第15話 虎の選んだ道
裏口へ続く通路には、逃げたニンゲンたちの足跡が残っていた。
ルナたちは、その上を進む。
先頭はボルグとガオン。
その後ろに、闘技場から助け出した闘士たちが続く。
タダノは歩きながら、負傷している者がいないかを確かめていた。
街の警鐘は鳴り続けている。
音は先ほどより近くなっていた。
「急げ」
ルナは後ろを振り返る。
闘技場の中から追ってくる者はいない。
だが、観客はすでに街へ逃げている。
闘士たちが反乱を起こしたことも、隷属の首輪が外れていることも、すぐに街中へ広がる。
通路の先に、外の光が見えた。
闘技場の裏手にある荷入れ場だった。
「遅いっス!」
チリが声を上げる。
その近くには、食料や干し草を運び込むための荷馬車があった。
荷台には、先に逃がした五人が乗っている。
犬族。
鹿族。
そのほか、疲労と傷で戦えない者たち。
全員いる。
チリと一緒に残っていた狼族が、荷馬車の横で周囲を警戒していた。
これで、鉱山から来た四人の狼族もそろった。
ルナは荷台を確かめる。
「動けるか」
犬族がうなずいた。
タダノに傷を治されている。
それでも、長く戦わされてきた疲れまでは消えていない。
鹿族も荷台の壁へ背を預け、荒い息をしていた。
「ここにいる五人で、歩けない者は全部っス」
チリが言う。
「でも、街の門が閉まってるっス。急がないと、兵士が集まってくるっスよ」
「道は分かるのか」
「来る時に見たっス。商人用の道を進めば、西の荷入れ門に出るっス」
大通りを通る必要はない。
闘技場へ荷物を運ぶ馬車が使う、建物の裏側の道がある。
ルナはタダノを見る。
「馬車を動かせるか」
「うん。前にもやったから」
タダノが御者台へ上がる。
チリも隣へ乗った。
「道は自分が教えるっス。曲がるところだけ間違えないでほしいっス」
「分かった」
ルナは残った者たちを見る。
闘技場に囚われていたのは十二人。
そのうち五人は荷台にいる。
ガオンを含む七人は、自分の足で立っていた。
闘技場の兵士から奪った槍や剣を持つ者もいる。
ガオンだけは武器を持っていなかった。
「馬車を中央に置く」
ルナは言った。
「ボルグとガオンは前だ。私と狼族は後ろを守る。ほかの者は馬車から離れるな」
ガオンがルナを見る。
「また命じるのか」
「従うかどうかは、お前が決めろ」
ルナは荷台へ視線を向けた。
「ただし、あの五人を置いていく気はない」
ガオンも荷台を見た。
犬族が、そこに座っている。
処分試合で、ガオンと戦わされそうになった者だ。
「俺が前を開ける」
ガオンが言った。
「馬車には触れさせない」
「それでいい」
タダノが手綱を動かす。
荷馬車が走り出した。
荷入れ場を抜け、建物の間にある細い道へ入る。
チリが御者台から進む方向を示す。
「次を右っス。その先を真っすぐ!」
前方から怒鳴り声が聞こえる。
だが、まだ距離はあった。
兵士の多くは、騒ぎの起きた闘技場へ向かっている。
タダノは荷馬車を止めなかった。
建物の間を抜ける。
その先に、街の外壁が見えた。
西の荷入れ門。
大通りにある正門よりも小さいが、馬車が通れるだけの幅がある。
扉はすでに閉じられていた。
太い鎖が左右の取っ手に巻かれ、大きな錠が下がっている。
門の前には、五人の兵士がいた。
荷馬車に気づき、槍と盾を構える。
「止まれ!」
兵士の一人が叫ぶ。
「闘技場の獣人どもだ! ここから出すな!」
タダノは手綱を引かなかった。
「馬車を守れ!」
ルナの声が飛ぶ。
「門の前だけを開けろ!」
ガオンが走った。
盾を構えた兵士へ、正面からぶつかる。
拳が盾へ入った。
激しい音が響き、兵士の身体が盾ごと地面へ倒れる。
横から槍が突き出された。
ボルグが騎士から奪った剣で穂先を払い、そのまま兵士へ肩をぶつけた。
兵士が門へ叩きつけられる。
