EP 8
その槍は、突くな。置いておけ
『――全員、聞け』
拡声器越しの声が、土塁の上を渡っていった。
『今から俺が言うことを、一つだけ覚えろ。槍を突くな』
三列に並んだ二十四人の手が、震えている。前列の若者は、穂先が上下に揺れるほどだ。
『突けば、必ず外れる。外れれば、懐に入られる。だから突くな。穂先を前に置いて、石突きを地面に刺して、足で踏め。それだけでいい』
「そ、それだけでいいのか、先生!」
前列の中央。まだ少年の面影が残る若者――リョウが、上ずった声で叫んだ。二週間ぶりに腕が上がるようになった、あの若者だ。
『それだけだ。奴らは自分の体重で走ってくる。お前らが構えて動かなければ、勝手に刺さる』
「勝手に……刺さる……」
『そうだ。お前らの仕事は殺すことじゃない。動かないことだ』
どすん。どすん。どすん。
地響きが近づいてくる。
『第二線。石灰を持て。俺が合図するまで投げるな』
* * *
『ブゥゥゥオオオオオオオオオッ!!』
オークの群れが、朝靄を裂いて突っ込んできた。
街道は、幅四メートルに絞られている。三十一匹が横並びで来ることはできない。彼らは自然と縦に潰れ、押し合いながら流し込まれていく。
それが、優太の作った漏斗だった。
『第二線、投げろ! 風は追い風だ! 顔だけ狙え!』
白い粉塵が、十二の袋から同時に噴き上がった。
消石灰。そこに二十キロの業務用トウガラシ粉が混ざり、風に乗って群れの正面へ叩きつけられる。
『ブォッ!? ブギィィィィッ!!』
効果は劇的だった。
鼻がいい種族ほど、粉塵は致命的になる。先頭の五匹が同時に顔を掻きむしり、方向を見失って蛇行した。
そして、蛇行した先には――
ずぼっ!
街道の両脇に掘られた、深さ一メートルの溝。
『ギャアアッ! ギャッ! ギャッ!』
底に敷かれた有刺鉄線に、四肢が絡む。もがけばもがくほど締まる。刺さっても死なないから、暴れる。暴れるから、後続がそれに躓く。
優太は冷静にそれを見ていた。
――殺すな。詰まらせろ。
『いいぞ。予定通りだ。第一線、まだ動くな。動くな!』
* * *
突破してきた第一波が、土塁に達した。
ガキィッ、と鈍い音。
オークの巨体が、固定された槍衾に自分から突っ込んだ。穂先が胸に沈む。若者たちは何もしていない。ただ、動かなかっただけだ。
「刺さっ……刺さった! 先生、刺さったぞ!」
『喜ぶな! 抜くな! そのまま押さえろ! 隣と肩を組め!』
二匹目。三匹目。同じことが起きた。
列は、崩れなかった。
『ピロリン♪ +800 GP』
『ピロリン♪ +800 GP』
通知の音が、優太の視界の隅で連打されている。うるさい。今は要らない。
――だが、ここからだ。
「優太! 上位種が二匹、南へ回り込んだわ!」
土塁の後ろから、キャルルが叫んだ。
見れば、群れの中から一回り大きい個体が二匹、列を嫌って湿地側へ逸れていく。頭がいい。
『ルナ!』
森の縁で、金の髪が揺れた。
弦が鳴る音は、聞こえなかった。
ただ、二匹の上位種の膝の裏に、ほぼ同時に矢が生えていた。
「あらあら。危ないところに行ってはだめよ」
膝を落とした個体の背後で、地面が爆ぜた。
蔦と樹皮の塊が、湿地の泥を撒き散らしながら跳ね上がる。
「――出直してこい、豚が」
ネギオのネギカリバーが、上位種の側頭部を真横から刈り取った。
パァァァンッ! という、あまりにも軽い破裂音。
二匹目が振り向いた時には、樹人はもう懐にいた。
『ネギオ、退路の封鎖は?』
「済んでおる。逃げた三匹は森に入った瞬間、木に絞め殺された」
『さすがだ』
「世界樹の森を舐めるな」
* * *
戦況は、傾いていた。
三十一匹のうち、二十を超える個体が溝と槍衾に潰されている。村人は一人も死んでいない。
いける。優太がそう判断しかけた、その瞬間だった。
どすん。
地面が、揺れた。
どすん。どすん。
群れの後方。積み重なった同族の死体を、平然と踏み潰しながら歩いてくる影があった。
体高三メートル超。腹には錆びた鉄板を巻き、肩から提げた太い鎖が朝日に光る。
頭目。
『――全員、下がれ! 槍を捨てて下がれ!』
優太の判断は速かった。だが、それでも遅かった。
頭目が、鎖を振り回した。
ゴォッ!!
