13話 街道の流儀
朝の光が、渡り路の街グランを淡く照らしていた。夜通し燃えていた街灯は消えて、石畳には昨夜の喧騒の名残がわずかに残っている。
鐘の音が、薄明の空を突いて響き渡る。
商人たちが荷馬車を整え、旅人たちが門前で出発の最終確認をしている。
プロセアは宿の窓辺で外套の紐を締めながら、昨夜の湯屋の温もりを思い出していた。
久しぶりに、深く眠ることができた。身体はいつもより軽く、頭の中もすっきりしていた。
ゾイロスはすでに荷物をまとめ、部屋の戸口で彼女を待っている。
「準備はいいかい?」
プロセアは銀白の髪をまとめ、片刃剣を腰へと佩いた。
「……うん。行こう」
二人はグランの東門へと向かった。
門の外れには、既に一人の影があった。朝日に長い影を引きながら、腕を組んで石壁にもたれている。その背には、身の丈ほどもある大剣が斜めに背負われていた。
半獣人の女戦士――ミロシュだ。
彼女はプロセアたちの姿を捉えると、不機嫌そうに眉をひそめてみせた。
「おっそー」
吐き捨てるような第一声。
しかし、ミロシュの視線はすぐにゾイロスを通り越し、プロセアの顔へと向けられた。
じっとその顔色を窺うように見つめたあと、ふいっと鼻を鳴らす。
「……顔色は悪くないみたいだな」
「おや」
ゾイロスが興味深そうに眉を上げる。
「何かあったのかい? 昨日の酒場では、あれほど剣呑な雰囲気だったのに」
「なんもないよ、別に」
ミロシュはぶっきらぼうに答え、さっさと歩き始めた。
プロセアはその背中を追うように、歩く速度を早めた。
東門の石造りのアーチを抜ける。
視界が、一気に開けた。
緩やかな丘陵が地平線まで続いている。
朝露を残した草原は風を受けて波打ち、その向こうには森の濃い緑が横たわっていた。
さらに遠く、霞の向こうには青灰色の山並みが幾重にも重なっている。
空は広かった。
街の囲いの中から見上げる空とは違う。
遮るもののない蒼穹がどこまでも続き、その下に道が一本だけ伸びている。
誰が作ったのかもわからない古い街道だ。
土に刻まれた轍は、遥か遠くまで続いていた。
先を歩いていたミロシュが、ふと振り返った。
「嫌いじゃないんだよな、こういうの」
「ん、何が?」
プロセアが首を傾げる。
ミロシュは街道の先へ目を向けた。
「次の目的地へ向かう、今この瞬間!」
風が灰褐色の髪を揺らした。
どこか誇らしげに、獣耳がピン、と立っている。
「この先で何が起きるか、誰に会うか、誰と喧嘩するかもわかんねー」
口元が少しだけ緩む。
「世界がまだ、何も決まってない感じがするっしょ?」
ミロシュはニマッと笑った。
プロセアは街道の先を見つめる。
――何も決まっていない。
その言葉は、不思議なくらい遠く聞こえた。
彼女には、ずっと前から決まっていることがある。
あの夜を忘れないこと。
そして、奪った者たちを見つけ出すこと。
旅の先に何が待っているのかはわからない。けれど、どこへ続いていようと、その道は必ず同じ場所へ辿り着く――復讐の先へ。
風が吹いて、睫毛に当たった。
プロセアは思わず目を細める。
それでも、こんなふうに遠くまで続く道を眺めるのは、少しだけ嫌いじゃなかった。
「ところで」
後ろから、いかにも今思い出したような声が飛んできた。ゾイロスだった。
「これから会いに行く、湖畔のメルキオという男を、ミロシュ君は知っているのかい?」
「知らねー。運び屋っしょ?」
ミロシュは露骨に顔をしかめた。
「ウチ、そういう連中はどうも苦手なんよなー」
プロセアは横に並んで、顔を見上げる。
「どうして苦手なの? 同じ鐘無しなんじゃないの?」
「ま、それはそうなんだけどさ」
ミロシュは頭を掻いた。
「あいつらは金になるものなら何でも運ぶ。荷物でも人でも情報でも。義理とか筋とか、そういうの全然気にしないからな」
「なるほど」
ゾイロスは面白そうに頷く。
「たしかに、運び屋というものは一つの場所へ留まらない。明日は別の国にいて、昨日の知り合いを今日売っている――そんなことも珍しくないだろうね」
「ま、運び屋なんて連中はさ、信用できるかどうかじゃないんだよ。利用できるかどうか」
ミロシュは鼻を鳴らした。
プロセアはしばらく黙っていた。
信用と利用、その違いがまだうまく飲み込めない。
「……じゃあ」
プロセアが切り出す。
「利用できる人なら、信用できなくても一緒にいるの?」
「んー。ウチらみたいな生き方をしてると、そういうのも少なくないかもな」
ミロシュは苦笑した。
「むしろ、信用できる奴の方が少ないし」
プロセアは少し考えてから、
「……人を、そういう風に見るんだ」
と、小さく呟いた。
「別に珍しいことじゃないよ」
ゾイロスは横目で見る。
「人は皆、誰かを頼って生きている。街道では、それが少し見えやすいだけさ」
プロセアは返事をしなかった。
その言葉を胸の内で反芻してみるが、まだうまく飲み込めない。否定できるほど世界を知っているわけでもなかった。
三人は街道を南へ進んだ。
陽は高くなり、朝露はすっかり消えている。
草原を渡る風は心地よく、街道には時折、荷車や旅人の姿も見えた。
