EP 4
あんたの回復魔法は、最後に使え
「この村の医療、全部あんた一人で背負ってるのか?」
優太の問いに、キャルルは答えなかった。答えないことが、答えだった。
寝台が四つ。薬棚は空。消毒液もガーゼも器具も、何一つない。あるのは村長の座る木の椅子だけ。
そして扉の外には、二十人以上の列。
「……分かった。始めるぞ」
優太は上着を脱ぎ、袖をまくった。
「え?」
「見てるだけの医者ってのは、この世で一番いらない生き物だ」
* * *
「全員、その場に座れ! 動くな!」
優太の声が、村の朝の空気を切り裂いた。列がざわつく。
「今から一人ずつ回る。だが順番は今並んでる順じゃない。死にそうな奴からだ。文句がある奴は俺に言え」
優太は列の頭から歩き出した。歩きながら、視線だけで拾っていく。
顔色。呼吸。皮膚の色。指先。目の焦点。
――松葉杖の老人。歩けてる。呼吸安定。後回し。
――腕に布を巻いた男。布に黄色い染み。膿。急ぐが致命的じゃない。
――母親に抱かれた子供。
優太の足が止まった。
「その子、いつからだ」
「よ、四日前から下痢が止まらなくて……昨日から目も開けなくて……」
優太は膝をつき、子供の手の甲の皮膚を指で軽くつまみ上げた。離す。
皮膚が、テントのように立ったまま戻らない。
「三番から最優先に変更。この子が一番危ない」
「ちょっと待って!」
キャルルが割り込んできた。掌をかざそうとしている。
「私が回復を――」
「やめろ」
優太はその手首を掴んだ。二日連続だ。
「この子は怪我じゃない。傷はどこにもない。あんたの力は肉を生やす力だろ。生やす場所がないところに使ったって、この子の身体から元手だけ持っていかれる。四日食えてない子から」
キャルルの兎耳が、びくりと固まった。
「……じゃあ、どうしろって言うのよ」
「水だ。この子に足りないのは、水と塩と糖。それだけだ」
優太は立ち上がり、周囲を見回した。
「誰か! 湯冷ましを一リットル、塩を小さじ半分、砂糖を大さじ二杯半持ってこい! 蜂蜜でもいい! 走れ!」
* * *
運ばれてきた水に、優太は塩と蜂蜜を溶かし込んだ。指で撹拌し、自分の舌先で味を見る。涙の味より少し甘い。よし。
「経口補水液だ。地球じゃ、これで年間何十万人の子供が助かってる」
「そんな、砂糖水みたいなもので……」
「腸ってのはな、塩と糖が揃って初めて水を吸うようにできてるんだ。水だけ飲ませても素通りする。この配合には意味がある」
優太は子供の頭を膝に乗せ、小さなスプーンで、一杯ずつ、ゆっくりと口に含ませていく。
「一気に飲ませるな。五分に一杯だ。吐かせたら終わりだぞ」
母親が震える手でスプーンを受け取った。
――五分。十分。二十分。
三十分が過ぎた頃、閉じていた瞼が、ぴくりと動いた。
「……かあ、さん」
「っ、ああああ……! 目を開けた、目を開けたよぉ……!」
母親が泣き崩れ、周囲の村人たちがどよめいた。
『ピロリン♪ +3,000 GP』
「――次! 腕の兄ちゃん、こっち来い!」
* * *
そこからは、流れ作業だった。
膿んだ腕の男。優太は消毒し、ナイフの刃を炎で炙り、切開した。噴き出す膿。洗浄。ドレーンの代わりに清潔な布を詰める。
「……嘘だろ、痛みが引いた」
「膿は出し切らないと絶対に治らない。回復魔法で塞いだら中で腐ってた。今日から毎日ここに来い。布を替える」
次。肩を押さえて呻いている若者。
「二週間前に落ちて、それからずっと上がらねぇんだ……」
優太は肩に触れ、骨の位置を確かめた。肩関節前方脱臼。
「息を吐け。……力を抜け。そう」
ゆっくりと腕を牽引し、外旋。
ゴキュッ。
「――え」
若者は自分の腕を、頭上まで上げた。何度も。何度も。
「あ、上がる……上がるぞ!? 二週間ぶりに上がった!!」
「はい次」
「い、いや待ってくれ先生、今何した!?」
「元の位置に戻しただけだ。次!」
どよめきが、歓声に変わっていく。
次。目の白く濁った老婆。
「……これは俺には無理だ。器具がいる。すまない、待たせる」
優太は嘘をつかなかった。できないことは、できないと言った。
次。次。次。
巻き爪。抜けない棘。あかぎれ。歯の膿瘍。中耳炎。ほとんどが、キャルルが体力を削って治すまでもない――そして、放っておけば確実に人を殺すものだった。
* * *
最後の一人が帰っていったのは、日が傾く頃だった。
『ピロリン♪』
【本日の善行判定累計:+8,700 GP】
優太は椅子に背を預け、天井を仰いだ。腕が鉛のように重い。
その隣で、キャルルが呆然と立ち尽くしていた。
「……ユウタ」
「なんだ」
「あなた、今日、一度も回復魔法を使ってないわ」
「使えねぇよ。俺は魔法が使えない」
「そうじゃなくて」
兎の耳が、ゆっくりと垂れた。
「……私、五年間、この村で回復魔法をかけ続けてきたの。かければ治るから。でもね、治した人が三日後に痩せ細って、また具合が悪くなって戻ってくるの。ずっと不思議だった」
彼女の声が震えていた。
「それって私が、傷を治すために、あの人たちの身体から食べ物を奪ってたってことよね」
優太は少し考えて、静かに言った。
「あんたの魔法は最終手段だ。それだけの話だ」
「最終……手段」
「切って出せるなら切って出す。戻せるなら戻す。水でいけるなら水でいく。それで駄目なとき、初めてあんたが出る。俺の世界の医者は全員そうやってる。いきなり奥の手を使う奴は、下手くそなんだよ」
キャルルはしばらく黙っていた。
やがて、ぽつりと。
「……五年間、私が一番下手くそだったってことね」
「違う」
優太は即答した。
「あんたは五年間、たった一人で千人分を背負ってた。血を吐きながらだ。順番が違っただけで、やってたことは間違ってない。……順番なら、俺が全部教える」
キャルルの兎耳が、ぴん、と真っ直ぐに立った。
その顔が、みるみる赤く染まっていく。
「そ、そう。じゃあ教えてもらうわ。明日から毎日ね。ええ、毎日よ」
「おう」
「……ぐぅ」
「腹減ってんじゃねぇか。飯にするぞ」
* * *
診療所を出た優太の耳に、村の広場のほうから怒号が届いた。
「腰が高い! 穂先がブレておる! そんなことでオークの突進が止められるか!」
パァァァンッ、という小気味いい破裂音。
広場では、村の男たちが木槍を持って整列していた。その中心に立ち、次々と村人の頭を叩いているのは――全身が樹木と蔦でできた、二メートル近い人型の何か。
手に握られているのは、明らかに巨大な長ネギだった。
「なんだ、あれ」
「ネギオよ。自警団の教官。世界樹のポーン」
樹人が、ぎろりと木目の眼をこちらに向けた。
「おい、そこの新顔」
声が、低く響いた。
「カレーとやらは中々のものだったと聞く。診療所の噂も届いた。……だが、この村は三国の緩衝地帯だ」
長ネギの先端が、真っ直ぐ優太に向けられる。
「飯炊きと医者ごっこ以外に、貴様、能はあるのか?」
読んでいただきありがとうございます。
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