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『治癒魔法で見捨てられた者を、俺は地球の医療で救う ~善行ポイントで何でも召喚できる医学生の辺境村ライフ~』  作者: 月神世一


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10/14

EP 10

 俺が、この村の医者になる

 診療所の中央に、簡易滅菌テントが立ち上がった。

 自家発電ユニットが唸り、無影灯が寝台を白く照らし出す。異世界の板張りの床に、突然、地球の手術室が出現していた。

「ネギオ。器械出しをやってもらう」

「聞き慣れん言葉だな」

「俺が名前を言ったら、その器具を俺の掌に叩きつけるように渡せ。俺は手元を見ない。見る余裕がないからだ」

 樹人は数秒、並べられた鋼の器具を眺めた。

「……なるほど。給仕と同じだ」

「そうだ。ドンピシャで同じだ」

「ならば任せろ。執事検定一級だ」

「今日ほどその資格に感謝した日はない」

   * * *

「麻酔、導入する」

 携行麻酔器のマスクを当てる。リョウの浅い呼吸が、機械のリズムに乗り、深く整っていく。

「輸血ライン、確保。人工全血、二十単位。……足りるかどうかは、抜いてみないと分からん」

「優太、明かりの角度これでいい?」

「もう十度上げろ。ルチアナ、影を作るな」

「はいっ!」

 女神は、この夜、一度もふざけなかった。

「キャルル」

「……ここにいるわ」

 彼女はテントの外、一歩の距離に立っていた。両手を膝の上で握りしめて。

「あんたの出番は必ず来る。だが俺が呼ぶまでは絶対に撃つな。今の状態で肉を生やされたら、俺が血管を掴めなくなる」

「……分かってる。今度こそ、待つわ」

 優太はマスクを上げ、手袋の指を鳴らした。

「――執刀開始。メス」

 パチンッ。

 樹人の枝先から、寸分の狂いもなく柄が掌に収まった。

   * * *

 胸壁を開く。肋骨の間に開胸器を差し込み、じりじりと広げる。

 血の海だった。

「吸引。……もっと吸え、視野がない」

 電動吸引器が唸り、赤い液体が透明なタンクへ吸い上げられていく。ミリ単位で視界が生まれる。

 その底に、優太は目的のものを見つけた。

 単管パイプの先端。それが肋間動脈を押し潰し、栓のように塞いでいる。

「……予想通りだ。抜けば噴く」

 優太は左手に鉗子を構えた。

「ネギオ。俺が『抜け』と言ったら、パイプを真っ直ぐ引き抜け。捻るな。斜めにするな。真っ直ぐだ」

「承知」

「三、二、一――抜け」

 ずるっ。

 次の瞬間、噴水が上がった。

 視界が真紅に染まる。優太は瞬きすらしなかった。血しぶきの向こう、噴出点の一点だけを見ていた。

 左手が沈む。鉗子の先が、迷いなく閉じた。

 カチッ。

 噴水が、止まった。

「……よし」

「ゆ、優太様、血圧が――!」

 ルチアナがモニターを読み上げる。

「全開で入れろ! 八単位、一気にだ!」

「はいっ!」

 優太は右手を差し出した。

「持針器。三ゼロ、糸」

 パチンッ。

   * * *

 結紮。二重。三重。

 外科医の指が、血の海の底で踊っていた。異世界に来て十日目の、二十五歳の医学生の指が。

「……止まった」

 優太は詰めていた息を吐いた。

 だが、まだ終わらない。

 開いた視野の奥。右の肺が、大きく裂けていた。パイプが貫通した経路そのものが、欠損として残っている。

「――これは、縫えないな」

「縫えない?」

「組織が足りない。俺の技術で寄せても、この面積は塞がらない。地球なら肺の一部を切除するが、この子の体力じゃもたない」

 優太は顔を上げた。

 テントの外。ずっと立っていた、兎耳の村長を見た。

「キャルル」

「――ッ」

「異物は抜いた。出血は止めた。感染は洗った。あとは、肉を生やすだけだ」

 優太は、はっきりと言った。

「俺には逆立ちしてもできない。頼む」

 キャルルの目から、大粒の涙が一つ落ちた。

 彼女は乱暴に袖で拭い、テントに踏み込むと、掌を裂けた肺の上にかざした。

「月よ――」

 銀の光が、開いた胸腔を満たした。

 裂けた肺胞が、寄り、繋がり、桃色の組織が生まれていく。

 ――弾かれなかった。一度も。

「いける……いけるわ、優太! すごい、こんなに素直に通るなんて初めて――」

 そこまで言って、キャルルの膝が折れた。

「キャルル!」

「だい、じょうぶ……最後まで、やる……」

 彼女は歯を食いしばり、光を注ぎ続けた。

 村の全員が昨夜、腹いっぱいに食べていた。彼女自身も、焼き鳥とメロンクリームソーダで満たされていた。あの馬鹿げた宴会の一晩が、この一瞬のために存在していたかのように。

