第4話 鉱山の巣
鉱山の騎士が剣を抜き、坑道へ入った。
その後ろには、先ほど逃げた文官がいる。監督官と兵士たちも、騎士を中心に並び直した。
「騎士様、あの者です!」
文官がタダノを指す。
「あの者が、契約印も使わずに首輪を外しています!」
騎士の視線が坑道の奥へ向いた。
タダノは騎士を見ていない。
目の前にいる狼族の首輪へ手を伸ばしている。
「前は私が受け持つ」
騎士が長剣を構えた。
「お前たちは私の後ろから槍を出せ。狼どもを近づけるな。奥のニンゲンを殺せ」
兵士たちが騎士の後ろへ集まる。
重装備の騎士を先頭に置き、その左右から槍を突き出す形だった。
騎士の全身は金属の防具に守られている。
正面から攻撃しても通らない。
かといって左右へ回ろうとすれば、後ろにいる兵士の槍が飛んでくる。
騎士を盾にしたまま、兵士たちが一団となって進み始めた。
「タダノへ近づけるな」
ルナは槍を握り、通路の中央に立った。
ボルグが隣へ出る。
若い狼族もタダノの前を守った。
ラウガは周囲を確認し、首輪の残っている者たちを坑道の奥へ下がらせる。
騎士が踏み込んだ。
長剣が横に振られる。
「下がれ!」
ルナたちは一斉に身を引いた。
刃が目の前を通過する。
その直後、騎士の両側から二本の槍が突き出された。
ルナは槍の柄で一本を払い、もう一本を身体をひねって避ける。
背後にいた狼族が避けきれず、腕を浅く裂かれた。
騎士が再び前へ出る。
兵士たちも間隔を崩さず、その背後についてくる。
「防具の上を攻撃するな!」
ルナは叫んだ。
「足を止めろ。剣を持つ腕を狙え。後ろの兵士を騎士から引き離せ!」
若い狼族が低い姿勢から騎士の脚へ向かう。
その頭上を、兵士の槍が通った。
若い狼族は攻撃を中断して横へ転がる。
ボルグが騎士の側面へ回ろうとした。
すぐに二本の槍が向けられる。
一本を腕で払ったが、もう一本の穂先が脇腹を裂いた。
ボルグは傷を押さえながら後退する。
騎士は追わない。
隊列を崩さず、タダノへ向かって進み続ける。
ルナは奥歯を噛んだ。
兵士を引き離せない。
騎士の防具を盾にされると、後ろへ攻撃が届かない。
無理に踏み込めば、長剣と槍を同時に受ける。
「ラウガ、荷車を使え!」
「分かった」
ラウガが鉱石を積んだ荷車を動かした。
通路の片側へ寄せ、首輪の残る狼族たちとの間に置く。
兵士の槍が届く方向を一つに絞り、負傷した者を荷車の陰へ下げる。
ラウガ自身も荷車の後ろから周囲を見ていた。
「右から来るぞ!」
ラウガの声に、ルナが反応する。
騎士の肩越しから突き出された槍を打ち払う。
すぐに反対側から別の槍が来た。
ボルグが前へ出て、柄をつかむ。
兵士が槍を引く。
ボルグも離さない。
騎士が剣を振り上げたため、ボルグは槍から手を離して下がった。
狼族側は攻撃へ移れない。
防ぐたびに、騎士たちが一歩ずつ奥へ入ってくる。
その間にも、タダノは首輪を外していた。
かちり。
また一つ、鉄の輪が落ちる。
自由になった狼族が立ち上がった。
「ボルグの横へ入れ!」
ルナの指示で、狼族が前へ出る。
動ける者は増えている。
それでも、騎士を先頭にした隊列を崩せない。
騎士の剣を避ければ、兵士の槍が届く。
槍を払おうとすれば、騎士が前へ出てくる。
「そこをどけ!」
騎士が剣を振り下ろした。
ルナは槍で受ける。
激しい音が響き、両腕がしびれた。
槍の柄に亀裂が入る。
騎士が刃を引くと、後ろから槍が突き出された。
ルナは身体を沈めて避けた。
穂先が頬の横を通り過ぎる。
ボルグが騎士へ肩からぶつかった。
金属の防具が鳴り、騎士の身体がわずかに下がる。
だが、その左右から槍が伸びた。
一本がボルグの肩へ刺さる。
もう一本を、若い狼族が横から払い落とした。
「ボルグ、下がれ!」
ボルグが槍を引き抜き、数歩後退する。
肩から血が流れていた。
