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第8話 鍵と首輪

 ルナの合図で、狼族たちが散った。


 二人が外壁に沿って正門へ向かう。


 ボルグともう一人は、中庭に残る三人の兵士を引き受ける。


 ルナは最後の一人とチリを連れ、檻の並ぶ建物へ走った。


 タダノは御者台に残っている。


 檻の馬車に残った鹿族、熊族、兎族も、まだ動かない。


 首輪が外れていることと、チリが檻から抜け出したことを、商館の者たちに悟らせないためだった。


 中庭の兵士がボルグを見た。


「おい、何をしている!」


 ボルグは答えない。


 地面を蹴り、兵士との距離を一気に詰める。


 槍が向けられるより早く、その身体へ肩からぶつかった。


 兵士が資材置き場へ倒れ込む。


 積まれていた木箱が崩れた。


 残る二人が武器を抜く。


 ボルグと組んだ狼族が、その間へ飛び込んだ。


 正門でも戦いが始まる。


 背後から襲われた門番が、短い悲鳴を上げた。


 完全に音を立てず制圧することはできない。


 だが、事務棟の者たちが動き出す前に、檻を開ける時間は作れる。


「チリ、扉を」


「待ってくださいっス」


 檻の建物へ駆け寄ったチリが、取っ手へ触れる直前で止まった。


 扉の上から、細い金属線が伸びている。


 暗い色をしているため、急いでいれば見落としていた。


「何だ」


「このまま開けると、奥の鐘が鳴るっス」


 金属線は壁の穴を通り、建物の中へ続いている。


「外せるか」


「やるっス」


 チリが毛の中から針金を取り出した。


 扉の留め金へ差し込み、金属線を固定している小さな輪へ引っかける。


 手は震えていた。


 それでも、針金の先は迷わない。


 輪が外れる。


 張っていた金属線が緩み、壁際へ垂れた。


「これで鳴らないっス」


「開けろ」


 チリが扉を引く。


 汚れた藁と血の臭いが流れ出した。


 左右には鉄格子が並んでいる。


 三つの檻。


 中には九人のガチケモがいた。


 犬族。


 猫族。


 山羊族。


 猪族。


 馬族。


 種族はばらばらだった。


 全員が隷属の首輪をつけられている。


 足首まで鎖でつながれている者もいた。


 ルナたちが入ってきても、すぐには声を上げなかった。


 新しい買い手を見るような目で、こちらを見ている。


「狼族……?」


 檻の中から声がした。


「どうして、首輪がない」


「助けに来た」


 ルナは短く答えた。


「騒ぐな。首輪を外せる者が来る」


 通路の奥に置かれた机から、一人のニンゲンが立ち上がった。


 腰には、契約印の刻まれた札が下がっている。


 鉱山にもいた、首輪を管理する者だ。


「何者だ!」


 管理者が契約札へ手をかける。


「伏せろ!」


 命令を受け、檻の中の者たちが一斉に喉を押さえた。


 立ち上がろうとしていた犬族が、藁の上へ膝をつく。


 管理者がもう一度、契約札へ触れようとする。


 ルナと一緒に来た狼族が、その腕を掴んだ。


「離せ、この獣が!」


 管理者が空いた手で短剣を抜く。


 ルナが踏み込み、その手首を壁へ叩きつけた。


 短剣が床へ落ちる。


 管理者が叫ぶ前に、ルナの爪が喉へ入った。


 抵抗はすぐに止まった。


「鍵を探せ」


「もう見つけたっス」


 チリは管理者の腰から鍵束を外していた。


 大小十本ほどの鍵が、鉄の輪につながっている。


 チリは一つずつ試そうとはしなかった。


 錠前と鍵の形を見比べ、先端の細い鍵を一本選ぶ。


 最初の檻へ差し込む。


 一度ひねるだけで、錠前が開いた。


「早いな」


「よく使われてる鍵は、削れ方が違うんス」


 チリが扉を開ける。


 檻の中の者たちは動かなかった。