ミロシュは鼻歌交じりに歩き、ゾイロスは何かの植物を見つけるたびに足を止める。プロセアは二人の少し後ろを歩いていた。
そのとき、風に混じって甲高い音が届いた。
最初は鳥の鳴き声かと思った。
「……聞こえた?」
ミロシュが獣耳をぴくりと動かす。
「聞こえたね」
ゾイロスが眼鏡を押し上げて答える。
その音はもう一度響いた。今度ははっきりと、人の悲鳴だとわかった。
街道の先、緩やかな丘の向こう側からだった
プロセアは何も言わず、次の瞬間には駆け出していた。風が銀白の髪を勢いよく後ろへ流す。
間に合わなかった声を知っている。届かなかった手を知っている。だから、足が止まらなかった。
「ちょ、速っ!?」
「やれやれ」
ミロシュとゾイロスは急いで後を追いかける。
二人が丘を越えたときには、すでに戦闘が始まっていた。
荷馬車が横転している。馬は怯えたように暴れ、散乱した木箱の間を縫うように黒い影が走り回っていた。
クロオオカミだ。灰黒色の毛並みを持つ獣たちが、荷車の陰へ追い詰められた商人風の男へ牙を剥いている。
さらに、その奥には、粗末な革鎧を纏った小柄な影が木箱へ群がっていた。
ゴブリンだ。五、六体ほどが、甲高い声を上げながら木箱を叩き壊し、中身を漁っている。
プロセアはそちらへ目もくれず、クロオオカミの群れへ真っ直ぐ踏み込む。
最前の一頭が飛びかかった。
白刃が閃く。狼の身体が空中で二つに裂け、そのまま地面へ転がった。
続く二頭目が横合いから牙を剥く。
剣が返る。首が飛び、鮮血が草原へ散った。
狼たちは、そこで初めて異変を察した。相手は獲物ではない。捕食者だ。
しかし、逃げようとした最後の一頭も喉を断たれ、地面へ崩れ落ちた。
血を払うように剣を振り、プロセアは振り返った。
ゴブリンの群れへ向かおうとして――足を止める。
すでに終わっていた。
木箱の間には、緑色の屍体がいくつも転がっている。
頭を潰されたもの。胴を両断されたもの。地面へめり込むように倒れ伏したもの。
その中心で、ミロシュが大剣を肩へ担いでいた。返り血を浴びた顔で、こちらを見る。
「ん? なに?」
プロセアは瞬きを繰り返す。
「……もう終わったの?」
「終わったけど」
ミロシュは首を傾げる。
「そっちも終わってんじゃん」
ゾイロスはのんびりと歩いてきて、周囲の死体を見回した。
「二人とも元気だねえ。おかげで私の出番がないじゃないか」
彼はわざとらしく嘆息した。
横転した荷馬車の陰から、商人風の男が這い出てくる。顔は青ざめ、腰が抜けているらしく立ち上がれない。
「た、助かった……!」
男は何度も頭を下げる。
「ありがとうございます! 本当に……本当に……!」
プロセアは血を払った剣を鞘へ収める。
「怪我は?」
「だ、大丈夫です……!」
男は何度も頷く。
その様子を見ながら、ミロシュが大剣を背中に収める。
「てかさ、こういう時は」
「?」
プロセアが振り返る。
ミロシュは呆れたように頭を掻いた。
「普通、先に値決めしてから助けるもんよ」
「どうして?」
「どうしてって……」
ミロシュは目を丸くする。
「だって、タダ働きになんじゃん」
プロセアはしばらく黙り込む。どうやら本気で意味がわからないらしい。
ゾイロスが吹き出した。
「それは君らしいね」
「いやいや、街道じゃ大事な話だから」
ミロシュは真顔だった。
「あ、あの……!」
三人が立ち去ろうとしたところで、商人が慌てて呼び止める。荷の中を漁り、小さな革袋を取り出した。
「これは、心ばかりですが……」
それをプロセアに手渡す。
「命を助けていただいたお礼です」
革袋の中で硬貨が触れ合う音が鳴る。
ミロシュの耳がぴくりと動いた。
プロセアは首を傾げる。
「?」
ミロシュは革袋をプロセアからひったくるように受け取り、中身を確かめた。
手の中で軽く揺する。硬貨が触れ合い、じゃらりと音を立てた。
革袋をじっと見つめる。もう一度揺する。
「……ま、いっか」
そう言って、満足そうに頷いた。
「良かったじゃないか」
ゾイロスが笑う。
「結果良ければ全て良し、ってね!」
ミロシュは満面の笑みを浮かべた。
プロセアはしばらくその笑顔を眺める。
これが、街道の生き方なのかもしれない――そう思ったけれど、プロセアにはまだよくわからなかった。
風が吹いて、草原がざわめいて波打つ。
外の世界は、まだ知らないことばかりだった。
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
【今回のトピック】
初のフィールド戦闘回です。
RPGで言えば、チュートリアルが終わって、ここから一気に操作の自由度が増すような場面ですね。
この世界にも、いわゆる魔物のような存在がいます。
設定オタクとしては、「なぜ魔物が存在するのか」「人間にとってどんな存在なのか」を延々と語りたくなるのですが、それをやると作者自己満の説明会みたいになるので、ぐっと我慢しています(笑)
お約束はお約束のまま楽しめるのも、ファンタジーの醍醐味ですよね!
【次回更新】
次回は、7/5 18:00更新予定です。
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