6―和也の旧友
「ふわああああ。」
2日続けて夜更かしをしてしまった和也は食卓につくなり大きな欠伸をした。今朝のテーブルにはいつものように譲が先についていた。
「パパ聞いてる?」
その声を聞いた和也はどうやら譲がなにか言っていたようだと思い返事を返した。
「聞いてるよ。『いただきます』だろ?今から言うところだよ。」
「違うよ、『信念』だよ、信念!パパの信念は何って聞いたの。まったく寝ぼすけなんだから。」
「はずれたか」和也は心の中でそう思いながらとりあえず『いただきます』をした。和也は譲に毎朝のように『いただきます』をし忘れて怒られているのだ。『いただきます』をすると早速コーヒーを口にしている和也に向かい譲は続けた。
「パパの信念はやっぱ、紳士として『家族を守る』ってこと?」
「っぷ」
和也は口に含んだコーヒーを吹き出しそうになった。「小学生が『信念』に『紳士として』だって」笑いをこらえながら和也は目で向かいに座ってる智美に訴えた。智美も笑いをこらえたような顔をしていたがすぐに真顔になり目を指差すしぐさをし「真面目に答えて!」っとジェスチャーをした。
「譲は難しい言葉知ってるんだな。そうだな、もちろん『家族を守る』はパパの信念の一つだな。」
和也は真面目に受け答えしなくてはと意識しすぎて少し声が低くなってしまった。そのやり取りを見ていた智美が無責任にも笑っている。今度は逆に和也が「お前こそ真面目に!」と目で合図した。そんな大人のやりとりには気を取られず譲は驚きの声をあげた。
「え、信念って一個じゃないんだ。」
「うん?そうだ一つとは限らない。人によって違うんじゃないかな?パパなんか山ほど持ってるぞ。」
結局ふざけてしまった和也に智美が口を膨らませた。それを見て歯をむいて『イー』っとしている和也に譲は賞賛の声をあげた。
「パパすごーい。『信念』山ほどもってるの?かっこいい」
見ていただけの智美があわてて訂正に入った。
「ユズ、いっぱいもってればいいってものじゃないと思うわよ。パパはね、お仕事とかいろいろあってそれで山ほどって言ったけど、本当の『信念』はそんなにないわよ、そうよねパパ?」
確かに「信念を100個はもってる」なんて自慢する人に誰が育てたいものだろうかと思い和也も反省して返事をした。
「そうそう、本当の信念はそんなにないぞ。信念っていうと堅苦しいけど、パパの信念というかモットーは『楽しく』だな。だから家族を楽しく守る。あれ?そうじゃなくて、家族みんなが楽しくいられるように守るのがパパの務めさ」
「モットー?つとめ?」
譲は「わからないよ」と説明を催促した。和也は「そうだな」と言ってパンをかじりながら続けた。
「パパの信念は「楽しく」ってのは分かったろ?パパの好きな譲やママが困ってたら?どうだ、きっと楽しくないだろ?そうなんない様に家族を守るのもパパの信念ってことだよ。」
「なんとなく分かった。でも信念って難しいね。」
「そう難しい言葉だな、でも、『信念』は譲がなにかでどうしたらいいか悩んだその時、どうしたらいいか教えてくれる大事なものなんだぞ。そして多分 はっきりとしなくてもユズはもう持ってるんじゃないかな?」
「えっ本当?」
和也の言葉を聞き譲は驚きの声をあげた。そして
「僕の信念って何?教えて!」
と好奇に満ちたまなざしを和也に向けた。和也が助けを求めるように智美を見ると、智美まで「どう説明するのかしら?」という期待のまなざしを和也に 送っていた。和也は「それは…」と言いかけて
「パパは仕事に行くから、続きはママに聞くといいよ」
そういいリングサイドにいるパートナーにタッチをするプロレスラーのように智美の肩を叩き席を立った。
「いってきまーす。」
和也の背中から智美の「だからその、ユズを作るというか、ユズらしい判断・・・」と苦しそうな説明が聞こえてくる。和也は最近の譲はなんだか変わったそう思いながらも頭を仕事もモードに切り替えていく。ズボンのポケットから車のキーを取り出すと