タダノが振り返る。
傷ついたボルグを見つけると、すぐに駆け寄った。
「すぐ治すね」
タダノが肩へ手を当てる。
開いていた傷が塞がり、血が止まった。
それを見た兵士の一人が動きを止めた。
「傷が……」
「見るな。進め!」
騎士が命じる。
兵士は槍を握り直した。
タダノは治療を終えると、再び奥の狼族へ向かう。
かちり。
また一つ、首輪が落ちた。
騎士の視線が、タダノから離れなくなった。
「先にあれを殺す」
隊列の向きが変わる。
狼族を倒すことより、タダノへ近づくことを優先し始めた。
「押し返せ!」
ルナが指示する。
ボルグと自由になった狼族たちが、正面から騎士を押した。
騎士が両脚で踏ん張る。
後ろの兵士たちも、その背を支えながら槍を突き出す。
狼族たちは長く押し続けられない。
槍を避けるために離れれば、騎士たちはまた前へ出る。
ラウガが荷車を押し、騎士の右側へ寄せた。
通路を狭め、右から来る槍を遮る。
「左へ寄れ!」
ルナは狼族たちを荷車の反対側へ集めた。
攻撃を受ける方向は減った。
だが、騎士を盾にした隊列そのものは崩れていない。
長剣が振られる。
ルナは後ろへ下がった。
避けたはずだったが、刃の先が肩を裂く。
熱い痛みが走り、血が腕を伝った。
「あっ……怪我してる」
タダノが足を止めた。
「こっちはいい!」
ルナは騎士から目を離さずに答える。
「首輪を外せ!」
タダノはルナの傷と、奥に残る首輪を見比べた。
やがて奥へ向き直る。
「あとで絶対に治すから」
タダノが次の首輪へ手を伸ばした。
騎士は、その背中を見ている。
「槍をあれへ集中させろ」
兵士たちが狙いを変えた。
騎士が剣で狼族を押し下げ、その後ろから槍をタダノへ伸ばそうとする。
ルナたちは槍の進路へ身体を入れた。
自由になった狼族の腕が裂ける。
別の狼族が槍の柄をつかみ、タダノから遠ざける。
負傷者が増えていく。
それでも、誰もタダノの前を空けなかった。
かちり。
首輪が落ちる。
残る首輪は、あと一つだった。
小柄な狼族が坑道の最奥に座り込んでいる。
長い労働で衰弱し、自分の力では立てない状態だった。
タダノがその前へしゃがむ。
「これで最後だよ」
指が首輪へ触れた。
かちり。
最後の鉄の輪が石床へ落ちた。
小柄な狼族は、両手で自分の喉に触れた。
何度も息を吸い、首輪が締まらないことを確かめている。
「外れた」
タダノが笑った。
その瞬間、騎士が大きく踏み込んだ。
ルナたちを剣で押し払い、タダノへ続く道を開く。
若い狼族が進路を塞いだ。
騎士の剣が振られる。
若い狼族は避けきれず、胸元を切られた。
血を流しながら片膝をつく。
騎士が長剣を持ち上げた。
ルナは助けに向かおうとした。
兵士の槍が進路を塞ぐ。
間に合わない。
タダノの顔から笑みが消えた。
「ガチケモが危ない!」
タダノが騎士へ向かって走り出す。
武器も防具もない。
避ける様子もなく、一直線に突っ込んでいく。
「うおおおおおおっ!」
「来るな!」
騎士が長剣を突き出した。
刃がタダノの腹を貫く。
血が服へ広がった。
それでも、タダノの足は止まらなかった。
剣を刺されたまま、さらに一歩前へ出る。
「なっ……」
騎士の表情が変わった。
タダノは剣を握る腕へ両腕を回した。
手首と手甲をまとめて抱え込み、身体ごと押さえる。
騎士が剣を引こうとする。
抜けない。
タダノの腹へ刺さった刃の周囲で血が止まり、傷が塞がろうとしていた。
「離せ!」
騎士が空いた手でタダノの顔を殴る。
頬が裂けた。
だが、次の拳が届く前に傷が閉じる。
もう一度殴る。
タダノは騎士の腕を離さない。
「槍で引き離せ!」
騎士の後ろにいた兵士たちが、一斉に槍を突き出した。
一本がタダノの背へ刺さる。
もう一本が脇腹を貫いた。
タダノの身体から血が散る。
それでも倒れない。
