第10話 売られた虎
鉱山の門が開いた時、戻ってきたのは、出ていった七人だけではなかった。
ルナたちの後ろには、十三人のガチケモが続いている。
自分の足で歩いている者。
隣の者へ肩を貸している者。
狼族に背負われている者。
全員の首から、隷属の首輪が消えていた。
空が白み始めている。
奴隷商館から鉱山まで、夜の森を歩き続けた。
途中で何度も休んだ。
タダノが深い傷を治しても、空腹や疲労までは消えない。
歩くことさえ難しい者を支えながら、ようやく鉱山へ戻ってきた。
門の上に立っていたラウガが、ルナたちを見下ろす。
「十三人増えたのか」
「ああ。商館にいた者は全員連れてきた」
ルナが答える。
「狼族ではない者もいる」
「見れば分かる」
ラウガは門から下りると、近くにいた狼族へ指示を出した。
「詰所を空けろ。毛布と水を運べ。食事は固いものを避けろ。温かいものを用意しろ」
見張りに立っていた狼族たちが動き始める。
救い出された者たちは、開いた門の前で足を止めていた。
高い柵。
見張り台。
ニンゲンが使っていた詰所。
外見だけなら、奴隷商館と大きくは変わらない。
犬族がルナを見る。
「ここは何だ」
「私たちが奪った鉱山だ」
「また働かされるのか」
「休みたい者は休め。食べられる者は食べろ」
ルナは門の中を示した。
「何をするかは、身体が戻ってから自分で決めればいい」
犬族はすぐには動かなかった。
その後ろで、猪族が門の内側を見ている。
石壁の前には、狼族から外された首輪が積まれていた。
鉄の輪。
契約印の刻まれた留め具。
猪族が一歩、門の中へ入る。
犬族も続いた。
ほかの者たちも、少しずつ歩き始める。
誰かに押されたわけではない。
命令されたわけでもない。
自分の意思で門をくぐっていく。
タダノは最後まで門の外にいた。
歩けない猫族を背負っている。
火球を受けた服は黒く焦げ、胸元と肩に大きな穴が開いていた。
身体には火傷も傷も残っていない。
猫族を詰所の中へ運ぶと、すぐに別の負傷者を探し始める。
「タダノ」
ルナが呼び止めた。
「深い傷は、もう治したのだろう」
「うん。でも、まだ痛いところがあるかもしれない」
「今必要なのは、食事と睡眠だ。お前の手で治せるものではない」
タダノは詰所の中を見回した。
毛布に包まれたガチケモたちが、壁際へ横になっている。
目を閉じた途端、眠りに落ちる者もいた。
「分かった」
タダノはようやくうなずいた。
ルナは倉庫から持ってこさせた作業着を渡す。
鉱山でニンゲンが使っていたものだ。
タダノの身体なら、少し大きい程度で済む。
「着替えろ。その服では動くたびに破れる」
タダノは自分の焦げた服を見下ろした。
「助かる」
作業着を受け取り、空いている部屋へ向かった。
ラウガがルナの隣へ来る。
「食料は、すぐには尽きない」
「だが、十三人分増えた」
「ああ。次に動く前に、残っている量を数え直す必要がある」
鉱山の倉庫には、監督官たちが蓄えていた食料が残っている。
毛布も水もある。
だが、使えば減る。
人数が増えれば、その分だけ減り方も早くなる。
「追い出すつもりはない」
ルナは詰所を見た。
「首輪を外した同胞を、種族が違うからとニンゲンのところへ戻す気はない」
「なら、食料を増やす方法も考えろ」
「分かっている」
「見張りも必要だ。動けるようになった者には、何ができるか聞けばいい」
ラウガは受け入れるかどうかを尋ねているのではない。
増えた者たちと、ここでどう生きていくかを考えている。
ルナはうなずいた。
「それは私から話す」
詰所の前では、大きな鍋に火がかけられていた。
倉庫に残っていた干し肉と穀物を煮たものだ。
弱った身体でも食べられるよう、柔らかく煮込んでいる。
兎族が器を両手で持ち、少しずつ口へ運んでいた。
熊族は壁へ背を預けている。
狼族の一人が器を渡すと、熊族は戸惑いながら受け取った。
着替えを終えたタダノも戻ってくる。
新しい作業着には、血も裂け目もない。
タダノは食事を受け取る前に、詰所の中へ入ろうとした。
「休めと言ったはずだ」
「見るだけ」
「眠っている者を起こすな」
「うん」
その返事を聞き、ルナはそれ以上止めなかった。
チリは詰所の入口で、商館から持ち出した革袋を抱えたまま、壁へ寄りかかって眠っていた。
ルナは革袋だけを受け取り、近くへ置いた。
中身を調べるのは、全員が休んでからでいい。
◇
昼を過ぎた頃、監督官の住居だった建物に五人が集まった。
ルナ。
ラウガ。
ボルグ。
タダノ。
そして、チリ。
部屋の中央には、以前の監督官が使っていた机が残っている。
チリが革袋の中身を、その上へ並べた。
大きな帳簿が二冊。
紐でまとめられた売買札。
納入先の記された紙。
首輪管理者から奪った鍵束。
商館主が檻を閉じるために使った大きな鍵。
紙の端には、火で焦げた跡が残っている。
「全部は持ち出せなかったっス」
チリは帳簿を開いた。
「仕入れと売却の記録を優先したっス。誰をどこへ送ったかは、これで分かると思うっス」
「読める範囲でいい」
「簡単な字なら問題ないっス」