「『楽しく』か。」
和也はそうつぶやきながら車へ乗り込んだ。
職場に着くと今日も山田がパソコン向かいながら「おはようございます」と和也を迎えた。すでに昨日の内に、部下達に社長の息子が今日からこの課にくる旨を伝えてあったが、もう一度その説明をしようと和也が腰をあげると、山田の方も用事があるようで腰をあげた。ちょうどデスクとデスクの間で二人は止まり、和也が口を開く前に山田が先にプリントアウトしたどこかのネットの記事を差し出した。
「たしか、ドミノって砂原さんの元バンド仲間がボーカルでしたよね?」
ネットの記事は人気ロックバンド「ドミノ」の突然の解散について書かれていた。解散はメンバーの不仲が原因と大きく書かれている。ドミノのボーカルと和也は中学以来の旧友であり、元バンド仲間であった。森の強すぎるメジャー思考にその当時のバンド仲間、もちろん和也も含め皆、ついていけず分かれたのが6年前のことだ。それからすぐにドミノが結成された。過激な演出で急激に売れたが、話題作りのようにメンバーの入れ替えが行なわれて、その為に音楽も統一性がなくロックといえなくなっていた。最近になり活動も音楽ではなく芸能活動のほうが活発になってきていた。「やっぱり」和也はそう呟いた。売れることだけを求めた歪が必ずどこかに現れるそう和也は思っていたからだ。
「それにしても良く、森が元メンバーだって知ってたな?」
和也はそのことにも驚いて尋ねた。山田は少し得意そうに
「だから初めに会ったときに昔から聞いてましたよっていったじゃないですか?」
たしかに山田は何度か和也のライブを見に来てくれていたし、会社で初めて会った時そう言われたがまさかそんな昔から聞いていてくれているとは思っていなかった。社交事例の挨拶と和也は受け取っていた。和也は森が抜けたあとのメンバーとそのままバンドを続けていたがそれ以前から山田はライブに来てくれていたことになる。
「本当に知ってたのね?山ちゃん本当にうちのバンドの熱烈ファンだったんだ。サインいる?」
和也は照れ隠しに冗談で言うと山田はあっさりと言った。
「どちらかと言うと森樹のサインの方が今は価値がありますね。」
「ごもっとも」そう思い和也は自分の席についた。山田にもらったドミノの記事を読み返してみる。やはり和也の心配したとおり樹は孤立していると記事にもかかれている。売れるために最短距離を駆け抜けた樹は、メジャーになれた今初め自分のやりたいことについて考えたのだろう、そしてあの時の自分達が感じた違和感を樹も感じとったのだろうか?そう和也は考えた。「あいつは音楽しかなかったからな」そっと呟いた。
和也の頭が仕事から離れ樹の事を考えていると、いつの間にかに始業の時間数分前になり、ふっと気付くと和也の横に社長の息子の直己が立っていた。
「お、おはようございます。」
直己に気付いた和也は慌てて手に持っていた記事を握りつぶし、その場で背筋を伸ばし立ちあがった。「しまった、いきなり敬語がでた」社長の息子としてではなくあくまで部下として直己を扱おうと決めていた和也だが反射的に敬語で挨拶をしてしまったのだった。
「いや、そうじゃなくて、おはよう、直己さん。ちょっと私用のこと考えてたもんでごめんな。今日は早いね。」
取り繕いもろくに出来ない。和也は「最初が肝心」がたしか社長の格言だったことを何気なく考えた。
「いえ、すでに始業時間ですし。」
直己が言い終わると共に始業のチャイムが鳴った。
「…そうだな。とりあえずここに座ってくれ、皆に紹介したいから。」
和也がとりあえずそう言うとデスクの電話が鳴った。相手は課長の吉田だった。
「砂原君かね、今日は十二指腸がその痛くてな、すまんが頼むよ。」
