第14話 見世物の反乱
鉄の門が、試合場へ倒れた。
大きな音が闘技場を揺らす。
観客席を満たしていた歓声が、途切れた。
壊れた門の向こうから、ガオンが姿を現す。
その後ろには、地下から出てきた闘士たちが続いていた。
一人ではない。
ガオンを含め、戦える七人が並んでいる。
さらに、ルナ、ボルグ、二人の狼族、タダノが試合場へ出た。
負傷と疲労の激しい五人は、チリと残りの狼族二人が裏口へ連れていっている。
ここにいる者の役目は、その退路を守ることだった。
ルナは観客席を見上げた。
何百人ものニンゲンが、こちらを見下ろしている。
酒を持った者。
菓子を口に運びかけた者。
賭け札を握った者。
誰もが、何が起きたのか理解できずにいた。
「何だ、あれは」
「次の出し物か?」
「虎だけではないぞ」
戸惑いが広がる。
やがて、最前列にいた男が気づいた。
「首輪がない」
その声が、周囲へ伝わっていく。
試合場へ出てきた七人の闘士は、誰も首輪をつけていなかった。
これが予定された見世物ではないと、観客たちも理解し始めた。
高い位置にある管理席で、闘技場主が立ち上がった。
顔が赤くなっていた。
「何をしている! そいつらを止めろ!」
闘技場の左右から、武装したニンゲンたちが出てきた。
地下から逃げた二人の兵士。
観客席を警備していた十人。
合わせて十二人が、試合場へ下りる。
前列の六人は盾を持っていた。
残りの六人が、その後ろで槍を構える。
盾で攻撃を防ぎ、後ろから槍を突き出すつもりだ。
「裏へ回らせるな」
ルナは仲間たちへ言った。
「ここを抜かれれば、チリたちが追われる」
ボルグが前へ出る。
ガオンも、盾の列を見据えたまま拳を握った。
「正面を割る」
「槍が邪魔だ」
ルナは兵士たちの立ち位置を見た。
盾の間から、六本の槍先が覗いている。
無理に飛び込めば、前へ出た者から突かれる。
ガオンでも、あの槍をすべて避けながら盾を崩すのは難しい。
「僕が止めるよ」
タダノが言った。
ルナが振り向く。
タダノは、盾の列へ向かって歩き出していた。
ルナは周囲を見る。
ガオンとボルグ。
ガオンの後ろに並ぶ六人の闘士。
そして、二人の狼族。
「タダノが槍を止めたら、正面を崩す。ガオンとボルグは盾の列を崩せ。ほかは開いた場所から入れ」
ガオンは返事をしなかった。
それでも、タダノの少し後ろへ位置を変えた。
ボルグも反対側へ回る。
兵士たちは、近づいてくるタダノを見ていた。
先ほど、何度刺しても倒れなかった相手だ。
槍を握る手に力が入る。
「止まれ!」
兵士の一人が叫んだ。
タダノは止まらない。
「来るな!」
槍が突き出された。
一本がタダノの肩を貫く。
別の一本が腹へ入った。
タダノの身体がわずかに揺れる。
それでも、足は止まらなかった。
さらに槍が突き出される。
脇腹。
脚。
胸元。
服が裂け、血が砂へ落ちた。
観客席から悲鳴が上がる。
兵士たちは槍を引こうとした。
タダノが、肩に刺さった槍の柄を掴む。
もう片方の手で、腹に入った槍を押さえた。
兵士が後ろへ引く。
抜けない。
タダノは槍を刺されたまま、また一歩進んだ。
傷口が槍の周囲から塞がっていく。
兵士たちの顔がこわばる。
「今だ!」
ルナが叫んだ。
ガオンが砂を蹴った。
盾を構えた兵士へ、正面からぶつかる。
激しい音が響いた。
兵士の足が砂へ沈む。
盾の列が大きく揺れた。
反対側から、ボルグが肩を入れる。
二人分の力を受け、前列の兵士たちが後ろへ押し込まれた。
タダノに槍を掴まれた二人が動けず、後列の足並みが乱れる。
盾の隙間が開いた。
「右だ!」
ルナが駆ける。
二人の狼族が続いた。
ルナは盾の横へ回り、兵士の脚を払う。
倒れた兵士へ、後ろから来た狼族が飛びかかった。
別の兵士が盾を向ける。
その背中へ、闘士の一人が爪を立てた。
悲鳴が上がる。
盾が落ちる。
闘士たちが、開いた場所へ次々に入った。
これまで、闘技場では一人ずつ戦わされていた。
同じ檻に入れられていた者同士であっても、試合場では敵にされた。
だが、今は違う。
一人が盾を押さえる。
一人が槍を払う。
その隙に、別の者が兵士を倒す。
ガオンが盾を掴み、兵士ごと横へ投げた。
列が完全に崩れる。
ボルグは落ちた槍を踏み折り、後ろにいた兵士を壁へ叩きつけた。
兵士たちが下がり始める。
