↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/30

第11話 闘技場の虎

「殺せ!」


 観客の声が、闘技場を揺らしていた。


 ガオンは試合場の中央に立っていた。


 足元には、鹿族の男が倒れていた。


 肩から血を流し、片脚を押さえている。


 立ち上がる力は残っていない。


 ガオンが腕を振り下ろせば、それで終わる。


「とどめを刺せ!」


「何を止まっている!」


「金を払ってるんだぞ!」


 石造りの観客席から、ニンゲンたちが叫んでいる。


 ガオンは動かなかった。


 拳を下ろし、倒れている鹿族へ短く告げる。


「そのまま倒れていろ」


 鹿族が小さくうなずいた。


 試合場の上に作られた管理席から、別の声が飛ぶ。


「ガオン。目の前の獣人を殺せ」


 隷属の首輪が反応した。


 鉄の輪が、ガオンの喉へ食い込む。


 息が細くなる。


 首の奥が焼ける。


 それでも、ガオンは腕を上げなかった。


「命令だ。殺せ」


 首輪がさらに締まる。


 ガオンの片膝が砂へついた。


 観客席から笑い声が上がる。


「首輪を強くしろ!」


「いつまで待たせる!」


 鹿族が身体を起こそうとした。


「俺を殺せ」


 掠れた声だった。


「このままだと、お前まで……」


「動くな」


 ガオンは低く言った。


「傷を広げるだけだ」


 ガオンの視界が暗くなる。


 それでも、倒れた鹿族には手を出さなかった。


 やがて、管理席のニンゲンが舌打ちする。


「もういい。そいつを下げろ」


 首輪の締めつけが緩んだ。


 ガオンは砂へ手をつき、何度か息を吸った。


 試合場の横にある鉄の門が開く。


 四人の兵士が入ってきた。


 二人が鹿族を担架へ乗せる。


 残る二人は、槍をガオンへ向けている。


「立て」


 ガオンはゆっくり立ち上がった。


 鹿族が担架で運ばれていく。


 まだ息はある。


 殺さずに済んだ。


 それだけで十分だった。


 観客は不満そうに声を上げている。


 だが、闘技場主もガオンを簡単には処分できない。


 大きな身体。


 虎族の力。


 何度傷ついても次の試合へ立つ頑丈さ。


 ガオンを見るために、多くのニンゲンが金を払っていた。


 闘技場にとって、ガオンは大きな金を生む見世物だった。


 兵士が槍先で地下への通路を示す。


「歩け」


 ガオンは命令に従った。


 今ここで無理に逆らえば、地下に残る者たちへ罰が向かう。


 石段を下りる。


 観客の声が少しずつ遠くなる。


 地下には、湿った石と血の臭いが残っていた。


 細い通路の左右に、六つの檻がある。


 中にいるのは十二人。


 全員、闘技場で戦わされているガチケモだった。


 傷を負っている者。


 壁へ背を預けている者。


 次の試合へ呼ばれないよう、息を殺している者。


 それぞれの首に、隷属の首輪がある。


 兵士がガオンの背中を槍の柄で押した。


「入れ」


 ガオンは自分の檻へ入った。


 扉が閉まり、鍵がかけられる。


 向かいの檻には、小柄な犬族がいた。


 腹に布を巻いている。


 布には新しい血がにじんでいた。


「次はお前だ」


 兵士が犬族へ言った。


 犬族が顔を上げる。


「俺が?」


「ガオンとの処分試合だ」


 兵士は笑った。


「お前は三試合続けて負けた。餌を与えるだけ無駄だからな。最後くらい客を喜ばせろ」


 犬族の顔から血の気が引いた。


 兵士はガオンを見る。


「次は殺せ。拒めば、お前だけではなく、そいつの首輪も締め続ける」


 ガオンは鉄格子の間から兵士を見た。


「聞こえなかったか?」


「聞こえている」


「なら、今度こそ命令に従え」


 兵士が通路を離れる。


 足音が石段の向こうへ消えた。


 犬族が腹の傷を押さえた。


「ガオン」


「何だ」


「俺を殺せ」


 ガオンは返事をしなかった。


「どうせ、もう長くは戦えない。俺が死ねば、お前はまだ――」


「黙れ」


 犬族の言葉が止まる。


「お前を殺して俺が残ったところで、次の相手を出されるだけだ」


「でも、拒めば二人とも首輪で殺される」


 ガオンは鉄格子の向こうを見た。


 檻の鍵。


 地下から試合場へ続く石段。


 通路の角に立つ二人の見張り。


 位置はすべて分かっている。


 何度も見てきた。


 分かっていても、首輪がある限り動けない。


「試合場へ出たら、俺から離れろ」


 ガオンは言った。


「何をする気だ」


「倒れていろ」


「それでは、さっきと同じだ」


「立っていれば、巻き込む」


 犬族はそれ以上、何も言わなかった。


 頭上で、次の試合を知らせる鐘が鳴った。


     ◇


 闘技場は、街の外れに建っていた。


 下半分は石造り。


 その上に、木造の観客席が重なっている。


 正面には大勢のニンゲンが集まっていた。


 酒を持つ者。


 賭け札を握る者。


 これから行われる試合について話す者。