日に日に吉田の電話が短くなっている。和也は直己のことを課長に話そうか考えたが止める事にした、吉田の欠勤が増えそうだと思ったからだ。和也は電話を切ると一呼吸置いて
「今のが、ここの課長の吉田さんだよ。」
と直己にいたずらっぽく説明した。「変に気を回さず普通に行こう、楽しく」和也は自分に言い聞かせた。
「はい?」
直己は和也の思惑通りに呆気にとられた顔をしている。「楽しくなってきた」和也は思った。それから和也は大げさに左手を目の前にだし、腕時計を直己に見せながら言った。
「耳をすまして、そろそろ、そろそろだ。」
和也は直己の顔を見ながら「口数の少ないタイプだが明らかに驚いてるな」そう考えていると、どたばたと大きな靴音と共に橘がやってきた。
「砂原さん、やっぱり5分遅らせるのが限界でした。」
息を切らせながらうれしそうにそう報告する橘に和也は拳骨を落とし、「さあ」と直己の前に立って言った。
「さあ、みんな聞いてくれ、昨日話したとおり、今日から同じ課になった蛭子直己さんだ、よろしくな。で、今来た遅刻男がこの課一の若手の橘。主にハード部門の担当だ。」
「よろしくっす、直己さん」
橘はさわやかに挨拶をした。急な展開に戸惑っている様子の直己も軽く会釈をしている。直己は特に自分は社長の息子だと鼻にかけるタイプではないらしい。
「その横にいるのがこの課一、いやこの会社一のサイバー通の山田さん。単なるパソコンお宅と思ってると痛い目みるぞ、担当はもちろんソフト面担当だ。」
「よろしくっす、直己さん」
山田はパソコンの画面から顔を上げずに橘の真似をしながら答えた。和也は内心みなの対応を心配していたが、驚くほど普通の対応であった。始めに舞い上がった自分が恥ずかしいくらいだ。その対応に安心した和也は今日1日、橘の仕事に直己をつけることにした。そして明日は山田の仕事のフォローにつけるつもりだ、こちらからとやかくいろいろ詮索するのではなく、とりあえずこちらを知ってもらおう、そう和也は考えていた。
「直己さん、今日の昼飯一緒に食いません?今朝駅前通ったら、巧みの麺屋「花」、今日はやるみたいで準備中だったんですよ!」
さっそく橘が直己に話しかけている。いきなりの提案に首をかしげる直己に山田が横からネットの記事を印字した紙を差し出しながら付け足した。
「駅前の巧み麺屋「花」は知る人ぞ知る、ラーメンの名店。ただ一般に知られない理由があって、その一つに店主の気まぐれ営業日なんだ。ひどい時は月に一回の営業しかしない時もあるのさ。だからこの遅刻男の橘君が騒いでるのよ」
山田の手渡した「巧み麺屋の秘密」と書かれた記事を手に持ち「はあ」っと直己は立ち尽くしている。少しは仕事の話題もだしてほしいところではあるが和也の思惑どおり皆も動いてくれるようだ。
予想外に特に問題なく1日は過ぎた。いつも以上にリラックスしている山田や橘に直己は「はあ」としか言っていなかったが初日はこんなもんだろう、和也はそう思った。直己達が帰った後、和也が最後に荷物をまとめ帰宅しようとすると、設計課の長島がキョロキョロとしながら寄ってきた。
「どうだった?社長の息子はさ!」
生贄がまだ無事かどうか確認に来たのだ。
「どうって?普通さ」
和也は少々昨日のことを根にもっていたのであっさりと答えた。
「頼むよ、砂原の手腕に俺らの未来がかかってるんだからさ」
また無責任な長島の言葉に和也は少し頭にきて答えた。
「どうしようもないさ、特に普通に部下として接するだけさ。」
そう言い荷物を手にして部屋を後にした。そう、特別にすることなどなにもない。そう考えた時ふっと和也の頭に疑問が浮かんだ。「本当に社長は直己に設計の基本から作り直させるつもりなんだろうか?」普通に考えればありえないことだ。設計の仕方が変われば極端な話、製造工程もかわる、そんな大掛かりな計画をあのやり手の社長がただ単に自分の息子だからとか、大企業のやり方だとか自分の見聞きしたこと以外を判断材料でするだろうか?