タダノに刺さっていた槍が、次々と抜け落ちた。
開いた傷は、すぐに塞がっていく。
血に濡れた服だけが残った。
タダノは兵士を追わなかった。
腕を切られた闘士を見つけ、その前へしゃがむ。
「治すね」
手が傷へ触れる。
流れていた血が止まり、切り口が塞がった。
そのすぐ横では、倒れた兵士が腹を押さえていた。
「待て……俺も……」
タダノは振り向かない。
治療を終えると、別のガチケモの傷を探して立ち上がった。
残った兵士たちは、それを見ていた。
自分たちの槍では止まらない。
どれだけ傷つけても、ガチケモだけが治されていく。
兵士たちは、観客席へ続く通路へ逃げ出した。
「逃げるな! 戻れ!」
闘技場主が叫ぶ。
誰も従わなかった。
だが、闘士たちは逃がさなかった。
通路へたどり着く前に、兵士たちは次々と引き倒された。
最後の一人の声が止まった。
負傷して倒れていた兵士にも、闘士たちがとどめを刺す。
やがて、試合場から兵士の声が消えた。
観客席にも混乱が広がっていた。
前列の者が立ち上がる。
後ろの者が出口へ走る。
狭い通路にニンゲンが押し寄せ、転んだ者の上を別の者が踏み越えていく。
「出せ!」
「道を開けろ!」
「兵士は何をしている!」
さっきまで闘士へ罵声を浴びせていた者たちが、我先にと逃げていた。
闘士の一人が、観客席との間にある低い柵を越えた。
続いて、二人がその後を追う。
観客たちの悲鳴が大きくなる。
闘士たちは、逃げ遅れたニンゲンへ襲いかかった。
賭け札が舞う。
酒の器が床へ落ちる。
歓声を上げていた口から、今度は助けを求める声が出た。
ルナは止めなかった。
ここにいる者たちは、檻の中の同胞を見て笑っていた。
傷ついた者が倒れるたびに喜び、次の殺し合いを求めていた。
ただし、闘士たちが街へ散れば、別の兵士に囲まれる。
「深追いするな!」
ルナは声を張った。
「闘技場の外へは出るな! 出口を塞ぐ者だけ倒せ!」
観客席へ上がった闘士たちが、足を止めた。
近くにいるニンゲンを倒しながらも、逃げる者を街まで追おうとはしない。
ルナは管理席を見上げた。
闘技場主の姿が消えている。
「上の男が逃げるぞ」
ガオンも気づいていた。
その目は、管理席の奥にある扉へ向いている。
「俺が行く」
「待て。道が分からない」
「扉を壊せば同じだ」
ガオンは観客席の壁へ手をかけた。
低い柵を一息に越える。
ルナは言った。
「ボルグ、ここを押さえろ。怪我人を守り、闘士たちを街へ出すな」
「分かった」
「タダノは怪我人を頼む」
「うん」
ルナは二人の狼族へ目を向ける。
「一人はボルグと残れ。もう一人は私に続け」
ガオンを追い、ルナも観客席へ上がった。
階段には、逃げようとするニンゲンがあふれている。
ガオンが近づくと、ニンゲンたちは互いを押しのけながら道を空けた。
ルナはその後ろを走る。
管理席へ続く扉は閉じられていた。
分厚い木の扉。
内側から鍵をかけたらしい。
ガオンは取っ手を掴んだ。
「下がれ」
ルナと狼族が距離を取る。
ガオンが扉を引いた。
蝶番がきしむ。
もう一度、力を込める。
木が割れ、扉が枠ごと外れた。
その向こうで、二人の護衛が剣を構えていた。
ガオンへ向け、同時に斬りかかる。
ガオンは一人の手首を掴んだ。
そのまま壁へ投げる。
もう一人の剣を、ルナが横から蹴った。
刃先が床へ逸れる。
続いて入った狼族が、護衛の喉へ噛みついた。
短い悲鳴が上がり、止まる。
闘技場主は廊下の奥にいた。
大きな革袋を抱え、裏階段へ向かおうとしている。
「止まれ」
ルナが言った。
闘技場主が振り返る。
顔から血の気が引いた。
それでも、ガオンを見ると声を荒らげた。
「ガオン! そいつらを殺せ!」
ガオンは足を止めない。
「聞こえないのか! お前は私が買った獣人だ! 命令に従え!」
闘技場主は、ガオンの首を見た。
そこにはもう、隷属の首輪がない。
それでも、今までと同じように命じれば従うと思っている。
「伏せろ! その場に膝をつけ!」
何も起きなかった。
ガオンは闘技場主の前まで進む。
「俺が誰と戦い、誰を殺すか。もう、お前には決めさせない」
「待て。金ならある」
闘技場主が革袋を差し出す。
袋の口から、金貨がこぼれた。
「お前を買った金より多く払う。好きなものも用意する。だから――」
ガオンが革袋を叩き落とした。
金貨が床を転がる。
