第10話 今の声、誰の?
海歌が昨日の配信の録画を、あたしがまねをやめて自分の声で歌った一節の所で止め、スマートフォンに文字を打った。
[今の声、誰の?]
海歌のスマートフォンが、わざと選んだ変な声で読み上げた。今日のは、風邪をひいたロボットみたいな声だ。
昇格の翌日、月曜の放課後。部室の窓から西日が入って、マイクスタンドの影が床の黄色いテープの上まで伸びている。
テープには油性ペンで「うみか」。海歌はそのテープから離れて、アンプに座ったあたしの隣にしゃがみ、画面をこっちへ向けていた。
止める直前の1秒がまだ耳に残っている。低くかすれた声は、スマートフォンのスピーカーで聞くと余計に男子みたいだった。
録音で聞く自分の声って、なんでこんなに低いんだろう。知りたくなかった。
あたしはカーディガンの袖を口元に当てた。
「昨日の一節のこと? いや、あれは、たまたまだし」
海歌が首をかしげる。
「キー下げたら、たまたま合っただけ。昨日はほら、必死だったし。あたしの声がどうとかじゃないから」
言いながら、言い訳の見本みたいだと自分でも思う。
「てか、なんでそこで止めんの。もっと前に、ちゃんとまねで歌えてるとこあるじゃん」
袖の中で、口がもごもご動いていた。
海歌は笑って、うんうんと2回うなずいた。
いつものボケが飛んでこない。
代わりに、海歌の手が肩のほうへ行く。斜めに掛けた布の袋の紐を、ぎゅっと握っていた。中に入っているのは、海歌のハンドマイクだ。
そういえば今日、海歌は一度も、あのテープの上に立っていない。
あたしの声を聞いて、海歌は何を思ったんだろう。
聞こうとしたときには、海歌はもう手を離して、スマートフォンをポケットにしまっていた。
今日の配信はいつもどおりにやる。
小さい相手は、いつもどおりギターで鳴らして短い一言で割る。歌うときは、海歌の歌い方をまねればいい。
昨日のがたまたまなら、今日は歌わなくても勝てるはずだ。勝ってしまえば、昨日の一節はたまたまのまま、アーカイブの奥へ沈んでいく。
◇
夕方、第3層。
白い洞窟の天井から下がる石の先が、ぼんやり光っている。ドローンはあたしの斜め上に浮かび、腰の小型のアンプが小さくノイズを立てていた。片耳のイヤホンには、部室で見ている海歌の読み上げが届く。
配信の題は〔下北沢ダンジョン〕第3層。画面の端に出るランクが、昨日からEになっている。Eになって初めての配信だ。
同時接続数は30前後。先週のあたしなら、この数字を見ただけで帰りたくなっていた。
『Eランクおめ』
『吟遊詩人でEは草』
『そのうちあだ名つくぞ』
『てか今日、知らない人多くない?』
「草って言うな。あと、勝手に予言しないで」
知らない人が多い理由は、すぐに分かった。
『昨日のアーカイブから来た』
『低い声の歌、もう1回』
『一節のとこ何回も聞いた』
『今日もあれやる?』
見たことのない書き込みが、見たことのない速さで流れていく。どれも、昨日の声の話ばかりだ。
「いや、やんないから。ここ、ライブ会場じゃないし」
ツッコむほど、書き込みが増えていく。
曲がり角の先で、ゴブリンの声がした。
3匹。さびた短い刃物を下げて、壁ぎわに固まっている。
ギターを構えたところで、1件の書き込みが目に留まった。
『昨日の声で歌ってください』
さっきまでの冷やかしと違って、まっすぐなお願いだった。
あたしは首元へ指をやって、首のピックの角に触れた。
すぐに離す。
「昨日の声は売り切れです。本日は、歌なしでお送りします」
『売り切れw』
『在庫補充はよ』
『じゃあ一言で割るやつで我慢する』
我慢されるのも、それはそれで複雑だ。
ギターの胴を指で叩くと、手前の1匹だけが首を振ってこっちへ来た。
昨日なくしたピックの代わりに、予備のピックで弦を鳴らす。
音が当たると、ゴブリンが一瞬止まった。胸の奥で魔石が光って、細く鳴る。
イヤホンに、海歌の読み上げが届く。
[肩]
上がりかけていた肩を下ろして、鳴っている高さに一言だけ合わせる。
「はい、そこまでー」
自分の低い声を1秒ちょっと伸ばすと、魔石がぱきんと割れた。ゴブリンは前のめりに崩れて、光の粒になる。
1匹目はいつもどおりに片付いた。
2匹目が刃物を振り上げて走ってくる。
弦を鳴らすと、魔石が光った。一言で足りる相手だ。
なのに、口から出かけたのは一言じゃなくて、歌の出だしだった。昨日の一節の続きみたいな、低い歌。
喉の奥から、かすれた最初の音が半分だけこぼれる。アンプがそれを拾って、白い壁に返した。
自分の声で、歌おうとしていた。
昨日、50人の前で出した声。録画の中で、男子みたいだと思った声。
あたしは口を閉じた。
続きの音を、喉の奥へ飲みこむ。
ゴブリンの刃物が、もう2歩の所まで来ている。
歌い出しの前に、小さく息を吸い直した。海歌の癖までまねて、高い声の眠りの歌に切り替える。ゴブリンは足をもつれさせて、あたしの靴の先で眠りこんだ。
『今なんか歌いかけた?』
『止まったよね』
『うしろ、3匹目来てる』
答えないで、足元の2匹目に弦を鳴らし、一言だけ低く落とした。
魔石が割れて、2匹目は光の粒になった。3匹目も、弦と一言で片付く。
自分の声で歌うことから逃げるのだけは、上手くなったらしい。
イヤホンに、また海歌の読み上げが届いた。
[水]
言われたとおり、ペットボトルの水を一口飲んだ。
飲みながら、腕のスマートフォンに目を落とす。流れの中に、見覚えのある書き込みが1件混ざった。
ハコブネの最前列の人だ。前に『似てるけど違う』と書いた人で、今日はここまで、一度も書き込んでいなかった。
昨日の「まねじゃない」のあとだから、何を書かれるのか、少しだけ身構えていたのに。
ハコブネの最前列の人が貼ったのは、文字ではなくリンクだった。
ミナモの新曲。
前に部室で、動画を流していた海歌の親指が、一拍だけ止まった名前。水面に映る女の子の後ろ姿を描いた、あの絵の。
なんで歌の新曲を、ダンジョンの配信に貼るんだろう。
続けて、同じ人の書き込みが流れてきた。
『ミナモ、前は機械で声変えてた』
『新曲は機械なしの声』
『歌い出しの前に、小さい息』
歌い出しの前の、小さい息。
ついさっき、2匹目の前で、あたしも海歌の癖をまねて吸った。
その先を考える前に、ほかの書き込みが一回り流れた。
『息って何の話』
『それ今関係ある?』
関係あるのか、あたしにも分からない。
その下に、ハコブネの最前列の人がもう1件書き込んだ。
『新曲の声、海歌ちゃんじゃない?』
あたしは、ギターを抱えたまま止まった。
「……は?」
自分の声が思ったより大きく、洞窟に響いた。
『え』
『どういうこと』
『ガチで言ってる?』
『リンク聞いてくる』
リンクを押して新曲を聞けば、海歌の声かどうか、あたしならきっと分かる。
分かるはずなのに、親指がリンクの上で止まったまま動かない。
イヤホンの次の一言を待った。
数秒たった。
もう数秒。
イヤホンは、静かなままだった。