「あの狸親父め!」
和也はつぶやき車のキーをあけ車内に乗り込んだ。和也は「なにか裏がある、俺は使われてる」そう思うのだが一体何が目的なのかまるでつかめない。
「普通にするほかないのか?」
と和也はつぶやきエンジンをかけた。おそらく社長の蛭子は和也の行動を読んであの会議をひらいたのであろう、そうでなければあのワンマン社長のことだ和也の言った同職種につくことを妨げている誓約書について直己の会社にすぐにでも確認しているはずだ。しかし、今日の直己の様子からそれはされてないようだ。和也は何度も考えをめぐらせるが自分が社長に良いように踊らされていることしか分からなかった。
「楽しくなってきた。」
半ばやけくそのように言い放ち、車を走らせるとすぐに和也の携帯がなった。出鼻をくじかれさすがにいらいらとしてきた和也だったが着信表示の名前を読んですぐにそのいらつきを忘れた。着信は森樹からだった。和也はしばらくレットツェペリンの着信音を聞いていたが、車を止めて電話にでた。
「よう、売れっ子どうした?」
和也は軽い挨拶がわりの言葉のつもりだったが、言ったあとにドミノの解散の記事を思い出ししまったと思った。しかし樹は気にせず
「おいおい、その売れっ子がわざわざ田舎のロッカーを訪ねて来てやったのに随分な挨拶じゃない?」
と軽く返した。和也はドミノの解散のことが頭を回り、何をどう聞いていいのかわからず次の言葉が出てこなかった。
数秒の沈黙があったあと樹がゆっくりとした口調で言った。
「どうだ?今の仕事で満足してるか?もう一度だけ、もう1度だけ誘う、俺と一緒に音楽をやらないか?」
「…」
和也は頭の中で樹の言葉を繰り返した。「もう一度音楽をやらないか?」またバンドを組みたいという意味だろう。今や日本で知らぬ者がないほど有名な森樹から無名のロックマンへの言葉だ。それはすなわちメジャーデビューを意味している。
「…」
突然の誘いに和也は返事が出来なかった。いや本当は樹と分かれてずっとからこんな日を夢見ていたのだが、実際にその誘いを前にすると動けなかった。再び沈黙を破るため樹が口を開いた。
「いや、うそだ。・・・。誘うのは一回じゃない。何度でも誘うぞ、まあいい、今週末そっちにいくから時間作れよ」
「週末はカサノバで定期ライブだ。」
和也がそう言うと
「ちょうどいい」
樹はそういうと一方的に電話を切った。
和也が家に帰ると智美が心配してすぐに言葉をかけてくれた。
「どうだった?」
もちろん会社での事を聞いているのだが、和也は樹との会話の方が頭に残り一瞬回答に戸惑ったが、すぐに智美の意図していることがわかり
「特になにもなかったよ」
と答えた。和也は樹とのことを智美にはまだ話したくなかった。自分の気持ちすらはっきりと決めていないからだ。
「… そう、よかったね、心配してたんだから。」
智美はそう言うと食卓に3人分の夕食を並べ始めた。
「あれ?今日は譲起きているのか?」
「まだ7時よ、なにをいってるの。譲は今トイレに行ってるだけよ」
昨日譲に先に寝られたのがショックで今日は残業を切り上げて帰ってきたのだが樹の電話でそれすらも忘れている自分に和也は苦笑した。
1日ぶりの家族3人での食事をして、譲が寝た後、風呂上りにリビングでテレビを見ている和也の前に缶ビールが2本、どんっと置かれた。和也の記憶では今日は智美からの提案で休肝日のはずだが、そう思い横に座った智美に目を向けた。
「それで、なにがあったの?」
智美は私の目は節穴じゃないわよと言わんばかりに、自信にあふれた顔で聞いた。はじめから和也のちょっとした異変に気付いていたのだろう。和也は「まずいな」そう思った。結婚する前から智美に嘘がばれなかったことがないからだ、和也は智美の勘に脅威すら覚えている。
「いや、本当に。社長の息子も意外といい奴みたいだし」
「じゃあ、会社以外でなにかあったの?」
智美は本当に勘がするどいっと再確認し和也は観念して話し始めた。智美は樹が和也の旧友というのは知っていたので、ドミノの解散から話しをはじめ、今日の電話のことまで素直に全てを話した。和也はきっと、どうするつもりなのか?問い詰められるのだろうと思ったが話しを聞き終えた智美の問いはそうではなかった。
「森さんと和也はそのどういう仲だったの?」
和也が智美と出会ったのは樹と別かれた後であり、智美は樹のことを知らなかった。和也もあまり樹のことを人に話すのが苦手であまり自分からは樹のことを話題にしなかった。それは和也が樹を侮辱したくもなかったし、自慢したくもなく、どう話してよいか分からなかったからだ。今まで智美が樹のことを和也に聞かなかったのは、その持ち前の勘で和也のそういった気持ちを読んでいたからあえて聞かなかったのかもしれない、ふと和也はそう思った。しかし、今日の智美には話さないわけにはいかない、そう覚悟をし和也は話し始めた。