残る三人が槍を向けた。
ルナの指示で、狼族たちが左右へ分かれる。
闘士たちは正面から槍の柄を押さえた。
一人が武器を止める。
別の一人が、兵士の足を払う。
体勢を崩したところへ狼族が飛び込んだ。
ルナも最後の兵士の懐へ入り、鎧の隙間へ爪を入れる。
兵士の身体が崩れた。
戦いは長く続かなかった。
門を守っていた五人は、全員地面に倒れていた。
「チリ!」
「今、見るっス!」
荷馬車が門の前で止まる。
チリは御者台から飛び下り、錠の前へしゃがんだ。
鍵穴を覗き込み、毛の中から針金を取り出す。
「開けられるか」
「開けられるっス。でも、少し時間がかかるっスよ」
通ってきた道の奥から、複数の足音が聞こえた。
闘技場からではない。
警鐘で集められた兵士たちが、こちらへ向かっている。
ガオンが錠と鎖を見る。
「なら、壊す」
「ちょっと待つっス。下手に引っ張ったら――」
ガオンは鎖を両手で掴んだ。
足を開き、門へ身体を寄せる。
太い腕に力が入った。
鎖が張り、木製の扉が軋んだ。
錠は壊れない。
鎖も切れない。
だが、鎖を留めている鉄の輪が、扉へ食い込んでいく。
ガオンがもう一度、強く引いた。
木が割れた。
鉄の輪が、扉の一部ごと外れる。
鎖と錠が地面へ落ちた。
チリは針金を持ったまま、外れた鉄の輪を見る。
「鍵を開ける意味がなくなったっス……」
「開けば同じだ」
ガオンは扉へ手をかけた。
反対側にはボルグが立つ。
二人が力を込めると、重い門がゆっくりと開いた。
外には街道と林が見える。
「馬車を先に出せ!」
タダノが手綱を動かす。
荷馬車が門を抜けた。
チリも走って御者台へ戻る。
闘士たちがその後に続く。
道の角から、新たな兵士たちが姿を現した。
「門を閉じろ!」
「逃がすな!」
ルナは振り返らない。
「相手をするな! 全員、外へ出ろ!」
狼族たちが門を越える。
ルナが最後に街の外へ出た。
ガオンとボルグが、開いた扉を引き戻す。
壊れた鉄の輪では鍵をかけ直せない。
それでも、重い門が閉じれば、追手の足は止まる。
扉の向こうから、兵士たちの怒鳴り声が響いた。
「走れ!」
ルナたちは街道を外れ、林へ入った。
荷馬車が通れる細い道を進む。
閉じた門が時間を稼いでいるうちに、街から離れていく。
警鐘の音が、少しずつ遠くなった。
ルナは走りながら後ろを確かめる。
追手の姿はない。
全員いる。
鉱山から来た仲間も。
闘技場から助け出した十二人も。
誰も置いてきていない。
「速度を落とせ」
ルナは言った。
「馬を潰すな。怪我人も揺らしすぎるな」
タダノが手綱を緩める。
荷馬車の速度が落ちた。
闘士たちは荒い息をしながら、その周囲を歩く。
街から十分に離れたところで、一度休むことにした。
荷台にいた者たちが、順番に外へ下りる。
タダノは全員の傷を確かめた。
闘技場で負った傷が残っている者から治療していく。
傷は塞がる。
だが、疲労で立てない者まで、すぐに動けるようになるわけではない。
「少し休んでから行こう」
タダノが言った。
犬族は木の根元へ座っていた。
その前に、ガオンが立つ。
「傷は」
「もうない」
犬族は自分の腹へ触れた。
「でも、まだ力が入らない」
「なら休め」
ガオンが答える。
犬族は少し迷ったあと、頭を下げた。
「助けてくれて、ありがとう」
「俺は何もしていない」
「試合場で、俺を殺さなかった」
ガオンは答えなかった。
その隣では、タダノが闘士の傷へ手を当てている。
ガオンはタダノを見た。
「お前」
タダノが顔を上げる。
「何?」
「俺がお前を潰したことを覚えているか」
「覚えてるよ」
「怒っていないのか」
「ガオンは、この子を守ろうとしたんでしょ」
タダノが犬族を見る。
「ガチケモを守ろうとしたなら、怒る理由はないよ」
ガオンはしばらく黙っていた。