兵士が槍を引き抜くと、開いた傷がすぐに縮まり、出血が止まった。
「な、何だ、こいつ……」
兵士の声が震えた。
別の兵士も槍を突き出す。
穂先がタダノの身体を貫いた。
それでも、タダノは振り返らない。
槍を引き抜いた直後から、傷が塞がっていく。
「化け物だ……」
兵士の一人が槍を放した。
石床へ落ちた槍が、硬い音を立てる。
「黙れ! 攻撃を止めるな!」
騎士が命じる。
だが、兵士たちは動かなかった。
一人が後ずさると、後ろの仲間もつられて下がる。槍先が揺れ、隊列の間隔が崩れていく。
タダノは兵士たちを見ようともしない。
騎士の剣腕を押さえたまま、その向こうで倒れている若い狼族だけを見ていた。
騎士を盾に保たれていた隊列が、恐怖によって崩れ始めた。
ルナはその変化を見逃さなかった。
「今だ!」
ルナの声が坑道を走る。
「槍を持つ兵士を崩せ!」
ボルグが前へ出た。
タダノに気を取られていた兵士へ肩からぶつかる。
兵士が後ろの仲間を巻き込んで倒れた。
別の狼族が槍の柄をつかみ、兵士を隊列から引きずり出す。
若い狼族たちが左右から飛び込んだ。
ラウガは荷車を押し出し、兵士たちの足元へぶつける。
槍を構えるための間隔がなくなった。
「下がれ! 隊列を立て直せ!」
騎士が命じる。
兵士たちは動かなかった。
タダノから目を離せず、互いの進路を塞いでいる。
ボルグが一人を壁へ叩きつける。
別の兵士を、狼族が床へ押し倒す。
悲鳴が上がる。
槍が次々に石床へ落ちた。
兵士たちは騎士の背後に隠れることも、隊列を組み直すこともできなくなった。
騎士だけが、その場に残る。
剣を持つ腕は、まだタダノに押さえ込まれていた。
ルナは騎士の横へ回った。
肩を覆う金属の防具。
喉を守る革。
その間に、狭い隙間がある。
騎士がルナに気づいた。
空いた手を伸ばそうとする。
タダノが剣腕を抱えたまま、騎士の身体を引き寄せた。
騎士の姿勢が崩れる。
ルナは石床を蹴った。
防具の隙間へ牙を入れる。
騎士が短く声を漏らした。
空いた手がルナの肩へ届く前に、力を失う。
剣を握っていた指が開いた。
重い身体がタダノにもたれかかった。
ルナが離れると、騎士は石床へ倒れた。
今度は立ち上がらなかった。
剣がタダノの腹から抜ける。
傷はすぐに閉じ、流れていた血も止まる。
服には裂け目と赤い跡だけが残った。
タダノは騎士を見なかった。
負傷した若い狼族の前へ駆け寄る。
「大丈夫。すぐ治すから」
胸元の傷へ手を当てる。
出血が止まり、若い狼族の呼吸が落ち着いていった。
ルナは周囲を見渡した。
騎士は倒れた。
兵士たちの隊列も崩れている。
首輪をつけている狼族は、もう一頭もいない。
「残すな」
ルナは命じた。
狼族たちが動く。
抵抗を続ける兵士。
逃げようとする文官。
壁際へ隠れていた首輪管理者。
坑道に残っていたニンゲンが、次々に倒されていく。
監督官が石段へ走った。
ボルグが追いつき、その背を地面へ押し倒す。
「待て! 命令されただけだ! 私を殺せば、王国が――」
その声は途中で止まった。
やがて坑道から、ニンゲンの声が消えた。
タダノだけが、ニンゲンの姿で狼族の中にいる。
傷ついた狼族を見つけては、その前へしゃがみ、傷を治していた。
床に倒れた兵士が助けを求めても、振り向かない。
狼族の傷だけを塞いでいく。
ルナは坑道の入口を見た。
外から警鐘の音が聞こえている。
坑道を奪っただけでは終われない。
外には兵士の詰所がある。
監督官たちの住居。
倉庫。
鉱山を囲む門。
そこを残せば、すぐに奪い返される。
「動ける者は集まれ」
ルナは騎士が落とした剣を拾った。
重すぎて、片手では扱いにくい。
ボルグへ差し出す。
「使えるか」
ボルグは長剣を受け取り、重さを確かめた。
「使ってみる」
「ラウガは坑道に残れ。動けない者とタダノを守れ」
「ここは任せろ」
ラウガが答える。