 開いた扉を見ても、首輪を押さえたまま座っている。


 逃げれば何が起こるか知っているのだ。


 建物の入口から足音がした。


 タダノが走り込んでくる。


 御者の外套は脱いでいた。


 檻の中を見た瞬間、その表情から笑みが消える。


「首輪を外す」


 タダノは一番近くにいた犬族の前へしゃがんだ。


 犬族が身体を引く。


「ニンゲン……」


「大丈夫。外すだけだよ」


「そいつには外させろ」


 ルナが言った。


「私たちの首輪も、タダノが外した」


 犬族はルナの首を見る。


 そこに鉄の輪がないことを確かめる。


 やがて、ゆっくりとタダノへ首を差し出した。


 タダノの指が首輪に触れる。


 かちり。


 鉄の輪が開き、藁の上へ落ちた。


 犬族は自分の喉を押さえた。


 息を吸う。


 もう一度、大きく吸う。


 タダノは隣にいた猫族の前へ移った。


「次、外すね」


 チリは足枷の前へ座り込んでいる。


 別の鍵を選び、鎖を外していく。


 タダノが首輪を外す。


 チリが檻と鎖を開ける。


 ルナたちは通路を守る。


 役割は決まっていた。


 かちり。


 二つ目の首輪が落ちる。


 チリが一つ目の足枷を開けた。


「外へ出ても、勝手に走るな」


 ルナは解放された者たちへ告げた。


「まだ商館の中だ。動けない者を支えて、入口のそばで待て」


 犬族が立ち上がる。


 脚に力が入らず、鉄格子へ手をついた。


 猫族がその身体を支える。


 すぐに戦える状態ではない。


 首輪が外れても、空腹や疲労までは消えない。


「チリ、残りの檻を開けろ」


「はいっス」


 チリが鍵束を持って走る。


 二つ目の檻。


 三つ目の檻。


 鍵を見分け、扉を開く。


 足枷も一つずつ外していく。


 タダノは首輪の残っている者の前へ順番にしゃがんだ。


「もう大丈夫。すぐ外すから」


 かちり。


 また一つ、首輪が落ちる。


 首輪を外し、深い傷があれば手を当てる。


 血が止まると、次の者の前へ移る。


 ルナは解放された者たちを入口へ誘導した。


「歩ける者は、歩けない者へ肩を貸せ。戦える者も前へ出るな。まず外へ出ろ」


「俺たちも戦える」


 猪族が言った。


 身体には何本もの傷が残っている。


 立ってはいるが、脚は震えていた。


「ここで倒れれば、助けに来た意味がない」


 ルナは言い切った。


「戦うのは、動けるようになってからだ」


 猪族は何も言わなかった。


 隣にいた馬族の腕を取り、入口へ向かう。


 最後の首輪が開いた。


 鉄の輪が藁の上へ落ちる。


 九人。


 この建物に閉じ込められていた全員の首輪が外れた。


「終わったよ」


 タダノが立ち上がる。


 通路の奥には、小さな管理室があった。


 机。


 帳簿。


 壁に掛けられた予備の鎖。


 さらに奥には、別の建物へ続く扉がある。


 解放された犬族が、その扉を見た。


「向こうにも檻がある」


 ルナが振り返る。


「同胞か」


「違う。ニンゲンだ」


 犬族は喉を押さえながら答えた。


「十人以上いる。食事を運ぶ時に見た」


 ニンゲンの奴隷。


 ルナは奥の扉を見た。


 だが、足は向けなかった。


「そちらは後だ。今は首輪を外した者を全員ここから出す」


 建物の外から、ボルグの声がした。


「中庭は押さえた!」


 続いて、正門へ向かった狼族からも報告が来る。


「門番を倒した! 門は閉めてある!」


 今のところ、外へ逃げたニンゲンはいない。


「外へ出るぞ」


 ルナたちは解放した者たちを中庭へ移す。


 檻の馬車に残っていた三人も、すでに外へ出ていた。


 鹿族と兎族が、熊族へ肩を貸している。


 チリを含め、檻の馬車から救い出した者は四人。


 商館の中から救い出した者が九人。


