第21話 折れた翼の船乗り
「風を読め」
レグルは船の甲板に立たされていた。
二本の帆柱を持つ、幅広の木造輸送船だ。
大量の荷を載せ、帆に風を受けて海を進む船だった。
海から吹く風が、灰色の羽毛を揺らす。
海鷲族の身体には、物を掴むための二本の腕がある。
そのほかに、背中から一対の大きな翼が伸びていた。
右の翼は折り畳まれている。
左の翼は、革紐で身体へ縛りつけられていた。
三日前、船から逃げようとした時に、兵士の矢を受けた。
矢は抜かれたが、翼の付け根が深く裂け、骨にも傷が残っている。
広げようとすれば、背中から胸まで痛みが走った。
今のレグルは飛べない。
「聞こえないのか」
背後の船員が、鞭の柄で傷ついた翼を叩く。
レグルの膝が甲板へついた。
背中へ熱が広がる。
首の隷属の首輪も締まり始めた。
「明け方の風を答えろ」
レグルは痛みを押さえ、立ち上がった。
空を見る。
雲の流れ。
海面の小さな波。
港へ入ってくる風の向き。
右の翼をわずかに広げる。
羽毛の間を抜ける風は、少しずつ弱まっていた。
「夜明け前に、風が変わります」
「どちらへ吹く」
「陸から沖へです。日の出まで続きます。その風なら、荷を積んだ船でも港を出られます」
船員は甲板の上にいる船長を見る。
太ったニンゲンが、満足そうにうなずいた。
「倉庫の荷を夜のうちに積め。風が変わったら出る」
荷。
船長がそう呼んでいるのは、港の奴隷倉庫に囚われている者たちだ。
「倉庫には二十七頭いるそうです」
帳簿を持った船員が言った。
「子供が三頭混じっています。大した値にはなりませんが、一緒に積めと」
「空いている檻へ入れておけ。海で死んでも、場所は取らん」
船長が笑う。
レグルは嘴を閉じたまま、海を見る。
怒りを見せれば、首輪が反応する。
船には、レグルを含めて十八人の仲間がいる。
帆を扱う者。
舵を取る者。
船底の水を掻き出す者。
荷を運ぶ者。
全員、海や船の扱いを知っている。
そして、全員の首に隷属の首輪があった。
ニンゲンの船員だけでは、この大きな船を動かせない。
それでも、船長はレグルたちを船員とは呼ばなかった。
道具として使い、航海が終われば別の港で売る。
レグルは以前、海辺の集落で船を動かしていた。
風を読み、海図を見て、岩礁を避ける。
空から先の海を確かめることもできた。
捕まってからは、そのすべてをニンゲンのために使わされている。
「鎖はどうする」
船長が港の入口を見た。
二本の石造りの防波堤が、海へ向かって伸びている。
その先には、向かい合う二つの塔があった。
塔の間の海中には、太い鉄の鎖が沈められている。
港を閉じる時は、巻き上げ機で鎖を海面まで上げる。
船は越えられなくなる。
「今夜は下ろしたままです」
船員が答える。
レグルは港の反対側へ目を向ける。
軍用の船着き場に、一隻の黒い船が停泊している。
奴隷船より大きく、船体の側面には等間隔に四角い蓋が並んでいた。
蓋の奥には、大砲がある。
だが、帆は畳まれ、甲板にいる兵士も少ない。
すぐに出る準備はされていなかった。
奴隷船が夜明け前の風で港を出れば、しばらくは追いつかれない。
船を奪える者がいるなら。
首輪を外せる者がいるなら。
折れた翼でも、レグルはこの船を海へ出せる。
だが、そのような者が港へ来るはずはなかった。
レグルは風の向きをもう一度確かめた。
海へ出るには、明日の夜明け前しかない。
◇
港町を見下ろせる丘に、ルナたちは伏せていた。
三折れ坂を出てから五日。
シノが追手を別の道へ誘導したため、ここまで大きな戦いはなかった。
ルナの隣には、シノとチリがいる。
港で働かされていた牛族も一緒だった。
丘の下には、高い外壁に囲まれた港町がある。
街の奥には海が広がっていた。
ルナが海を見るのは初めてだった。
鉱山の坑道よりも暗い青が、どこまでも続いている。
対岸は見えない。
あの先に本当に島があるのか。
今は確かめる方法がない。
「奴隷倉庫は、あれです」
牛族が、外壁の内側にある大きな建物を指す。
港の船着き場に近く、窓には鉄格子がついていた。
「裏に荷物用の門がある。船へ運ぶ時以外は閉じられている」
「見張りは十二人です」
シノが報告する。
「建物の周囲に八人。中に四人います。交代する時刻も確認しました」
「囚われている者は」
「二十七人っス」
チリが、港から持ち出した紙片を見せた。
「倉庫へ食料を運んでた商人の荷物から、受け渡しの控えを見つけたっス。子供も三人いるっスよ」
ルナは倉庫を見る。
建物の横を、槍を持った兵士が歩いている。
その先には、大きな船が停泊していた。
「あれが奴隷船だ」
牛族が言った。
「船の中にも、働かされている同胞がいる」
「数は十八人です」
シノが続ける。
「船の甲板と船底を行き来しています。全員、首輪をつけています」
「あっちの黒い船は何だ」
ラウガが、離れた軍用の船着き場を示した。
船体の側面に、四角い蓋が並んでいる。
「軍船っス」
チリが目を細める。
「書類に、大砲と火薬の受け渡しが書いてあったっス。あれで追われたら、奴隷船じゃ勝てないっスよ」
「今夜、動く気配はありません」
シノが言った。
「帆を張る準備も、食料を積む動きもないです」
それでも、長く港に留まれば軍船も動き出す。
ルナは港の入口を見る。
二つの塔。
海面へ向かって伸びる鎖。
「あの鎖は」
「港を塞ぐためのものです」
牛族が答えた。
「警鐘が鳴れば、塔の巻き上げ機で海面まで上げられる。上がったあとは、船では切れない」
倉庫。
奴隷船。
海図と、港を閉じる鎖。
一つずつ片づけている時間はない。
チリが紙片の最後を読む。
「奴隷船は、明日の夜明け前に出るっス。倉庫の人たちも、今夜のうちに船へ移されるっスよ」
待てば、倉庫の者たちは檻のある船底へ入れられる。
船が出れば、追いつけない。
「今夜だ」
ルナは言った。
「倉庫を開ける。船を奪う。海図も手に入れる」
ラウガが港町を見下ろす。
「三つ同時か」
「そうする」
ルナは立ち上がった。
「夜明けまでに、この港から全員で出る」