「俺は、お前の見世物じゃない」
ガオンの手が、闘技場主の服を掴んだ。
闘技場主の身体が持ち上がる。
「やめろ! 私は王国に認められた興行主だぞ!」
ガオンは答えなかった。
そのまま闘技場主を引きずり、壊した扉から外へ出る。
観客席へ戻ると、逃げ遅れたニンゲンたちが道を開けた。
試合場では、兵士たちとの戦いが終わっていた。
生きている兵士は、一人もいない。
ガオンは闘技場主を試合場へ投げた。
観客席に残っていたニンゲンたちが、その姿を見る。
さっきまで高い席から命令していた男が、闘士たちの足元に転がっている。
「助けろ!」
闘技場主が、倒れた兵士たちへ叫んだ。
「私を守れ! こいつらは商品だぞ!」
返事はなかった。
闘士たちが、闘技場主を囲む。
ガオンだけではない。
この場所で殴られた者。
負ければ食事を減らされた者。
望まない相手と戦わされた者。
仲間を殺すよう命じられた者。
誰の首にも、もう首輪はなかった。
闘技場主が後ずさる。
「待て。お前たちを殺せと命じたのは客だ。私は望まれた見世物を用意しただけだ」
誰も足を止めなかった。
「ガオン! お前は私のおかげで生きてこられたんだぞ!」
ガオンが拳を上げる。
「違う」
闘技場主を見下ろす。
「俺たちは、お前たちのせいで殺し合わされてきた」
拳が落ちた。
闘技場主の声が止まる。
闘士たちはしばらく、その身体を見下ろしていた。
歓声は上がらなかった。
ただ、一人が足元を強く踏みしめる。
別の者が、首輪のなくなった喉へ手を当てる。
その姿を、観客席のニンゲンたちが怯えながら見ていた。
もう、見世物を見る目ではなかった。
ルナは試合場へ戻った。
タダノは、倒れた闘士のそばにしゃがんでいる。
槍で裂かれた脚へ手を当て、傷を治していた。
「動かせる?」
「……ああ」
「無理はしないでね」
タダノの服には、新しい穴がいくつも開いている。
だが、身体には傷が残っていない。
観客の多くは逃げていた。
残っている者も、物陰に隠れて動かない。
観客席には、踏み荒らされた賭け札と、倒れた椅子が散らばっている。
闘士を閉じ込めていた鉄の門は壊れた。
地下の檻も開いている。
兵士も、護衛も、闘技場主も倒れた。
もう、ここでガチケモを戦わせる者はいない。
裏口へ続く通路から、一人の狼族が走ってきた。
チリと一緒に負傷者を連れ出した者だ。
「ルナ」
「五人はどうした」
「裏門から外へ出た。チリが闘技場の荷馬車を見つけ、そこへ連れていっている」
ルナは息を吐いた。
少なくとも、助け出した五人は全員、闘技場の外へ出ている。
だが、狼族の報告は終わっていなかった。
「表通りから兵が来る。観客が街へ逃げて、騒ぎを広めている」
遠くから鐘の音が聞こえた。
一度。
二度。
短い間隔で鳴り続ける。
火事を知らせる鐘とは違う。
街の兵士を集める警鐘だった。
ガオンが顔を上げる。
「まだ来るのか」
「ああ」
ルナは周囲を見た。
戦える者は残っている。
だが、ここで街中の兵士を相手にし続ける必要はない。
助けるべき者は、もう檻の外にいる。
闘技場も壊した。
「裏口から退く」
ルナは言った。
「観客は追うな。怪我人を連れて、チリたちと合流する」
闘士たちがルナを見る。
ガオンも、何も言わずに立っていた。
「ここに残れば、また囲まれる。助け出した同胞を、誰も置いていかない」
ガオンが倒れた闘技場主から視線を外す。
「犬族の奴は」
「先に外へ出した」
「なら、行く」
ガオンは迷わなかった。
ボルグが騎士から奪った剣を担ぎ直す。
二人の狼族が、まだ足元の安定しない闘士へ肩を貸した。
タダノは最後まで試合場に残り、傷ついたガチケモがいないかを確かめている。
「タダノ」
ルナが呼ぶ。
タダノが振り返った。
「全員いる。行くぞ」
「うん」
タダノが駆けてくる。
その後ろには、壊れた門があった。
空になった檻。
倒れた兵士。
足元に転がる隷属の首輪。
ニンゲンがガチケモを殺し合わせ、金を賭け、笑っていた場所。
その闘技場から、もう歓声は聞こえなかった。
代わりに響くのは、解放された闘士たちの足音だった。
ルナは仲間たちを裏口へ向かわせる。
街の警鐘は、まだ鳴り続けている。
だが、闘技場はもう終わった。
見世物にされていた者たちが、自分たちの足でそこを出ていく。
誰にも命じられずに。




