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9話 優しい祝福

 街道には、朝から馬車の列が続いていた。

 乾いた土埃を巻き上げながら、荷車がゆっくり進んでいく。行商人、巡礼者、傭兵、牛を引いた農夫――誰もが疲れたような表情をしていたが、それでも歩みは止めていなかった。


 その流れの先に、渡り路の街グランはあった。

 低い城壁の向こうから、(すす)けた煙突と色褪せた屋根が幾重にも覗いている。門の脇には厳かな鐘塔(しょうとう)がそびえ、人々の営みを静かに見下ろしていた。


 プロセアは外套の襟を少し上げた。鉄の手甲の下で、右腕がじくじくと熱を持っていた。

 隣を歩くゾイロスは物珍しそうでもなく、町並みへ視線を流している。


「……人が多い」


 プロセアは、行き交う人波を眺めながら呟いた。


「ここは渡り路の街と言われている通り、教団管区を行き来する人間が集まる。巡礼者も旅人も商人も、流民も傭兵もね」


 ゾイロスは目を細めた。

 門前では、町の衛兵たちが旅人の検印を行っている。荷馬車の積荷を確認し、通行記録を羊皮紙へ書きつけている。

 その脇では、灰色の法衣を纏った教団の祈祷士たちが静かに立っていた。

 列に並んだ人々は、通過の際に腕や首元の聖印を見せていく。祈祷士は短い祝詞(のりと)を捧げ、衛兵はそれを横目で確認しながら人々を通していた。

 一方で、聖印を持たない者には、名前や出身地、旅の目的などを細かく問いただしているらしかった。


「……先生」

「大丈夫」


 ゾイロスは至って平静な調子で答える。


「君は助手だ。余計なことを喋らなくていい」


 列が少しずつ進んでいく。

 やがてプロセアたちの番になり、衛兵が手を差し出した。


「聖印照合か、身分証を」


 ゾイロスは懐から、布張りの細い巻物を取り出した。擦り切れた紐の先には、古い封蝋印が残っている。

 衛兵はそれを広げ、紙面へ目を走らせる。その表情がわずかに変わる。


「……王朝学術院の認可証」


 隣にいた若い衛兵も、思わず紙を覗き込んだ。


「博士号持ちですか……」


 衛兵たちの検分するような冷たい視線が、少しだけ柔らいだ。

 ゾイロスは気怠げに肩を(すく)めた。


「形式だけですよ」


 衛兵は小さく咳払いし、視線をプロセアへ向ける。


「そちらは?」

「私の助手です。口数は少ないですが、優秀ですよ」


 衛兵は、プロセアを足元から顔までゆっくり眺めた。その口元に、一瞬だけ妙に歪んだ笑みが浮かぶ。


「……通っていいです」


 ゾイロスは軽く会釈すると、そのまま街の中へ歩き出した。

 少し遅れて、プロセアも後を追う。


 背後では、また別の旅人が呼び止められていた。


 ――所属管区は?

 ――聖印は持っているか?

 無機質な問いかけが、朝の喧騒へ溶けていく。


 しばらく歩いたあと、プロセアは小さく呟いた。


「……なんか、嫌な顔だった」

「気にしないことだね」


 ゾイロスは欠伸混じりに答える。


「世の男はね。若い女が年寄りの男と歩いてると、勝手に話を作りたがる。まあ、今回のように便利な場合もあるけどね」


 衛兵の視線は、妙に肌へ張りつく感じがした。自分の知らないところで、勝手に何かを決めつけられていた気がする。

 しかもゾイロスは、最初からそれを理解した上で利用していた。嫌な感じだった。けれど、何をどう嫌がればいいのか、プロセアにはよくわからない。それ以上考えるのをやめて、プロセアは通りの先へ視線を向けた。


 街角には、小さな人だかりができている。

 泣いている少年が、母親に腕を引かれていた。その前へ、修道女が静かに膝を折る。


「怖がることはありません」


 柔らかな声だった。


「祝福を受ければ、聖光の加護があります」


 細い銀針が、少年の腕へそっと沈んでいく。

 少年は小さく肩を震わせ、母親の服を掴んだ。淡い光が皮膚の下へ滲み、やがて静かに消えていく。


挿絵(By みてみん)


「……何をしてるの」


 プロセアは、街角の親子を見つめながら訊いた。

 ゾイロスは、修道女の手元へ視線を向ける。


「腕に刻まれた聖印へ、銀漿(ぎんしょう)……彼らの言葉で言えば、聖光を流してるのさ。不安を鎮めたり、痛みや疲労を和らげたりする。まあ、気休めとしては非常に優秀だね」

「聖印……」


 プロセアはその言葉を繰り返した。


 ――神の加護を受けた証。

 ――救済を受けた証。

 ――敬虔な教徒の証。


 教団はそう説明している。

 プロセアも旅の中で何度も見てきた。教団支配地域では、ほとんどの人間が刻んでいる。


 少年は次第に呼吸を落ち着かせ、修道女へ不安げな目を向けていた。

 母親は何度も頭を下げている。


「ありがとうございます……ありがとうございます……」


 修道女は、怯えていた少年の頭を優しく撫でていた。

 プロセアは、その光景を黙って見つめていた。


「ただ、聖光は人を慣らす。それに依存しすぎた人間は、いずれ自分で立てなくなるかもしれないね」


 ゾイロスは目を細めた。


「反教団派の人間は、『魂が溺れる』なんて言い方をしていたかな。まあ、魂なんて曖昧なものは私にはわからないけどね」

「……でも、もし耐えられなかったら」

「そうだね。聖光に適応できなかった者は、穢れとして扱われる」


 穢れ――その響きに、プロセアは無意識に右腕を押さえた。


「銀酔いになる者。変異体化する者。あるいは、その兆しを見せた者。教団は、そうした人間を浄化の対象にする」


 母親は、少年を抱き寄せている。

 修道女は、穏やかな笑みを崩さない。


「もっとも、彼らの多くは純粋に信じているよ。信仰こそが、人を穢れから遠ざけるのだと」


 風が、通りを吹き抜ける。

 プロセアは、誰へともなく小さく呟いた。


「……奴らの神は、人の命を喰って生きてる。そんなものが、救いだなんて……」


 ゾイロスは何も答えなかった。

 街角では、修道女へ感謝する声が周囲から起こっていた。

 少年の泣き声は、もう聞こえない。少年を癒した聖光が、その腕に淡く灯っている。

 レヴィスを襲った連中もまた、同じ聖光をその身に灯していた。その光景は、プロセアの中から決して消えない。

【今回のトピック】

教団はプロセアにとって復讐相手ですが、街で暮らす人々にとっては必ずしもそうではありません。

今回描いたのは、教団の支配が人々の生活の中に静かに溶け込んでいる姿です。

銀漿は人々に恩恵を与える一方で、多くの悲劇も生み出しています。ですが教団は、その悲劇さえも穢れや信仰の問題として説明します。

その結果、人々は銀漿や教団ではなく、自分自身を疑うようになります。教団が力を持ったのは恐怖だけが理由ではありません。人々が教団を信じたくなる理由が、この世界にはあったのだと思います。

その辺りも今後少しずつ描いていければと思っています。


【次回更新】

次回は、6/19(金)18:00更新予定です。

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