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8話 奪われた者の残響

 朝靄(あさもや)が低く立ち込め、家屋の残骸を白く包んでいた。


 プロセアは無言で土を掘っていた。血と泥にまみれた外套の裾が、重く地面を(こす)る。

 徹夜で作った墓は粗末だった。浅く土を盛り、その上へ石を置いただけの簡素なもの。それでも彼女は一体ずつ丁寧に遺体を横たえ、土を被せる。


 途中、近くに咲いていた白い野花を数本摘み取った。花の名前は知らない。それでも、何もないよりはいい気がした。

 小さな花束を墓石代わりの石の脇へ置く。名前も知らない人々へ、静かに祈りを捧げていた。

 鳥の声が、遠くで聞こえ始めた。死の匂いの中に、日常が戻りつつある。


「……これからも、すべてそうするつもりかい」


 背後から声が聴こえた。

 ゾイロスはすでにそこに立っていた。気配もなく、まるで最初から朝靄の中に溶け込んでいたかのように。


「殺すことも、弔うことも。この先、延々と続く惨劇をすべて拾うつもりかい」


 プロセアは振り返らずに、墓標へ向けて合わせていた手をそっと下ろした。

 しばらく風の音だけが流れる。やがて、彼女はぽつりと口を開いた。


「……先生」


 プロセアはまだ墓標から目を離さない。


 「助けられなかった人の顔がね、ずっと残るの。泣いている声も、土に染みた血の匂いも……奪われたものだけが、決して消えない」


 指先が、冷たい土をゆっくりと握りしめる。


「なのに、あいつらは何もなかったみたいに祈るんだ。罪もない人たちの血を流した、その手で。自分たちの独善と幻想を、正義みたいに飾り立てながら」


 プロセアはゆっくりと立ち上がった。その顔から感情は読み取れなかった。ただ、その瞳は深いところの色を含んでいて、十年前の夜から沈み続けたものが今もなおそこにあった。


「だから、私の目と手が届くところは、もう奪わせない。奪ったものの分まで……全部、返してやる」


挿絵(By みてみん)


 冷たい風が、朝靄を切り裂くように吹き抜けた。

 ゾイロスは無言で彼女の背を見つめ、それからゆっくりと空を見上げた。


「……影月(かげつき)が顕現してから、もう五十年が経つ。その間に、世界はすっかり変わった」


 プロセアは黙ったまま聞いている。


「教団は、もはやただの宗教勢力じゃない。王朝に食い込み、人と法を握りながら、その支配を広げ続けてきた。今では、生まれた時から聖印を刻まれ、教団の庇護なしでは生きられない人間も珍しくない」


 ゾイロスはしばらく月を仰いでいたが、その視線を地上へ落とした。その先には、もう誰も帰らない家々が風に晒されている。


「君がやろうとしているのは、そういう世界を相手にすることだ。一人の王でも、一つの軍でもない。人々の営みと祈りに深く根を張った、時代そのものだ」


 空には、淡い白の月がかすかに残っていた。

 元からこの世界に存在していた月――常月(とこつき)。教団はそれを聖月(ヘレネ)と呼ぶ。

 そして、その傍らに現れた赤い月――影月。教団はそれを贖月(セレーネ)と呼んだ。

 教団に与しない人々は、今でも常月、影月と呼び続けている。けれど教団は、その呼び名を許してはいない。

 影月が現れてから、世界は変わった。

 それが深紅に染まる夜、空から降る銀色の(おり)――銀漿(ぎんしょう)。それは人を狂わせ、肉体を変え、数えきれない死をもたらした。

 けれど同時に、奇跡も生んだ。傷を癒やし、異能を与え、かつて不可能だった力を人へ(もたら)した。

 教団は、その力を聖光と名付けた。神が人類へ与えた恩寵。救済へ至る光。そう語りながら、国中へ信仰を広げていったのだ。


「……連中は、本気で信じているよ。聖光は人を正しい形へ導くと。耐えられなかったものは、淘汰されるべき不完全なのだと」


 プロセアは俯いたまま、土に汚れた拳を強く握る。


「だから、あんなことができる」

「そうだね」


 ゾイロスは否定しなかった。


「連中にとっては、虐殺も聖伐も、救済の過程でしかない」

「……救済なものか」


 その声は低く(かす)れ、人の生活が失われた静寂の中へ沈み込むようだった。


「お母さんも、お父さんも……ジェシカ姉ちゃんも、ミラおばさんも、ブラウン爺さんも」

 

 名前を呼ぶたび、奪われた景色が胸の奥で揺れる。


「みんな、普通に生きてただけなのに」


 その先が続かなかった。息がうまく吸えない。胸の奥に押し込めていたものが、ひび割れた(せき)の隙間から溢れ出そうとしている。


「この村の人たちだって、何も悪いことなんてしてない。なのに、殺されたのは、世界が良くなるためだったっていうの?」


 わずかな沈黙が落ちる。墓前に備えた花を揺らして、風が鳴る。

 右腕の奥が(うず)き出し、プロセアはそっと左手を添える。


「そんなものが正しいって言われるなら、そんなことを祈りながら、人が平気で生きていけるなら……この世界のほうが、間違ってる」

「君は不思議だね」


 ゾイロスは静かに呟いた。


「多くの人間は、壊された瞬間に、自分の痛みしか見えなくなる。でも君は、まだ他人の痛みに足を止める」


 プロセアは墓標から目を逸らさない。

 そこに眠る名前も知らない人々の顔が、レヴィスの誰かと重なって見える。


「……影月の影響で、この世界はずっと壊れ続けている。教団は、その恐怖と混乱を糧に大きくなった」


 しばらく、二人とも口を開かなかった。

 朝陽が雲間から漏れ出し、墓標の影がゆっくりと伸びていく。鳥の声だけがかすかに響いている。

 土を踏み出す音が沈黙を破った。ゾイロスが墓標へ背を向ける。


「……少し森を歩いた先に、泉が湧いていた。そこで身体を洗い流そう。血の匂いが酷い」


 プロセアは何も答えず、手を見下ろした。泥と血が、爪と指の隙間に黒くこびりついていた。


「それと、昨日から何も食べていないだろう。そのあと何か口に入れた方がいい」


 風が吹き抜け、プロセアの前髪が流れた。

 露わになった目元には、濃い疲労の影が落ちていた。

 彼女は「うん」と小さく頷いた。そして、もう一度墓標へ向かって手を合わせてから、(きびす)を返した。


 そのとき、


『おなかすいた』


 と、鈴を転がすような声が、内側で小さく鳴った。

 プロセアはわずかに眉を寄せた。


「あとでね」


 返事をすると、右腕の奥が満足そうに静まった。

 振り返れば、墓標は朝の光の中に並んでいる。その下には、名前も知らない人々が埋まっている。


 ――痛みのない場所で、安らかに眠れますように。


 プロセアはそっと目を伏せた。

 そして前を向いて、ゾイロスの背を追った。

【今回のトピック】

「プロセアが墓に祈るシーン」

実はこのシーンを書くために、祈りと復讐は両立するのだろうか、とずっと考えていました。

故郷を奪われた少女が、それでも誰かのために祈る。その姿は、復讐者としては少し不思議にも見えます。

ゾイロスの「君は不思議だね」という言葉は、実は作者自身の感想でもあります。

プロセアの根っこには、何も出来なかった無力感が濃く影を落としているのかもしれません。だからこそ彼女の中には、復讐の念と、誰かのために祈りたい気持ちが同時に存在していて、それが彼女なりの贖いなのかもしれないなあと。


【次回更新】

次回は、6/13(土)19:00更新予定です。

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