EP 5
その日、俺は子供を怒鳴った
三日で、ポポロ村は別の村になった。
「はい整理券ー! 十番までの方こちらへどうぞー! 割り込みは銀貨五枚の罰金ですわー!」
ニャングルは猫耳を立て、算盤を首から下げ、完全に戦闘態勢だった。
「宿泊は南の空き家を改装しましたわ! 一泊銅貨八十! 土産物は『マスター特製・角砂糖』銅貨十!」
「あいつが齧ってるだけの砂糖を売るな」
「売れるもんは売りますねん! 昨日だけで四百個!」
「四百」
優太は行列を見た。先頭から最後尾まで、五百メートルはある。
全員、女だった。
* * *
村の変貌ぶりは、日を追うごとに加速した。
リーザは店の前に屋台を出し、焼き鳥と「マスターを待つ間の軽食セット」を売り捌いていた。
「はいっ、並んでる間にどうぞー! ちなみに私、マスターの一番弟子ですー!」
「嘘つけ。皿洗いすらしてないだろ」
「営業トークです!」
キュララは行列そのものを配信していた。
「はい皆さん、こんキュラ♡ 現在ポポロ村では、ご覧の通り――」
「おい天使。お前、この行列作った張本人だよな」
「責任は取りません。私は記録するだけです♡」
「報道の自由を悪用するな」
ネギオは、蝶ネクタイで完璧な列整理をしていた。
「お客様、恐れ入りますがこちらへ。段差にお気をつけくださいませ」
「あんた、教官の仕事はどうした」
「自警団も並んでおるのでな」
「団員が並んでるのか」
ルナは店の前の花壇に水をやりながら、のんびりと言った。
「賑やかね。ポポロ村がこんなに華やいだの、久しぶりだわ」
そしてルチアナは。
「はいはーい、女神による恋愛成就のお守り、銀貨一枚でーす!」
「詐欺で捕まえるぞ」
* * *
当の本人は、変わらなかった。
鬼龍のマスターのカウンターの向こうで、龍魔呂はいつも通り包丁を握り、いつも通り出汁を引いていた。
「龍魔呂。列、五百メートルだぞ」
「席は七つだ」
「増やせよ」
「増やしたら、味が落ちる」
「……あんた、金に興味なさすぎだろ」
「今日の分が出れば十分だ」
ぼりっ、と角砂糖を噛み砕く音がした。
* * *
そして、優太の診療所も、地獄になった。
当たり前の話だった。
村の人口が三日で三倍に膨れ上がれば、病人も三倍になる。しかも観光客だ。慣れない山道で足首を捻る。慣れない気候で熱を出す。慣れない食い物で腹を壊す。
そこに、ポポロ健保で契約した隣村の患者が上乗せされる。
「先生ー! 足首を捻った人が三人来てますー!」
「順番だ。運べ」
「先生、この子熱が四十度あります!」
「解熱より先に水だ。経口補水液、作り置きの棚から」
「先生、あの、酔って喧嘩したドワーフが……」
「縫うから寝かせておけ」
――何時だ。
優太は窓を見た。外が暗い。
昨日も暗かった気がする。その前も。
* * *
異変が起きたのは、四日目の夜だった。
「――先生。この薬草の量、これで合ってますか?」
助手をしていた村の女が、器を差し出した。
優太はそれを見た。
見て、そして――何も分からなかった。
目に映っているのは緑色の粉だ。それは分かる。だが、それが何グラムで、何に使うもので、自分が数分前に何を指示したのかが、頭の中から綺麗に消えていた。
「……もう一回、言ってくれ」
「え?」
「もう一回」
優太は自分の右手を見た。
指先が、細かく震えていた。
* * *
その直後だった。
「うわあああああん! やだあああ!」
診療所の入口で、五歳ほどの子供が泣き叫んでいた。膝を擦り剥いただけの、なんてことのない怪我だ。
「やだ! 痛いのやだ! かあさん! かあさーん!」
消毒液を持った優太が、その前に膝をついた。
「動くな。消毒するだけだ」
「やだあああ!」
子供が手を振り回し、消毒液の瓶が床に落ちて割れた。
そして――
「うるさい!!」
優太の声が、診療所に響き渡った。
子供が、ぴたりと泣き止んだ。
部屋にいた全員が、動きを止めた。