土塁が、抉れた。
固定されていた槍衾が、根こそぎ吹き飛ばされる。若者たちが宙を舞い、地面に叩きつけられた。
「ぐあっ!」「あ、足が――!」
『第一線、後退! リーザの鍋まで走れ! 走れェ!』
優太は土塁を蹴って、前に出た。
* * *
「――ここからは、俺の仕事だ」
ワスプ薙刀を、右手一本で構える。
頭目が、優太を見下ろした。ぎょろりとした眼球が、数少ない「立っている敵」を捉える。
『ブゥゥオオオッ!!』
鎖が来る。
優太は避けなかった。避けられる速度ではない。
――半歩、内側へ。
鎖の軌道の内側、頭目の懐へ滑り込む。武器が長い相手には、遠くも近くもなく、軌道の内側が最も安全だ。ハワイの教官が地面に転がしながら教えてくれたことだった。
薙刀の柄で、膝の外側を打つ。効かない。皮が厚すぎる。
『ブォッ!』
巨大な掌が振り下ろされた。優太は地面を転がって回避し、そのまま距離を取る。
――駄目だ。単独では削り切れない。
「第二線! まだ石灰は残ってるか!」
「あ、ありますっ!」
「あの巨体の顔にありったけ叩き込め! 当たらなくていい! 目の前で割れればいい!」
白い袋が、五つ、六つと飛んだ。
頭目の顔面で粉塵が破裂する。
『ブギィッ!!』
巨体が仰け反った、その一瞬。
「ネギオッ!」
「――承知ッ!」
地面から蔦が噴き上がり、頭目の両足首に絡みついた。世界樹のポーンが、樹木そのものに命じている。
三メートルの巨体が、たたらを踏んだ。前のめりに、体重が泳ぐ。
優太の目が、その瞬間を捉えた。
鉄板は腹だけ。首は無防備。
「――そこだ」
地を蹴った。
無双薙刀流。八つの流派を継ぎ接ぎした、名前だけは大層な我流。
その全体重と回転を、一点に集約する。
ずぶり、と。
刃が、頭目の首の付け根に沈んだ。
だが、まだ足りない。この巨体には浅すぎる。
優太は柄を握り直し、親指をトリガーにかけた。
「――ワスプ」
カチリ。
『ボンッ!!!』
圧縮された風魔力が、刃先から体内へ直接撃ち込まれた。
頭目の胴体が、内側から膨れ上がる。
次の瞬間、背中側の皮膚が破裂し、血飛沫と共に鉄板が弾け飛んだ。
『ブ……ゴ……ォ……』
巨体が、ゆっくりと前に倒れた。
地面が、最後にもう一度だけ揺れた。
* * *
静寂。
そして。
「う……うおおおおおおおおおおおッ!!!」
村人たちの絶叫が、朝の空気を割った。
「勝った! 勝ったぞ! 一人も死んでねぇ!」
「先生ェェェ!!」
『ピロリン♪』
【善行判定:村落一つの壊滅を、未然に防止しました】
【獲得:+100,000 GP】
優太は薙刀を杖にして、荒い息をついた。
肩の傷が開いている。指が震えている。それでも――全員生きている。それだけで、上出来だった。
「……ルチアナ。負傷者の数は」
「え、えっと、十四人! でも歩けない人はいないみたい! すごいよ優太、本当に誰も――」
ルチアナの声が、途中で止まった。
優太は振り返った。
吹き飛ばされた土塁の残骸。その瓦礫の下。
人が、うつ伏せに倒れていた。
背中に、折れた単管パイプが一本、深々と刺さっている。
優太は走った。
仰向けにする。頬の泥を拭う。
まだ少年の面影が残る、その顔。
二週間ぶりに腕が上がるようになったと、あんなに嬉しそうに笑った――
「――リョウ!!」
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