 合わせて十三人だった。


 タダノが熊族の様子を確かめる。


 腕の傷はすでに塞がっている。だが、熊族の足元はまだ不安定だった。


「無理に走らないで」


 タダノが言う。


 ルナは中庭を見渡した。


 正門のそばには、倒された門番が二人。


 資材置き場の前には、中庭を守っていた三人が倒れている。


 ボルグは奪った槍を手に、事務棟の前へ立っていた。


「中にまだいる」


 ボルグが言う。


「倉庫にも兵士が残っている」


「解放した者を裏門へ集めろ」


 ルナは命じた。


「動けない者から外へ出す。正門は一人で押さえろ。残りは中庭へ戻れ」


 狼族たちが動き出す。


 その時、事務棟の二階で鐘が鳴った。


 商館中へ響く大きな音だった。


 一度。


 二度。


 三度。


 外へ助けを求める警報だ。


 事務棟の扉が開いた。


 武器を持った兵士が五人、商館主を守るように出てくる。


 ほぼ同時に、倉庫からも三人の兵士が姿を現した。


 上等な服を着た商館主が、中庭を見渡す。


 倒れた兵士。


 開かれた檻。


 首輪を外されたガチケモたち。


 商館主の腰では、ほかより大きな鍵が一本揺れていた。


「私の商品に何をした!」


 その声に、解放された者たちの身体が強張る。


 タダノが前へ出ようとした。


 ルナは腕を伸ばし、その進路を塞ぐ。


「お前は後ろだ」


「でも、ガチケモが――」


「分かっている。だから、傷ついた者のそばにいろ」


 タダノは十三人のガチケモを見る。


 すぐには納得しなかった。


 それでも、ルナの前には出なかった。


「檻へ戻せ!」


 商館主が叫ぶ。


「一匹も逃がすな! 殺しても構わん!」


 兵士たちが武器を構える。


 中庭にいる狼族と、檻から救い出された者たちは、兵士たちより数が多かった。


 だが、救い出された者の大半は戦える状態ではない。


 立っているだけで精一杯の者もいる。


 ルナは十三人の前へ立った。


 ボルグたちも左右に並ぶ。


「動ける者は、歩けない者を連れて裏門へ向かえ」


 ルナは命じた。


「戦える者も、勝手に前へ出るな。ここは私たちが止める」


 猪族が倒れた兵士の棍棒を拾った。


 すぐには前へ出ず、弱った者たちの後ろにつく。


 犬族もその隣に立った。


 守るためなら動ける。


 そう判断したらしい。


 事務棟側の兵士が踏み込んだ。


 三本の槍が横に並ぶ。


 その後ろに、剣を持った二人が続く。


「正面から受けるな!」


 ルナの声に、狼族たちが左右へ開いた。


 槍が空を突く。


 ボルグが外側の槍を掴み、強く引いた。


 兵士の身体が前へ崩れる。


 その横から狼族が飛び込み、兵士を地面へ押し倒した。


 ルナは中央の槍を避ける。


 槍を持つ腕へ爪をかけ、そのまま兵士を引き寄せた。


 膝を腹へ入れる。


 兵士が息を詰まらせた。


 ルナは槍を奪い、胸へ突き立てる。


 倉庫側の三人が、解放された者たちへ回り込もうとした。


「右から来るっス!」


 チリの声が飛ぶ。


 ルナと一緒に檻へ入った狼族が、倉庫側へ走った。


 一人目の兵士へぶつかる。


 残る二人が横を抜けた。


 狙いは、裏門へ向かうガチケモたちだ。


 タダノがその前へ立った。


 槍が腹へ刺さる。


 もう一人の剣が肩へ食い込んだ。


「どけ!」


 兵士が叫ぶ。


 タダノは動かなかった。


 腹に槍を刺されたまま、その柄を両腕で抱え込む。


 肩へ入った剣も抜けない。


 兵士たちの足が止まった。


「ボルグ!」


 ルナが呼ぶ。


 ボルグが向きを変えた。


 槍を抱えたタダノの横を通り、兵士へ体当たりする。


 槍を持つ兵士が倒れる。


 タダノの腹から穂先が抜けた。


 傷はすぐに塞がり始める。


