EP 4
罠に、天使がかかった
「――ユウタ、聞こえた?」
ポポロ山の中腹。キャルルの兎耳が、ぴん、と一方向を向いた。
「何が」
「悲鳴。北の罠にかかってる」
「今日はロックバイソン狙いだろ。悲鳴を上げるのか、あれ」
「上げないわよ。……それに、声が女の子なの」
二人は走った。
* * *
そして、見た。
太い枝から吊り下げられた縄。その先で、逆さ吊りになった人影が、じたばたと暴れている。
白い翼。金色の巻き髪。フリルのついた白衣装。
そして、その周囲を、掌サイズの光る球体が三つ、ふわふわと旋回していた。
「ふぇぇぇぇん! 誰か助けてぇ! 私、美味しくないよぉ! 骨ばっかりだよぉ!」
「……天使?」
「初めて見たわ」
「異世界の天使って罠にかかるのか」
「かかってるわね」
少女がこちらに気づいた。
その瞬間、涙目が――消えた。
「あっ。え、待って。カメラ、カメラ回して! 三番機、寄って! そう、そのアングル!」
光る球体の一つが、すっと優太の顔に近づいてきた。
「はい皆さん見てくださーい! 今、私を助けに来た村人の登場でーす!」
「なんだこれは」
「配信よ! 生配信! 現在の同時接続、四十八万!」
* * *
キャルルがトンファーで縄を切り、優太が落ちてくる少女を受け止めた。
「うわ、軽っ」
「レディに言っていい台詞じゃないよそれー!」
「褒めてる。栄養状態は悪くない。……足首、見せろ」
「え?」
優太は無造作に彼女の足首を掴み、押した。
「痛っ!」
「軽い捻挫だな。骨はいってない。三日で治る」
「……あ、あの、初対面の女の子の足をいきなり掴むのはどうかと思うんですけどぉ?」
「医者だ」
「それで全部通ると思ってる顔ですよねぇ、それ!」
その時、優太は少女の傍らに転がっていた鞄に目を留めた。
妙に大きい。そして、そこから何かが飛び出している。
筒だった。緑色の、見覚えのある形状の。
「……おい」
「はい?」
「なんでハンドバッグからRPG7が生えてる」
「あ、それ護身用ですぅ」
「護身の規模がおかしいだろ」
「だってぇ、鎧って重いんだもん。着る意味あります?」
「天使の思想が世紀末なんだが」
* * *
「――改めまして。キュララ・アルセルラです♡」
村に降りてから、少女は自己紹介した。
翼をぱたぱたと動かし、完璧な角度で小首をかしげる。あざとさが芸として完成していた。
「天使族の下級天使にして、ゴッドチューブ登録者数一位のゴッドチューバーでーす♡」
「一位」
「はい♡」
「下級天使が」
「そこ触れないでくださいぃ! 神界って年功序列なんですぅ!」
「月収は」
「二億♡」
「下級」
「そこ触れないでって言ってるでしょぉ!?」
* * *
「で、なんでこの村に来た」
「決まってるじゃないですか。これですよ」
キュララが空中に映像を投射した。
オークの死体の山。土塁。そして、その中央に立つ黒髪の男の後ろ姿。
再生数、千二百万。
「誰が撮った、これ」
「山にいた鳥の視点を買ったんです。神界の映像市場で」
「盗撮じゃねぇか」
「撮れ高って言うんですぅ」
キュララは胸を張った。
「私、直感が働いたんです。この村、まだ掘れるって。だから来ました。……そしたら罠にかかりました」
「間抜けだな」
「言わないでくださいぃ!」
* * *
悲劇が起きたのは、その日の夕方だった。
診療所の前で、キュララと、大鍋を抱えたリーザが、鉢合わせした。
二人は数秒、見つめ合った。
そして、同時に叫んだ。
「「あーーーッ!!」」
「あんた、キュララ・アルセルラ!」
「あー! あんたリーザじゃない! 万年再生数三桁の!」
「三桁じゃないもん! こないだ千いったもん!」
「一年で?」
「うるさいなぁ!」
優太が二人の間に立った。
「知り合いか」
