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6話 根無き芽吹き

 死体は、まだ温かかった。

 指先を離すとわずかな熱は瞬く間に消え、眼前には冷たい風景が広がるばかりだった。

 崩れた家屋の影に、いくつもの亡き骸が転がっている。血は乾ききっておらず、わずかに粘り気を残している。

 視線を巡らせる。斬り口は鋭い。一切の迷いがなく、骨ごと断たれている箇所もある。

 無抵抗のまま斬られたもの、逃げようとして背を断たれたもの、跪いたまま首を落とされたもの。


 ――聖光律教団。

 白い外套の切れ端が、瓦礫(がれき)に引っかかっていた。双月の紋が血に濡れて滲んでいる。

 あちこちの家屋の壁にも、同じ紋が描かれていた。

 それは血だった。指先でなぞったように線が粗い。何度も塗り重ねた跡があり、夜気に(さら)されてところどころ黒ずんでいる。

 遺体は、無造作に転がされてはいなかった。顔は同じ方角へ向けられ、手は胸の上で組まれている。見せかけの祈りが、そこに残されていた。


 聖伐――清めの名を借りた、蹂躙(じゅうりん)

 視界の奥で、別の光景が重なる。


 赤く染まった空の下、銀漿(ぎんしょう)が降りしきり、血と泥水を跳ね上げて、白い外套と銀の甲冑が行き交う。

 刃が振り下ろされ、誰かが叫び、その声は次の悲鳴に呑まれ、また別の悲鳴に掻き消されていく。

 故郷が燃え、焦げた肉の臭気が漂い、血飛沫が飛散する。

 そして、あの口笛の音が響く。


 人が死ぬ。

 また死ぬ。

 まだ死ぬ。

 そのたびに口笛が鳴る。

 胸の奥が()じれる。

 吐き気が込み上げる。


 あの夜から、十年が過ぎていた。

 風守の丘を駆け回っていた少女は、もうどこにもいない。


挿絵(By みてみん)


 プロセアはゆっくりと立ち上がった。

 夜風が外套を揺らし、肩口から(こぼ)れた銀白の髪が頰をかすめる。その中に混じる黒い髪束が、影のように揺れた。

 細身の身体は少女の面影を残していたが、腰には片刃剣を()き、その(たたず)まいには迷いがない。彼女は、血に濡れた指を外套の裾で拭った。

 そのとき、視界の端に小さな身体が映った。倒れた大人の影に隠れるように、子どもが横たわっている。まだ幼いが、既に息はない。

 亡き骸の側にしゃがみ込み、泥に濡れた髪をそっと払う。閉じきれていないまぶたに指先で触れ、静かに目を閉じさせた。


 「……助けられなくて、ごめんね」


 もう何度目かわからない言葉だった。

 プロセアは、しばらくその場に膝をついたまま動かなかった。右腕の奥で、強く脈打つものがある。

 死体の温もり、乾ききらない血から推測するに、襲撃からそう時間は経っていない。

 顔を上げて、家々へと目を向ける。扉は破られ、中には倒れたままの遺体がいくつも見える。食卓がひっくり返り、床には割れた皿が散らばっている。溢れた煮汁の跡が広がり、火はまだ落ちきっていない。

 夕餉(ゆうげ)の最中だ。教団兵はあえて祈りの(とき)を選び、人々の信仰を踏みにじるように、殺した。


 プロセアの視線が、外へと戻る。

 外套の裾が泥を引き摺った跡が残り、甲冑の重みで靴跡が深く刻まれている。さらに、その上を馬の蹄の跡が重なっていた。

 夜の森をこの装備で進むのは容易ではない。月明かりは乏しく、獣道はぬかるみ、視界も利かない。まして騎馬での行軍なら、なおさらだ。無理に進軍する理由はない。


 「……水辺だ」


 プロセアは小さく呟いた。

 木々の隙間から吹いてくる風は湿り気を帯びていた。細い川が流れているのだろう。

 こうした川沿いには平らな岸辺ができやすく、旅人が夜営に使うことも珍しくない。馬を休ませ、焚き火を起こし、刃に付いた血や脂を洗い流すにも都合がいい。

 視線を地面に落とす。蹄の跡は五対。その周囲には、人の足跡がいくつも重なっている。歩幅と踏み込みの深さから、おおよその人数も見当がついた。二十前後だろう。


 彼女は足跡を辿るように、静かに森の奥へ踏み込んでいく。

 枝葉の擦れる音と、遠くで鳴く小獣の声が耳へ届く。大きな群れが通った後の森は、不自然なほど静かだった。

 木々の向こうに橙色の光が揺れた。数歩進むと視界が開けた。


 夜営地だった。

 焚き火がいくつか起こされ、その周囲に白い外套の男たちが散っている。馬は平地の外縁へまとめて繋がれていた。

 岸辺には血を洗った跡が残っている。ついさっきまで、人の身体の中に流れていたものだ。薄赤く濁った水が、何事もなかったように下流へ流れていた。


 プロセアは唇を引き結ぶ。

 ――もう少し早ければ。

 けれど、悔やんだところで、過ぎた時は戻って来はしない。せめて、これ以上は手遅れにしたくなかった。


 陣はまだ固まりきっていない。

 見張りは二人立っているが、その意識は外よりも内側へ向いている。背後を川に塞がれているという安心感が、警戒を鈍らせている。


 プロセアは身を低くしたまま、静かに位置を変えた。

 風向きはこちらへ流れている。血と汗の匂いが、焚き火の煙に混じって届いていた。足音は水音へ紛れ、流れが強まるたびに、一歩ずつ距離を詰めていく。


 見張りの一人が、欠伸(あくび)を噛み殺した。

 その瞬間、プロセアの身体が音もなく滑り出す。背後へ回り込み、刃が喉を裂く。声になる前に生ぬるい血が溢れる。彼女は倒れ込む身体を支え、そのまま静かに地面へ横たえた。

 隣の見張りは、まだ気づいていない。焚き火へ視線を向けたまま肩を揺らしている。

 その背後へ一歩で間合いを詰め、振り向くより早く首筋を裂いた。短い(うめ)き声だけを残し、男は崩れ落ちる。音は、水の流れに吸い込まれる。


 プロセアは木々の切れ目まで移動し、そのまま身を伏せる。

 見張りを失った夜営地は静かなままだった。

 その中で一箇所、様子の異なる場所がある。川から少し離れた木陰に風避けの布が張られ、周囲よりわずかに整えられていた。

 隊の中心――指揮官がいるとすれば、あそこだ。

 プロセアは呼吸を静かに整える。剣を握る手に、わずかに力がこもった。


 「一人も、逃さない」


 狩りの呼吸へと、切り替える。

【今回のトピック】

成長後のプロセア初登場回です。

幼少期は黒髪でしたが、ルピナとの融合時に受けた凄まじい苦痛の後遺症で、前髪の一部を残して銀白髪になっています。

ちなみに挿絵はAI生成です。

頑張って黒メッシュを再現させているのですが、右側にあったり左側にあったりします。

作者も毎回「今日はそっちか……」と思いながら見ています。ご愛嬌ということで。笑


【次回更新】

次回は、6/6 19:00更新予定です。

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