 剣を持った兵士が逃げようとする。


 タダノは肩に入った刃を掴み、その場から動かさない。


 追いついた狼族が、兵士の喉を爪で裂いた。


 チリは地面へ落ちていた鎖を拾った。


 倉庫側から来た最後の兵士が、狼族と争っている。


 相手の背後へ回り込む勇気はない。


 正面から戦う力もない。


 それでも、足元なら狙える。


 チリは鎖を地面へ滑らせた。


 兵士が後ろへ下がる。


 靴が鎖へ引っかかった。


 身体が傾く。


 狼族がその隙を逃さず、兵士を地面へ押し倒した。


 中庭で戦えるニンゲンが減っていく。


 事務棟から出てきた兵士の一人が、商館主を振り返った。


「無理です! 門を開けてください!」


「黙れ! 商品を取り戻せ!」


 兵士は商館主の命令を聞かなかった。


 正門へ走る。


 だが、門の前には狼族が残っている。


「開けろ!」


 兵士が剣を振り上げた。


 門を守る狼族は避けなかった。


 剣を持つ腕を掴み、そのまま門へ叩きつける。


 兵士の手から剣が落ちた。


 短い悲鳴が上がる。


 残る兵士たちの動きが乱れた。


 一人が逃げたことで、誰も商館主の命令を信じなくなっている。


 ボルグが前へ出る。


 狼族たちも続く。


 一人が倒れる。


 別の一人が武器を落とす。


 背を向けた兵士も、正門へたどり着く前に追いつかれた。


 やがて、中庭で立っているニンゲンは商館主だけになった。


 ルナは奪った槍を捨てた。


 商館主へ歩み寄る。


「待て」


 商館主が後ずさる。


「金ならある。欲しいだけ持っていけ」


 ルナは止まらない。


「鉱山も買える。森も、食料も用意してやる」


 返事はない。


 ボルグたちが商館主の逃げ道を塞ぐ。


 正門は閉じられている。


 事務棟へ戻っても、裏口は狼族に押さえられている。


 檻から出された者たちは、裏門へ向かっている。


 もう、商館主の命令を聞く者はいない。


「近づくな……」


 商館主の手が上着の内側へ入る。


 取り出したのは、短い杖だった。


 先端には赤い石が埋め込まれている。


 杖の根元には、蝋の封があった。


 商館主は親指で封を折る。


 赤い石が光り始めた。


 周囲の空気が熱を持つ。


「ルナ!」


 チリが叫ぶ。


 商館主はルナではなく、裏門へ向かうガチケモたちへ杖を向けた。


「全部、焼けてしまえ!」


 赤い火の塊が放たれる。


「ガチケモが危ない!」


 タダノが走った。


 構えもなく、火の塊の前へ飛び出す。


 炎がタダノの胸へ直撃した。


 大きな音が中庭を揺らす。


 タダノの身体が吹き飛び、積み上げられていた木箱へ叩きつけられた。


 砕けた木片と火の粉が周囲へ散る。


 乾いた木箱へ火が移る。


 倉庫の壁にも、赤い炎が走った。


 商館主が荒い息を吐く。


 手の中にある杖の石は、黒く濁っていた。


 もう光っていない。


「やった……」


 商館主の声が震える。


「やったぞ……」


 燃える木箱の中で、何かが動いた。


 黒く焦げた腕が、地面へつく。


 タダノが立ち上がる。


 服は焼け、胸と腕に火傷が広がっている。


 その火傷が、商館主の目の前で消えていく。


 黒く焼けた痕が薄れ、元の肌へ戻る。


 タダノは自分の身体を見なかった。


 背後にいるガチケモたちを振り返る。


「みんな、大丈夫?」


 返事を聞くと、タダノは商館主へ顔を戻した。


 武器は持っていない。


 怒鳴りもしない。


 ただ、商館主とガチケモたちの間に立っている。


 商館主は後ずさった。


 腰では、大きな鍵が揺れている。


 その目が、扉の開いた檻を捉えた。

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