「知り合いじゃありません! こいつは私の太客を奪った女です!」
「太客?」
「石油王ですぅ!」
キュララが勝ち誇った顔で翼を広げた。
「オイル大陸の石油王ゴルゴンダ様! 月に金貨三千枚投げてくださる私の最推し客ですぅ♡」
「あれは元々わたしの視聴者だったの! わたしが百八十回配信して、やっと二回コメントくれたのに!」
「二回」
「二回!」
「……重いな、その二回」
* * *
その夜。
鬼龍のマスターの引き戸が、そっと開いた。
「――はい皆さん、こんキュラ♡ 潜入配信でーす」
カメラ球体を三機従えたキュララが、忍び足で店内に侵入した。
「今夜は辺境の村の、なんてことないちっちゃな酒場から――」
カウンターの向こうで、男が振り返った。
カメラが、その顔を捉えた。
――百九十センチ。黒地に赤のジャケット。ワインレッドのタートルネック。まくった袖の下の腕。そして、包丁を持った手。
流れているのは、ショパンの夜想曲。
男は、ただ静かに言った。
「――いらっしゃい」
次の瞬間。
キュララの視界の端で、同時接続数が爆発した。
「え」
四十八万。八十万。百三十万。二百万。
「え、え、え!? なにこれ!? なんで!?」
コメント欄が濁流のように流れていく。
『誰』『誰これ』『え』『待って』『誰』『声』『声がやばい』『どこの神域』『座標』『座標プリーズ』『石油王いる?』『石油王いた』『石油王が金貨五千枚投げた』
「ご、ゴルゴンダ様ぁぁぁぁッ!?」
* * *
「……なあ龍魔呂」
カウンターの端で、優太が味噌汁をすすりながら言った。
「あんた、今すごいことになってるぞ」
「そうか」
「見ないのか」
「見ても飯は作れん」
龍魔呂は淡々と焼き魚を返した。
その時、店の隅で、村の子供が三人、退屈そうに床に座り込んでいた。母親が厨房を手伝っている間の留守番だ。
龍魔呂は、包丁を置いた。
エプロンのポケットから、小さな金属を取り出す。
ハーモニカだった。
ふぅ、と息を吹き込む。
澄んだ、少し寂しい音が店内に流れた。
――『シャボン玉』。
子供たちが目を丸くして顔を上げ、それから、きゃっきゃと笑い始めた。
龍魔呂はそれを見て、何も言わずにハーモニカをしまい、また包丁を握った。
コメント欄が、無になった。
そして――
『あ』『死んだ』『無理』『無理無理無理』『は?』『こんなん惚れるが?』『スパチャ砲用意しろ』『金貨一万枚』『金貨一万枚てお前』
「同時接続、三百七十万……」
キュララが、床に崩れ落ちた。
「な、なんなのこの人……素材が、素材が強すぎる……!」
「言い方」
* * *
配信が終わった後。
キュララは真剣な顔で優太に詰め寄った。
「ナカムラさん。あの人、何者ですか」
「料理人だ」
「嘘。あの人、人を殺したことのある目をしてます」
優太は、天使の言葉に少しだけ驚いた。
「……分かるのか」
「私、これでも神界のトップですよ? 顔と背景から人を特定するの、得意なんです。声の反響で建物の広さも当てられます」
キュララは翼をぱたつかせた。
「でも、あの人だけは何も出てこない。神界の記録に、存在しないんです」
「……」
「気持ち悪いくらい、綺麗に消されてます」
優太は、味噌汁の椀を置いた。
カウンターの向こうで、龍魔呂は黙って洗い物をしていた。
* * *
翌朝。
診療所の扉を開けた優太は、そのまま固まった。
「……なんだ、これ」
村の入口から、道いっぱいに行列ができていた。
全員、女だった。
人間、獣人、エルフ、ドワーフ、そして翼のある者まで。数百人。
先頭の一人が、目を輝かせて叫んだ。
「あのぉ! 鬼龍のマスターって、こちらですかぁ!?」
優太は無言で扉を閉めた。
「――ニャングルを呼べ」
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