EP 9
その命だけは、金で買えなかった
「リョウ! 聞こえるか、リョウ!」
返事はない。だが、まだ胸は動いていた。
優太は膝をつき、三秒で全身を走査した。
背中の右側、肩甲骨の下。折れた単管パイプが斜めに刺さっている。深さは不明。呼吸は速く、浅い。唇は紫。首の血管が異様に浮き上がっている。
右胸に耳を近づける。
――呼吸音、消失。
「緊張性血気胸だ」
「な、なに? それ何なの!」
駆けつけたキャルルが叫んだ。
「肺に穴が開いて、胸の中に空気と血が溜まってる。溜まった圧力が心臓を押し潰しにかかってる。……このままだと五分で心臓が止まる」
「じゃあ回復を――」
「まだだ」
優太は即答した。
「異物が刺さったままだ。何が起きる」
キャルルの兎耳が、びくりと止まった。
「……内側から、腐る」
「そうだ。あんたの力は最後だ。俺が呼ぶまで、絶対に撃つな」
優太は自分のポーチから太い針を抜いた。鎖骨の下、第二肋間。指で位置を確認し、迷いなく刺し込む。
ぷしゅうううう、と圧が抜ける音。
リョウの唇に、わずかに赤みが戻った。
「一時しのぎだ。次だ」
優太はホログラムパネルを叩き開いた。
「シリコンチューブ、内径八ミリ、二メートル。広口ガラス瓶三本。ゴム栓。逆止弁。生理食塩水二十リットル」
ポンッ、ポンッ、ポンッ。
地面に転がり出た資材を、優太は三分で組み上げた。瓶を三つ並べ、チューブでつなぎ、水の高さで一方向の弁を作る。
「三本瓶式胸腔ドレナージ。電気がなくても、胸に溜まった血と空気を抜き続けられる」
「ホームセンターの部品じゃない、これ」
「ホームセンターの部品だ。地球じゃ、災害時にこれで人が助かってる」
瓶の中で、ごぼり、と赤黒い液体が泡を立て始めた。
* * *
三十分後、リョウは診療所の寝台にいた。
呼吸は安定した。顔色も戻った。だが優太の表情は、一切緩んでいなかった。
「……優太。もう大丈夫なんじゃないの?」
「駄目だ」
優太はドレーン瓶を指した。
赤い液面が、じりじりと上昇している。
「血が止まってない。パイプが太い血管を塞いだ状態で刺さってる。つまり――今は栓になってる」
「栓?」
「抜いた瞬間に、噴く」
部屋の空気が凍りついた。
「抜かなきゃ治せない。抜けば死ぬ。この二つを同時に解決する方法は、地球じゃ一つしかない」
優太は指を三本立てた。
「一つ、胸を開いて、直接血管を掴んで縛る。二つ、その間に失う血を、外から入れ続ける。三つ、その激痛でショック死しないよう眠らせる」
「……できるの?」
「腕はある」
優太はパネルを開いた。
「道具を買う。十万ポイントあれば足りる」
検索窓に指を走らせる。
――『輸血用血液製剤』
【該当商品は一般販売されていません】
――『全身麻酔器』
【該当商品は一般販売されていません】
――『電動吸引器(医療用)』
【該当商品は一般販売されていません】
――『プロポフォール』
【該当商品は一般販売されていません】
優太の指が、止まった。
「……そうか」
「ど、どうしたの?」
「このスキルは、地球の店で売ってるものしか買えない」
優太は掌で顔を覆った。
「唐辛子は買える。有刺鉄線も買える。花火も買える。……だが医療用の血液も、麻酔薬も、吸引器も、地球じゃ一般人には売ってないんだ。医者にしか回らない。当たり前だ、そういう仕組みなんだ」
十万ポイント。村一つを救った代償。
それが今、一円の価値も持たなかった。
「金で買えないものが、地球にもあった」
優太は寝台のリョウを見た。
まだ少年の顔をした若者が、浅く呼吸をしている。
二週間ぶりに腕が上がったと、あんなに笑った男が。
「……どうすんのよ! ねえ優太! 何とかしなさいよ、あなた医者でしょ!?」
キャルルが優太の胸倉を掴んだ。兎の耳が震えている。
「私、待ったのよ! あなたが呼ぶまで撃つなって言うから、ずっと待ってたの! 弟みたいな子が死にかけてるのに、両手を膝の上に置いてずっと待ってたのよ!」
「……」
「呼びなさいよ! 呼んでよ!!」
* * *
「――あのぉ。ちょっといい?」
部屋の隅から、遠慮がちな声がした。
芋ジャージの女神が、恐る恐る手を挙げていた。
「ガチャは?」
