギターを弾きながら背中ごしに何百回も聞いてきた。息が聞こえたら、次の拍で弦を鳴らす。頭より先に、右手が覚えている。
その右手が勝手に、弦の上で構えていた。
一音目が鳴る。
海歌の声だった。
曲は知らない。海歌が一度も歌ったことのない旋律に、聞いたことのない歌詞が乗っている。
構えた右手が、弦から落ちた。
『配信者、固まってる』
『聞いてきた。似てる……のか?』
『いや別人だろ』
『海歌って誰』
『ゴブリン湧く前に戻ってこい』
海歌って誰、の1行で、指先が冷えた。
今日の視聴者は、ほとんどが海歌を知らない人だ。ここで答えたら、知らない人たちが海歌とミナモを並べて、似てるだの似てないだのと書きはじめる。
首に巻いた真珠のチョーカーの呪いで歌えなくなって、バンドを休んでいる海歌を、こんな所で品定めさせたくない。
「ごめん、今日はここまで」
自分でも驚くくらい、平らな声だった。
『え、急』
『新曲流さないの?』
『おつ』
「流さない。おつかれ」
配信を切った。
画面が暗くなっても、イヤホンの中では海歌の声が歌い続けていた。
◇
ギターを抱えたまま地上へ出て、高校までの坂を走った。
海歌はもう聞いただろうか。聞いたなら、今どんな顔をしているんだろう。
部室のドアを開けると、正面の窓から西日が目に刺さった。
入口で肩で息をする。すぐには声が出ない。
海歌は今日も、窓の前のマイクスタンドの足元の「うみか」と書いた黄色いテープに立たず、窓の横の壁にもたれていた。
肩から斜めに、自分のマイクを入れた布の袋を掛けて、首の真珠のチョーカーが西日で白く光っている。手の中のスマートフォンから、小さく歌が流れていた。
さっきイヤホンで聞いた、ミナモの新曲だ。
なんで、自分でそれ聞いてんの。
海歌はあたしに気づくと、ぱっと笑った。
ボケる前の顔だ。
いつもなら、ここで海歌がボケて、あたしが突っ込む。変な声で何を言われても、「なんでその声なの」と返せば、重たい空気はそれで流れた。
読み上げのアプリの何十種類もある声から、海歌の親指がわざと選んだのは、しわがれたおじいさんの声だった。
[新曲のコメント、読みまーす]
海歌の指が、新曲の動画に付いたコメントをなぞる。1件読ませるたびに、自分の返事も打って読ませ、その後ろで新曲が小さく鳴り続けている。
[声がきれいすぎる]
読み上げのおじいさんの声が、しわがれたまま言い切った。
海歌は胸に手を当てて、深々とお辞儀をする。
[ありがとうございまぁす]
[透明感えぐい]
[よく言われまぁす]
水色の毛先を指でくるくる巻いて、海歌は得意げにあごを上げてみせた。
[この声が好き]
[わたしもでぇす]
喉まで来たツッコミが出てこない。
お辞儀のたびに、首のチョーカーの真珠が西日を返す。
海歌の指が次のコメントで止まった。
[ミナモの声、一生聞ける]
海歌はもう一度お辞儀をして、自分の胸を指さした。
[ミナモでぇす。なんちゃって]
西日の中で、海歌が顔を上げて笑っている。
あたしは、笑えなかった。
海歌の口元から、笑いが引いていった。
読み上げが止まる。スマートフォンの歌も、海歌の親指で消えた。
部室が静かになったとたん、腹の底が熱くなった。
ふざけんな。
ギターのネックを握った左手に、弦が食いこむくらい力が入っていた。
海歌の名前は、どのコメントにもない。
海歌の声で、知らない誰かが売れている。海歌本人は、ここで声も出せずにお辞儀をしているのに。
声が出ないのがチョーカーの呪いなら、その声は、ほかの誰かに移った?
すぐに打ち消した。外れなくなったチョーカーを見せに、海歌と協会の鑑定窓口へ行った日、呪いの品の効き目を出す鑑定機の画面を、窓口の人がこっちへ向けてくれた。並んでいたのは、声が出なくなる、の1行だけ。
海歌はその1行を、指で何度もなぞっていた。
移るなら、あの画面にそう出たはずだ。
「動画だよ。ライブのも練習のも、録ったのがネットにいくらでも上がってるじゃん。あれを切ってつないで、海歌そっくりの声を作ったやつがいるんだって」
口が勝手に速くなる。
「録音から作っただけなら、止めさせられる。動画も消させればいいだけだし」
海歌はあたしが言い終わる前にうなずいていた。
[そっかぁ、録音かぁ]
海歌の肩から、すとんと力が抜けた。
それから海歌は、胸の前で手のひらをこっちへ向けて、止めた。
待って、と人を止めるときの手だ。
[調べなくていいよ]
声はおじいさんのままなのに、さっきまでのボケの調子が、どこにもなかった。
「なんで」
海歌は首を横に振って、また親指で画面をたたいた。
[それより、このおじいさんの声、渋くない?]
あたしは突っ込まなかった。
海歌の手のひらは胸の前で止まったまま、下りない。
「突き止めるから。海歌の声で勝手に歌ってるやつ」
読み上げは、返ってこなかった。
「今夜、海歌の昔の動画を全部並べる。どの録音から作ったかは、聞き比べれば分かる」
ここまで読んでくださってありがとうございます。続きが気になったら、ブックマークしてもらえると更新の通知が届きます。
並行して『弱虫ダンジョン配信者の僕、宿った本物の殺人ピエロに体を貸したら『演技うますぎ』とバズった』も連載しています。同じ作者名のページから読めます。
次回から第2章「3メートル後ろのドラマー」が始まります。