 やがて、光が静かに消えた。

 優太は覗き込み、そして頷いた。

「……完璧だ。閉じるぞ」

   * * *

 最後の一針を結んだのは、夜明け前だった。

 優太は手袋を外し、その場に尻餅をついた。腕が上がらない。

 寝台の上で、リョウの胸が――深く、規則正しく上下していた。

『ピロリン♪』

『ピロリロリロリロリロォォォォォォンッ!!!!』

【善行判定:現存する医療技術では救命不可能な生命を、救済しました】

【難易度補正:SS】

【獲得:+50,000 GP】

【称号を獲得しました:《命を繋ぐ者》】

 優太はその文字をぼんやりと眺め、そして小さく笑った。

「……ようやく、十日で一人前か」

   * * *

 リョウが目を覚ましたのは、その日の昼だった。

「……せん、せい……?」

「動くな。喋るな。まだ胸に管が入ってる」

「おれ……いき、てる……?」

「生きてる。腕も上がるぞ、たぶん」

 リョウの目尻から、涙が一筋こぼれた。

 その瞬間、閉じていた診療所の扉が、外から吹き飛ぶ勢いで開いた。

「リョウーーーッ!!」

「おかわり、持ってきましたぁぁぁ!!」

 リーザが大鍋を抱えて突撃してきた。後ろから村人が数十人、雪崩れ込んでくる。

「馬鹿、走るな! 患者が――ああもう」

 優太は諦めて場所を空けた。

「先生ェ!」「ありがとうございます先生!」「あんた本当に神様だよ!」

「やめろ。神様はあそこで寝てる駄目な奴だ」

 部屋の隅で、芋ジャージが「ぐごー」といびきをかいていた。

   * * *

 三日後。

 優太は、白く濁った目の老婆の前に座っていた。

「婆さん。待たせたな」

「……先生?」

「器具が来た。あんたの目、たぶん治せる」

 老婆の皺だらけの手が、震えながら優太の手を握った。

 その様子を、扉の陰からキャルルが見ていた。

「――ユウタ」

「なんだ」

「あなた、いつか元の世界に帰るのよね」

 優太は少し黙った。

 帰る方法はある。ルチアナがそう言った。「たぶん、そのうち何とかなる」と。あの女神の言葉だから信用ならないが、ゼロではないのだろう。

 だが。

 窓の外では、リョウが自警団の若者に囲まれて笑っている。リーザが鍋を掻き回している。ネギオが村人の腰を長ネギで叩いている。ルナが花を眺めている。

 診療所の前には、今日も列ができている。今日は、隣村から来た人間も混じっていた。

「――キャルル。一つ、頼みがある」

「なによ」

「この診療所、ちゃんとした薬棚を作りたい。それと寝台をあと六つ。器具を煮沸する釜と、井戸をもう一本。金は俺が出す」

 兎の耳が、ぴくりと動いた。

「それって……」

「ポポロ村村長、キャルル・ムーンハート」

 優太は立ち上がり、彼女に向き直った。

「――俺を、この村の医者にしてくれ」

 数秒の沈黙のあと。

 キャルルの顔が、耳の先まで真っ赤に染まった。

「……そ、そんなの! 村長として、断る理由が一つもないでしょ、馬鹿ッ!」

   * * *

 ――同じ頃。

 ポポロ村から遥か西。獣人王国レオンハートの謁見の間で、一人の伝令が跪いていた。

「緩衝地帯のポポロ村にて、オークの群れ三十一体を撃退。死者ゼロ。……そして、当該村に『治癒魔法を用いずに致命傷を治す者』が現れたとの報告です」

 玉座の主が、ゆっくりと身を起こした。

「治癒魔法を、用いずに?」

「はっ。名は中村優太。素性は一切不明。……そしてもう一点」

 伝令は、額を床につけた。

「その村に、三年前に出奔された第三姫殿下が」

   * * *

 ――さらに遠く、東。

 黒い城の最上層で、玉座に沈む影が、報告書の一行に指を止めた。

 そこにはただ、こう記されていた。

 『――ナカムラ・ユウタ』

「……ほう」

 影は、ゆっくりと笑った。

「面白い人間が来たものだ」

   * * *

第一章「ポポロ村の医者」――完

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