全員が振り返った。
「……なんだって?」
「あるのよ、ガチャ。私が管理者権限で作った隠し機能。一回百ポイント。お店で売ってないものが出る」
「なんで今まで黙ってた」
「だって外れがひどいんだもん! 十回に九回はポケットティッシュだし!」
優太はルチアナの肩を掴んだ。
「十万ある。千回だ。回すぞ」
「え、ちょ、待って優太、確率が――」
「回せ」
* * *
ポンッ。ポンッ。ポンッ。ポンッ。
診療所の床に、物が積み上がっていく。
ポケットティッシュ。ポケットティッシュ。使い捨てカイロ。ポケットティッシュ。缶コーヒー。ボールペン。ポケットティッシュ。謎のゆるキャラのキーホルダー。
「うわああああ出ない! 出ないってばぁ!」
「三百連。まだだ」
ポンッ。ポンッ。ポンッ。
景品のうちわ。栄養ドリンク。ポケットティッシュ。ポケットティッシュ。ポケットティッシュ。
「六百連」
「もうティッシュで生活できるわよこの村!」
「八百連」
ポンッ。ポンッ。ポンッ。
九百連。九百五十連。九百八十連。
積み上がった外れの山を前に、ルチアナが泣きそうな顔で優太を見た。
「……あと、二十回分しかない」
沈黙が落ちた。
その時。
「あ、あの……っ!」
入口の前で、青い髪の魚人が、大鍋のおたまを握りしめたまま立っていた。
リーザだった。炊き出しの前掛けを着けたまま、震えている。
「わ、私が引きます」
「リーザ。あんた――」
キャルルが言いかけて、口をつぐんだ。
リーザ。魚人族。ユニークスキル【貧乏神】。金運が世界で最も悪い少女。
パンの耳と茹で卵で生きてきた娘だ。
「……悪いが、お前が引くのは一番まずい」
優太は正直に言った。
「分かってます」
リーザは笑った。今まで見たことのない、静かな笑い方だった。
「私、生まれてから一回も、くじで当たったことないんです。福引きも、宝くじも、ガチャも」
「なら――」
「でも」
彼女は前掛けをぎゅっと握った。
「私、自分のために引いたことしかないんです」
部屋が、静まった。
「優太様は、私の鍋がこの村の回復力だって言ってくれました。あんな風に言われたの、生まれて初めてでした。……だから今日は、私のためじゃなく引かせてください」
優太はしばらく彼女を見つめ、そして道を空けた。
「頼む」
「はいっ」
リーザが、光る球体に手をかざした。
ポンッ。ポケットティッシュ。
ポンッ。ポケットティッシュ。
ポンッ。使い捨てカイロ。
十七回。十八回。十九回。
――最後の一回。
リーザは目を閉じ、大きく息を吸った。
「リョウさんに、おかわりを食べてもらいたいです」
手を、振り下ろした。
* * *
球体が、砕けなかった。
代わりに、部屋そのものが黄金色に灼けた。
診療所の壁が、天井が、全員の顔が、光の中に溶ける。ホログラムのパネルが激しく明滅し、そして一行だけを表示した。
【――SSR】
【《MEDEVAC野戦外科ユニット》を獲得しました】
【簡易滅菌テント/携行型輸血装置/人工全血二十単位/電動吸引器/携行麻酔器/外科器具一式/自家発電ユニット】
【備考:民間流通なし。軍用。】
光が収まった時、診療所の床には、灰色の頑丈なケースが五つ並んでいた。
誰も、しばらく声を出せなかった。
「……あ、あれ? 出ちゃった……?」
リーザがきょとんとして、自分の手を見た。
「私、当たったんですか? 初めて……当たったんですか?」
優太は、そのケースの一つに手をかけた。留め具を弾く。中身を確認する。
そして、立ち上がった。
声が、震えていた。
「――キャルル」
「な、なによ」
「呼ぶまで待てって言ったな」
優太は上着を脱ぎ捨て、袖をまくった。
「今から呼ぶ。手を洗え。ネギオも来い、あんたには器械出しをやってもらう。ルナ、テントの周りに人を近づけるな。ルチアナ、明かりを頼む」
全員の背筋が、同時に伸びた。
「リーザ」
「はいっ!」
「終わったら、あいつに死ぬほど食わせてやってくれ」
優太はワスプ薙刀を壁に立てかけ、代わりに手術用のメスを握った。
「――手術を始める」
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