「外を全部取ってこい」
ルナはうなずいた。
「負傷している者は、タダノのところへ行け。治った者から私に続け」
タダノがルナの肩を見た。
「あの、まだ傷が――」
「最後でいい」
「でも――」
「先に動けない者を治せ」
タダノは傷を見つめたが、やがてうなずいた。
「分かった」
ルナは首輪の外れた狼族たちを率い、石段を上った。
夜の空気が近づいてくる。
坑道の出口では、見張りの兵士が槍を構えていた。
「止まれ!」
狼族たちは止まらなかった。
兵士が槍を突き出す。
ルナが横へ避け、ボルグが剣の腹で槍を打ち払う。
別の狼族が兵士へ飛びついた。
見張りは地面へ倒れ、それきり動かなくなった。
鉱山の外には、いくつもの灯りが見えた。
詰所から兵士たちが出てくる。
監督官の住居では、使用人や文官が門へ向かっていた。
倉庫の前では、鍵を持った男が荷車を動かそうとしている。
逃げる準備をしている。
「二手に分かれる」
ルナはすぐに指示を出した。
「ボルグは詰所を押さえろ。武器を取らせるな。ほかは私と門へ行く。誰も外へ出すな」
ボルグが騎士の剣を持って詰所へ向かう。
数頭の狼族が続いた。
ルナは残りを連れ、門へ走る。
逃げようとしていた文官が振り返った。
坑道から騎士が戻らないことを察し、顔色を変える。
「門を開けろ! 早くしろ!」
門番が鍵へ手を伸ばす。
ルナが追いつき、その腕をつかんだ。
門番を地面へ引き倒す。
後ろから来た狼族が、文官の進路を塞いだ。
誰も門の外へ出られなかった。
詰所から剣がぶつかる音と悲鳴が聞こえる。
ボルグたちが、武器を取ろうとする兵士を押し返している。
ルナは門をほかの狼族へ任せ、倉庫へ向かった。
鍵を持った男は荷車を捨て、裏手へ逃げようとしていた。
別の狼族が正面から回り込み、進路を塞ぐ。
男は立ち止まった。
前にも後ろにも、逃げ道はない。
やがて鉱山の外からも、ニンゲンの声が消えた。
ルナは倉庫の鍵を拾った。
扉を開ける。
中には、干し肉と硬いパン、水、薬草、毛布が積まれていた。
壁際には槍や短剣もある。
狼族にはほとんど与えられず、ニンゲンたちだけが蓄えていた物だった。
「食料と毛布を坑道へ運べ。薬草は怪我人のところだ。武器は動ける者へ渡せ」
狼族たちが倉庫へ入る。
詰所を制圧したボルグも戻ってきた。
騎士の剣には血がついている。
「詰所は取った。残っている兵士はいない」
門の方から、若い狼族が走ってくる。
「門も押さえた。外へ出た者はいない」
最後にラウガが坑道から現れた。
治療を終えた狼族たちと、タダノが後ろに続いている。
「坑道も確認した」
ラウガは鉱山全体を見渡した。
「隠れていた者はいない。逃げた者もいない」
詰所。
監督官たちの住居。
倉庫。
門。
すべてに狼族が立っている。
ラウガがルナへ向き直った。
「鉱山は落ちた」
タダノがルナの肩へ視線を向ける。
「あの、傷を――」
「ルナだ」
タダノが瞬きをした。
「え?」
「私の名だ。お前はタダノだろう」
「うん」
「なら、呼ぶ時はルナと呼べ」
タダノの顔が明るくなった。
「分かった、ルナ。傷を治していい?」
「まだだ。ほかに負傷者がいないか確認しろ」
「分かった」
タダノは素直に引き下がり、周囲の狼族へ目を向けた。
ルナは冷たい夜の空気を吸い込んだ。
「ここを最初の拠点にする」
狼族たちがルナを見る。
「食料と武器を集めろ。夜明けまでに守りを固める。まだ動けない者を休ませろ」
誰も命令を強制されてはいない。
それでも、狼族たちは自分の意思で動き始めた。
ルナは門の外へ続く道を見た。
捕らわれている同胞は、ここにいる者だけではない。
首輪をつけられ、別の場所で働かされている者がいる。
どこにいるのかは、まだ分からない。
だが、見つける。
今度は助けに行ける。
ここから始める。
この鉱山から。