チリは一冊目の帳簿へ目を通す。
「こっちは仕入れっスね。捕まえた場所、買った値段、傷の有無が書いてあるっス」
紙の上では、ガチケモたちが数字で並べられていた。
名前のない者も多い。
種族。
性別。
身体の大きさ。
売値。
使い道。
それだけが残されている。
「こっちは売った先っス」
二冊目の帳簿を開く。
「鉱山。貴族の屋敷。船。見世物小屋……かなり多いっス」
チリの指が、書かれた文字を追っていく。
ルナは黙って待った。
帳簿に書かれた全員を、一度に助けることはできない。
場所も敵の数も分からないまま動けば、鉱山にいる者たちまで危険に晒す。
まず、行き先を選ぶ必要がある。
「これ」
チリの指が止まった。
「ほかより売値が高いっス」
帳簿の一行に、濃い墨で文字が書かれている。
「何が売られた」
「虎族の男、一人。かなり大きいみたいっス」
チリが記録を読み上げる。
「戦闘用。傷あり。反抗性が高い。隷属の首輪をつけた状態で、闘技場へ引き渡し」
「いつだ」
「数か月前っス」
「闘技場か」
ボルグの声が低くなる。
チリが帳簿の間に挟まれていた売買札を抜いた。
「商館から闘技場へ送った時の札も残ってるっス。通った関所と道が書いてあるっスよ」
札には、いくつかの道と関所の印が記されている。
これがあれば、闘技場まではたどり着ける。
「名前はあるか」
ルナが尋ねる。
「帳簿には書かれてないっス。虎族、男、大型。それだけっス」
「ガオンだ」
声は部屋の入口から聞こえた。
商館から救い出した猪族が立っている。
片手には、空になった食事の器があった。
「その虎族を知っているのか」
「同じ檻にいた」
猪族は机の帳簿を見る。
「ガオンという名だ。俺が商館へ入れられた時には、もう捕まっていた」
「どんな者だ」
「強い」
猪族は短く答えた。
「商館の兵士が弱った者を殴ろうとすると、必ず前へ出た。自分の首輪が締まっても止まらなかった」
ルナは黙って話を聞いた。
「それで闘技場へ売られたのか」
「兵士を三人倒した。首輪で動けなくなったところを、何度も殴られていた」
猪族が器を握る手に力を入れる。
「ニンゲンは喜んでいた。闘技場なら高く売れると言っていた」
チリが帳簿へ目を戻す。
「売値も、ほかとは桁が違うっス」
「闘技場では何をさせる」
「戦わせるんス」
チリが答えた。
「捕らえた者同士を戦わせることもあるっス。どちらかが動けなくなるまで、ニンゲンが見て楽しむ場所っス」
ボルグが拳を握る。
「同胞同士を殺させるのか」
「首輪があるなら、拒めないっス」
タダノが帳簿を覗き込んだ。
「その虎族にも、まだ首輪があるの?」
「引き渡した時には、つけられていたっス」
「なら、外しに行こう」
タダノの返事に迷いはなかった。
「今すぐには行かない」
ルナが止める。
「どうして?」
「闘技場には、商館より多くのニンゲンがいる。兵士の数も、檻の場所も分からない」
「でも、首輪がある」
「分かっている」
ルナは闘技場への売買札を手に取った。
「助けないとは言っていない。道と中へ入る方法を調べてから動く」
タダノは少し考えた。
「分かった」
納得しきってはいない。
それでも、一人で出ていこうとはしなかった。
チリが帳簿と売買札を分け始める。
「闘技場に関係するものだけ集めるっス。出入りしていたニンゲンや、荷車の記録も残ってるかもしれないっス」
「できるのか」
「正面から兵士と戦うのは無理っス」
チリは毛の中から細い針金を取り出し、机の上へ置いた。
「でも、鍵と書類なら役に立てるっス。檻の場所も、逃げ道も、入ってから探せる」
「私たちと来るのか」
ルナが尋ねる。
チリはすぐには答えなかった。
机に置かれた大きな鍵を見る。
商館主が自分を守るために使い、最後にはチリが拾った鍵だ。
次に、詰所で眠っている者たちの方へ顔を向ける。
「怖くないとは言わないっス」
チリは言った。
「また捕まるかもしれないし、今度は逃げられないかもしれないっス」
「なら、ここに残ってもいい」
「それだと、鍵を開けられる者が減るっスよ」
チリは針金を拾い、毛の中へ戻した。
「行くっス。戦うのは任せますけど」
「それでいい」
ルナはうなずいた。
「鍵はお前に任せる」
「了解っス」
鼠族のチリが、ルナたちへ加わった。
力で兵士を倒す者ではない。
だが、商館の仕掛けを見抜き、檻を開き、売買記録を火の中から持ち出した。
次の救出に必要な力だった。
ルナは帳簿を閉じた。
鉱山の詰所では、十三人のガチケモが首輪なしで眠っている。
奴隷商館は焼け落ちた。
だが、そこから売られた同胞は、まだ各地に囚われている。
その一人が、闘技場で戦わされていた。
「道を調べる」
ルナは言った。
「鉱山に残す者と、連れていく者を決める。闘技場へ入る方法も探す」
ラウガがうなずく。
ボルグは壁へ立てかけていた騎士の剣を取った。
チリは闘技場へ続く売買札を広げる。
タダノは、すでに扉の前へ立っていた。
ルナは売買札に描かれた道を指でなぞる。
その先には、隷属の首輪をつけられ、見世物として戦わされている虎族がいる。
「次は闘技場だ」