 誰も、闘技場の裏手に近づくルナたちを見ていない。


 鉱山を出たのは八人だった。


 ルナ。


 ボルグ。


 四人の狼族。


 チリ。


 タダノ。


 ラウガは、鉱山と救出した者たちを守るために残している。


 ルナたちは闘技場から離れた林に身を隠していた。


 チリが地面へ移送札を広げる。


「この印が闘士の搬入口っス」


 札の隅には、鉄格子を模した印が押されている。


 林から見える裏門にも、同じ印があった。


 荷車の轍は、裏門へ続いていた。


「見張りは二人だ」


 ボルグが言う。


「門の中にもいる」


「今は動くな」


 ルナは闘技場を見る。


 試合が始まれば、ニンゲンの注意は中へ向く。


 その時に裏門の見張りを倒す。


 チリが鍵を開け、地下へ入る。


 タダノが首輪を外す。


 ルナたちが兵士を止める。


 役割は決まっている。


「タダノ」


「何?」


 タダノは闘技場の正面を見ていた。


 中から聞こえる声へ気を取られている。


「お前は正面から入れ」


 ルナは商館から持ち出した売買札を渡した。


 闘技場の受領印と、奴隷商館の印が残っている。


「商館から来たと伝えろ。次に売る闘士の相談があると言えばいい」


「分かった」


「中へ入ったら、試合場と地下へ続く道を確認しろ。私たちが入るまで動くな」


 タダノはうなずいた。


「待つよ」


 チリがタダノを見る。


「本当に待ってくださいっスよ」


「分かってる」


 タダノは売買札を持ち、闘技場の正面へ向かった。


 新しい作業着の上から、鉱山で見つけた外套を羽織っている。


 武器は持っていない。


 ニンゲンの姿をしているため、誰も足を止めなかった。


 正面入口には、観客用とは別に小さな窓口があった。


 闘士を売りに来た商人が使う場所だ。


 タダノが売買札を差し出す。


「奴隷商館から来た」


 窓口のニンゲンが札を受け取った。


「今日、納入の予定はないぞ」


「次に売る闘士の相談」


 タダノはチリから教えられた言葉を、そのまま口にした。


 窓口のニンゲンが商館の印を確かめる。


 売買札の日付にも目を向けた。


「商館主はどうした」


「来てない」


「使いの者か?」


「たぶん」


 窓口のニンゲンが眉を寄せた。


 タダノは、それ以上何も言わずに待った。


 しばらくして、窓口のニンゲンが札を返した。


「今日は興行中だ。取引の話は、試合が終わってからになる」


「中で待っていい?」


「商人用の席へ行け。勝手に地下へ入るなよ」


 木札を一枚渡される。


 タダノはそれを受け取り、入口を通った。


 闘技場の中は、外より騒がしかった。


 観客席を埋めるニンゲン。


 賭け金を集める係。


 酒と食事を運ぶ者。


 中央には、砂を敷いた円形の試合場がある。


 砂のあちこちに、乾いた血の跡が残っていた。


 商人用の席は、試合場に近い場所へ作られている。


 タダノは前列へ座った。


 視線は観客にも、賭け札にも向かなかった。


 試合場の左右にある鉄の門を見ている。


 片方は、地下から闘士を出すための門だ。


 もう片方は、倒れた者を運び出すために使われている。


 担架に乗せられた鹿族が、タダノの前を通った。


 肩と脚から血を流している。


 隷属の首輪もついたままだ。


 タダノが立ち上がりかける。


 近くにいた係員が睨んだ。


「座っていろ」


 タダノは動きを止めた。


 鹿族は通路の奥へ運ばれていく。


 タダノはその背中が見えなくなるまで見ていた。


 闘技場の裏手では、ルナたちが試合開始の合図を待っている。


 今ここで動けば、計画が崩れる。


 タダノはゆっくり席へ座り直した。


 鐘が鳴った。


 観客たちが一斉に試合場へ顔を向ける。


 管理席に立ったニンゲンが、両腕を広げた。


「お待たせいたしました!」


 声が闘技場全体へ響く。


「本日の主試合! 我らが闘技場の看板闘士!」


 地下へ続く鉄の門が開く。


「虎族、ガオン!」


 観客席から歓声が上がった。


 大きな虎族が、試合場へ出てくる。


 黒い縞の入った毛並み。


 全身に残る古い傷。


 ニンゲンの兵士よりも頭一つ以上大きな身体。


 その首には、隷属の首輪があった。


 ガオンは観客を見なかった。


 反対側の門を見ている。


「対するは、三試合連続で敗北した処分品!」


 もう一つの門が開いた。


 小柄な犬族が、腹を押さえながら出てくる。


 歩くだけで血が砂へ落ちていた。


 その首にも、隷属の首輪がある。


「どちらかが死ぬまで、試合は終わりません!」


 観客が沸き立つ。


「殺せ!」


「虎に賭けたぞ!」


「早く始めろ!」


 タダノは立ち上がった。


 近くの係員が、もう一度こちらを見る。


「座れ」


 タダノは試合場を囲む柵へ歩き始めた。


 その視線は、傷ついた犬族と、二人の首にある鉄の輪へ向けられていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。