「俺がニンゲンだと思って、お前を殺そうとしたんだぞ」
「でも、僕は死なないから大丈夫」
「そういう話ではない」
ガオンの声が少し強くなる。
タダノは首を傾げた。
本当に分かっていないらしい。
ガオンはそれ以上言うのをやめた。
ルナは少し離れた場所から、その様子を見ていた。
ガオンは強い。
だが、自分の強さを見せるために戦っているわけではない。
犬族が危険にさらされた時。
荷馬車を守る必要があった時。
閉ざされた門を開かなければならなかった時。
ガオンは迷わず前へ出た。
守る相手がいる時ほど、この虎族は力を発揮する。
休憩を終えると、一行は鉱山へ向かった。
街道は避けた。
狼族が先に立ち、ニンゲンの匂いがしない道を選ぶ。
荷馬車が通れない場所では、歩ける者が下りて押した。
疲れた者は交代で荷台へ乗せる。
闘技場にいた頃は、同じ試合場で争わされた者たちだった。
今は、遅れた者へ肩を貸している。
鉱山の門が見えた時、見張りに立っていた狼族が声を上げた。
門が開く。
ラウガが、その下で待っていた。
荷馬車。
新たに加わった闘士たち。
そして、大柄な虎族を順番に見る。
「十二人だ」
ルナが報告する。
「闘技場にいた者は、全員連れてきた」
ラウガがうなずく。
「中へ入れ。食料と毛布を用意してある」
それから、声を落とした。
「話がある。お前たちが留守の間に、ニンゲンが三人来た」
「何者だ」
「鉱石の荷が届かないため、様子を見に来たらしい。役人が一人と、兵士が二人だ」
「逃げた者は」
「一人いる。役人と兵士一人は倒した。もう一人は門の外に馬を残していた。追ったが、森を抜ける前に振り切られた」
ルナの耳が後ろへ倒れた。
三人が戻らないだけなら、何が起きたのかを確かめる時間が必要になる。
だが、一人が逃げたのなら違う。
鉱山を奪った者たちの数も、首輪が外れていることも、すぐにニンゲンへ伝わる。
「次は、この人数では済まないな」
「ああ。鉱山を取り戻すための兵を連れてくるだろう」
「どれくらい持つ」
「分からん。逃げた兵士がどこまで報告に行くかにもよる。だが、ここに居続けるのは無理だ」
ルナは門の外へ続く道を見た。
「食料と毛布をまとめろ。動けない者を運ぶ荷車も必要だ。闘技場から来た者たちは休ませる。だが、いつでも鉱山を捨てられるようにする」
「見張りも増やしておく」
鉱山の中から、狼族だけではなく、商館で助け出された者たちも出てきた。
猪族が、ガオンの姿を見つける。
その場で足を止めた。
「ガオン……?」
ガオンがそちらを向く。
「生きていたのか」
猪族が駆け寄った。
ガオンの腕を掴み、本当にそこにいることを確かめるように何度も見た。
「お前が売られたあと、もう会えないと思っていた」
「商館から出たのか」
「ああ。ルナたちが壊した」
猪族がタダノを見る。
「あいつが首輪を外した」
ガオンもタダノを見る。
タダノは、鉱山へ入っていく犬族の背を支えていた。
その周囲には、狼族。
鼠族。
鹿族。
熊族。
兎族。
商館で助け出された、さまざまな種族がいる。
誰の首にも、隷属の首輪はなかった。
ルナは闘技場から来た者たちへ向き直った。
「ここは、私たちがニンゲンから奪った鉱山だ」
闘士たちがルナを見る。
「しばらく身体を休める場所には使える。残るか、別の場所へ行くかは、自分で決めろ」
「出ていってもいいのか」
牛族の闘士が尋ねる。
「止めない。ただし、この近くもヴァルド王国の中だ。ニンゲンに見つかれば、また狙われる」
ルナは鉱山の外へ続く道を見る。
「私たちも、ずっとここにいるつもりはない。首輪なしで暮らせる場所を探す」
「それまで、ここにいてもいい?」
犬族が聞いた。
「ああ。ただし、ここも長くは使えない。移る時に一緒に来るか、別の道を選ぶかは自分で決めろ」
