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俗欲  作者: 九条 九重


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8/10

誰もいないリビング

次の日の昼頃に外からの大きな車の音がして、心待ちにしていたように早々と玄関を開けると引っ越しの業者がトラックから出て荷台を開けていた。優香はトラックの後ろから顔を出し、新太を見ると親父を呼ぶように言った。仕方がないので親父を呼ぶと、荷物を見て顔を引きつらせていた。それでも業者に部屋を案内して、優香は何を何処へ置くのかゆっくりとあそこが良いかこっちが良いかと、誰とも言わず独り言でも無い事を言いながら決めていく。気づくと親父は玄関の方で腰を据えて優香が決めるのを待っており、優香には業者が恐縮の気味でアドバイスを送っている。こんなにも時間をかけるものでもなかろう、親父の機嫌も悪くなるといけない、新太は自分が行って決めてやろうと思って部屋の入口に立った。ベッドは左の隅に置くのが良かろうと言うと、優香はラックが置けないと言う、ならば右端はどうかと言うと今度は窓と重なるのが不便だと言う。何処を言ってもこんな調子で決まらない、じれったいのが耐え難く家具の場所などいつでも変えてやると考えなしに言ってしまった。それを聞くと優香の口元が微笑んだ、実際、机やラックなど新太でも動かせる物の方がほとんどではあった。それから新太の言う通りに置く事にしたらしく、適当な話を始めて後の事を新太に任せている。家具を運び終えると次に段ボール箱が幾つか運ばれて。

「私の住んでたアパート取り壊しになるんだ。だから急にこの家に引越す事になって、迷惑でしょう」

と、適当な話の流れからそんな事を言ってきた。元居た場所を失い、こんな家に来ることになるとは不憫でならん。

「そんな事はない」

「ほんとに?」

優香が聞き返す、言ってみて恥ずかしく思ったが後にも引けないのでそうですと答えた。微かに微笑む声が聞こえたが、その方を見られなかったので実際どうかはわからない。それから二人の間は静かになり、最後の段ボールを部屋に運び終えた業者が挨拶をして部屋を出ていく、玄関では親父にも挨拶をして玄関を閉めて行った。じきにトラックのエンジン音がして徐々に聞こえなくなる。親父はリビングに座り込み、優香は部屋で荷解きを始めた。新太は手持ち無沙汰の気味で二階に戻ろうとすると優香の部屋から「ハサミを貸してもらえないか」と声がした。一番近くにいる親父が動いたが、どうやら見つからないようであった。親父は片付けというものを知らない、使った物はそのまま置きっぱなしにしている、仕方がないのでいつも新太が片付ける、親父に見つからないのは当然である。早々に諦めた親父に呼ばれたので新太が取って持って行った。これからも入用の物があれば言ってくれと言うと、優香は愛想よく礼を言う。そのうちに使う物を取りに出るだけでなく、一緒に荷解きをするようになった。段ボールを開けていくと布の入った物があり、取り出してみると洋服であった。洋服のほうは自分で片付けると優香が言うが、取った服を置くのに少し躊躇しているとあの時の胸元を開いた服に見えた。他の段ボールを出され、そっちを片付けるように言われた。服の方は優香が自分の元に手繰り寄せ、先程の行動が恥ずかしいものであったと思い少々顔を赤くすると優香の口元に笑みが浮かんでいる。それを見てなおのこと恥ずかしく思いながら手早く片付けを進めた。片付けを終える頃には二人は懇意になっていた。一段落して夕飯の話になり、普段は惣菜ばかりであると話すと、優香から今日は自分が振舞うと言い出した。作らせるのも悪いと思ったが存外に芯が強い、どうやら決めた事は譲らない質のようだ。それならそれで良い、作ってくれると言うのは嬉しい事だ。嬉しい事は嬉しいが肝心の材料がないだろう、惣菜ばかり食べていたのだから仕方がない。後で買い物に出掛けると、優香もついてきてスーパーへの道を教えながら二人で歩いた。帰ってくると丁度夕飯時であった。夕飯を作り始めてからも新太は優香の傍におり、入用の物があれば場所を教え、手伝いをした。夕飯が出来るまでの間に親父が自室に戻って行くのを見た、さぞかし面白くなかろうと思われる背中を見送った。出来上がった時、優香が親父を呼びに行った、存外早くにまたリビングに腰かけた。出された料理は当然ながらごく普通のものだ、だがこんなにも美味しく思うのは不思議である。三人で囲んで飯を食べる、親父がいつも通りの無口になっていたが特段の疑問とは思わなかった。優香と話しながら食べる飯が美味く、あまり気にせずにいた。親父は一足早く飯を済ませて風呂に入った。その後に優香が入ることになり、新太が二階の部屋で課題を進めていた。それからどのくらい経ったか、隣の部屋が開く音がした。親父が絵の事でも言いに来たのかとも思ったが、そこで親父の面白くなさそうな背を思い出して怖くなった。それでも行かない事には状況は悪くなる一方だ。意を決し部屋を出ると隣の部屋のドアが開けっ放しになっている、覗いてみると優香があの皺だらけの下書きの絵を見ている。あの朝日を描いた絵をまじまじと見つめているところに話しかけると驚いた様な素振りをし、可笑しくて少し笑うが優香の方は真面目な顔をした。

「この絵には何だか見覚えがある」

と言う。ことさらに可笑しくなる。そうしていると何故こうも皺だらけなのか聞いてくる。親父曰く「そんなものを今更描いて何になる?」と言われた時の事を話した。すると優香はそんな事は無い、上手な絵だと褒めて頭に手を置いた。じんわりと温かな心持ちになり、その後風呂に浸かった。風呂から出るとリビングには誰もいない、優香の部屋の前を通ったら扉が少し開いたままになっていたので声をかけたが、部屋にも誰もいないようだった。新太は扉を閉め、そのまま二階に上がって行った。

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