優太自身が、一番驚いていた。
(……今、俺は)
子供の目に、みるみる涙が溜まっていく。恐怖の涙だった。
「……あ」
優太は口を開いた。何か言おうとした。
言葉が、出てこなかった。
* * *
その時、診療所の入口に立っていた影があった。
龍魔呂だった。
優太を呼びに来たのだろう。片手に、湯気の立つ包みを提げている。
だが、その男は――動かなかった。
入口の暗がりで、微動だにせず立っている。
優太は、医者の目でそれを見た。
瞳孔が開いている。呼吸が浅く、速い。指が、片手だけ痙攣している。ジャケットの下で、肩が細かく上下している。
視線は、床の一点に固定されていた。何も見ていない目だった。
「……龍魔呂?」
名前を呼ばれた瞬間、男の身体がびくりと跳ねた。
そして、次の瞬間には――何事もなかったように、平坦な顔に戻っていた。
「飯だ。食え」
「……あ、ああ」
優太は包みを受け取りながら、それでも目を離せなかった。
(今の、なんだ)
* * *
「――貸せ」
龍魔呂は優太の手から消毒液の残りを取り上げると、泣いていた子供の前に、ゆっくりと膝をついた。
巨体が縮んで見えるほど、丁寧な動作だった。
「痛いのは嫌か」
「……や、だ」
「そうか」
男は、ポケットから小さな壺を取り出した。
角砂糖を一つ、子供の掌に載せる。
「口に入れとけ。甘いのが溶けきる前に終わる」
「……ほんとう?」
「嘘はつかん」
子供が角砂糖を口に含んだ。
龍魔呂は消毒液を含ませた布を、子供の膝に、ふわりと当てた。
三秒。
「――終わりだ」
「……あれ?」
「終わった」
子供が目を丸くして、それから、へへ、と笑った。
その頭を、龍魔呂は一度だけ、大きな手で撫でた。
* * *
子供が母親に連れられて帰った後。
診療所には、優太と龍魔呂だけが残った。
優太は寝台に腰掛けたまま、床を見ていた。
「……最悪だ」
「そうだな」
「フォローしろよ」
「する意味がない。お前が一番分かってる」
優太は乾いた笑いを漏らした。
その通りだった。
「子供を怒鳴る医者は、医者じゃない。……大学で、一番最初に教わることだ」
「なら、原因を潰せ」
「原因?」
「寝てないだろ」
優太は答えなかった。
「何日だ」
「……四日、いや五日か。三時間ずつは寝てる」
「それを寝たと言うな」
龍魔呂は壁に背を預け、腕を組んだ。
「猫が言ってたぞ。医者が倒れたら、村が死ぬとな」
「……それは俺が死んだ後の話で」
「同じだ」
* * *
その時、店のほうから悲鳴のような声が上がった。
「な、なんですのんこれは! ナカムラはん! 大変や!」
ニャングルが転がり込んできた。手には、一枚の木札を握っている。
「鬼龍のマスターの入口に、こんなもんが!」
優太はそれを受け取った。
達筆な墨字で、こう書かれていた。
――『本日休業』
「三百人並んどるんですで!? 今日一日で銀貨二百枚が飛びますねん! 誰ですのんこんなことしたんは!」
優太は、隣に立つ男を見上げた。
龍魔呂は、まったく表情を変えなかった。
「俺だ」
「あ、あんたやったんかい! なんでですのん!」
「作る気にならん」
「そんな理由で!?」
「客が三百人おっても、作る奴が腐ってたら意味がない」
龍魔呂は言い切って、それから優太のほうを向いた。
「――お前と同じだ」
優太は、返す言葉を失った。
* * *
ニャングルが泣きながら帰っていった後。
龍魔呂は診療所の扉に手をかけ、出ていく直前に、振り返らずに言った。
「明日、暇か」
「……は?」
「休診にしろ。猫には俺から言っておく」
「いや、患者が」
「三日分の薬を出しとけ。死にかけてる奴は今いない。お前がさっき自分でそう言った」
優太は、口をつぐんだ。
確かに、言った。
「……何をするんだ」
龍魔呂は、少しだけ間を置いた。
そして、初めて――ほんのわずかに、口の端を上げた。
「遠出だ」