ルナは闘士たちを見回した。
「誰にも首輪はつけさせない」
闘士たちの間から、息を吐く音が重なった。
すぐに安心できる者ばかりではない。
檻から出ても、次の命令を待ってしまう者もいる。
それでも、自分で決めてよいという言葉は伝わった。
ガオンがルナの前へ来た。
「お前たちは、また檻を壊しに行くのか」
「囚われている同胞がいるなら」
「なら、俺も行く」
ルナはガオンを見上げた。
「命令されるのは嫌なのではなかったのか」
「嫌いだ」
ガオンは迷わず答える。
「だから、俺が行くと決めた」
荷馬車の近くでは、犬族が毛布を受け取っている。
猪族も、闘技場から来た者たちへ食料を運んでいた。
「俺がいれば、門を壊せる」
ガオンが言う。
「弱った者を連れて逃げるなら、道も開けられる」
「好きにしろ」
ルナは答えた。
「ただし、一人で全部壊そうとするな。守る者を置いていけば、助けたことにはならない」
ガオンは少しだけ目を細めた。
「分かっている」
その日のうちに、闘技場から助け出された者たちは食事を受け取り、身体を休めた。
ラウガとチリは、増えた人数へ食料をどう配るかを決めている。
同時に、鉱山を離れる時に持ち出す荷物もまとめ始めた。
ボルグはガオンと一緒に、奪ってきた武器を運んでいた。
二人が並ぶと、周囲の狼族が小さく道を空ける。
ルナは見張りの配置を確かめてから、詰所へ戻った。
机の上には、鉱山へ来た役人が持っていた革鞄が置かれている。
ラウガが回収していたものだった。
チリは鞄の中から取り出した書類を、一枚ずつ確かめていた。
「何か分かったか」
「この鉱山から出る鉱石は、ベルガン卿ってニンゲンが管理してるみたいっス」
「逃げた兵士も、そいつのところへ行くのか」
「たぶん、そうっス。ここに来た役人の報告先が、ベルガン卿になってるっスから」
チリは書類の下に押された印を示した。
同じ印が、役人の持っていた通行証にもある。
「どんなニンゲンだ」
「名前だけなら、商館で聞いたことがあるっス。鉱山をいくつも持ってて、ガチケモを使った狩りが好きな貴族らしいっスよ」
「ガチケモを狩るのか」
「追わせる方にも使うって聞いたっス。鼻の利く人を首輪で従わせて、逃げた人を探させるっス」
自分たちの行き先を隠しても、追跡を命じられたガチケモが来るかもしれない。
ルナは机に広げた周辺の道を見た。
鉱山へ通じる道は一つではない。
だが、四十八人全員で移動すれば、痕跡を消しきることはできない。
「見張りを増やす」
ルナは言った。
「街道だけではなく、森の道にも出す。ニンゲンの集団が見えたら、戦おうとせず戻れ」
「鉱山で迎え撃つのか」
詰所の入口から、ガオンが尋ねた。
ボルグと一緒に武器を運び終えたらしい。
「まだ決めていない」
ルナは答えた。
「ここで戦うか。別の場所で戦うか。戦わずに離れるか。敵を見てから決める」
「来るなら、俺は戦う」
「好きにしろ。ただし、鉱山を守るためではない」
ルナは、奥で休んでいる者たちを見る。
「守るのは、ここにいる同胞だ。鉱山を捨てると決めた時は、お前にも荷車を押してもらう」
ガオンは、すぐには答えなかった。
戦う力がある者ほど、敵へ向かいたくなる。
だが、ガオンは犬族を守るために試合を拒み、荷馬車を守るために門を壊した。
「分かった」
ガオンが言った。
「運ぶ時は運ぶ。戦う時は戦う」
闘技場の看板闘士だった虎族は、もうニンゲンの命令では動かない。
誰と戦うか。
誰を守るか。
それを自分で選び始めている。
その夜、鉱山の見張りは倍に増やされた。
闘技場から来た者たちが眠る間にも、食料と毛布は荷車へ積まれていく。
鉱山から逃げた兵士は、もうニンゲンのいる場所へ着いているかもしれない。
ルナたちが目を閉じるより先に、次の戦いは動き始めていた。




