日常
昼頃に目を覚ますと水を飲み干してカーテンを開け、レース越しに陽光を部屋に入れると机の前に腰かけた。机の上にはワークが置かれ、横の床には夏休みの課題が積まれている。全くやる気も無い様子でただ前に座っているとそのままにして立ち上がり、空のコップを持って下の階に降り、冷蔵庫の中を覗いた。生憎だが何も入っていない、次に炊飯器を開けると茶碗一杯にも満たない程の米が固くなりつつある。新太はため息をつきながら残った米を茶碗に移すとラップを掛けて冷蔵庫にしまった。それから炊飯器の内釜をタオルを持って外すと流しに入れて釜を水でいっぱいにした。スポンジを取るとついでにコップも一緒に洗い、コップは干して釜だけタオルで水をふき取ると米を入れて研ぎ、早炊きを選択して洗面所の方へ行った。軽く顔を流すとまた部屋に戻りすぐに着替えて、それから買い物に向かった。
新太が家に帰ると十四時近く、リビングには親父が座ってテレビを見ながら煙草をふかしていた。新太は一瞬固まって、すぐにいつも通りに動き出した。買ってきた物を冷蔵庫に入れているとリビングから「絵はもう描き終えたか?」と親父がテレビを見たまま話しかけてくる。新太は簡単に「終わったよ」と冷蔵庫を強めに閉めながら答える。すると素直に「そうか」と言う親父に、足早に新太は二階へ上がり、絵を持って親父の前に持って行った。この絵をこうして見せるのは二回目になる、一回目は光の具合がどうとか初心者でもないのに色々と言われたので仕方なく描き直した。これ以上の事は御免なので機嫌の悪くならないうちに、早くに親父の前に出した。
「いいんじゃないか」
親父はその絵を手に取るなり感想を一言述べた。それ以上の事は何も言わない、新太にとってはまたとない朗報である。どうせ何か愚痴でも言って受け取るか、また描き直させるつもりかと疑っていたが全くそんな様子はない。不吉な予感がする、そんなに機嫌の良いようにも見受けられないのだ。霧がかかった様に見える、次にどんな突拍子の無い事を言いだすのか、それとも何も考えなどなく新太の思い違いなのだろうか。親父は「腹が減ったから何か出してくれ」そう言うと絵を持って一度自室に帰って行った。先程買って来たお惣菜はそのままに、炊き上がった米を茶碗に二杯移して机に置いた。新太が席に着いてすぐに親父は戻って来て、元の場所に座った。新太の右手側の奥の席で親父は黙々と食べ始め、いただきますと言って新太も食べ始めた。それ以降は何か話すことも無く、テレビの音が静寂を妨げているがどうという事もない。新太の方が先に食事を終えて流しで茶碗を洗うとすると親父も来て茶碗を入れた。平常ならそのまま何とも言わず立ち去るが、今日に限ってはやはりいつもとは違うようで、流しで新太が茶碗を洗うのを近くで見ていた。気持がそわそわして落ち着けずにいると「家事をやるのは大変だろう」と親父にしては突飛な事を言い出した。少し動揺してまあ、と取り留めの無い返事をすると次は「結婚する事になったから」と言い出して新太は呆気に取られて何も言えなくなった。それから今度その女の人が来るから家を綺麗にしておけというような事を勝手に言って自室に帰って行った。親父の背が見えなくなるまで静寂を感じた、それから平常通りに皿洗いを続ける、地に足のつかぬ心持ちであった。親父が結婚するなどとろくな事になりはしないだろう、もしかすると親父の様な者がただ一人増えるだけかもしれない。皿洗いを終え、二階の新太の部屋に着くまで、まだ結婚を悪い方へばかり考えていた。机の前に座り込み課題を進めようとするも殆ど集中なんて出来なかった。あの朝早くに絡んできた女の事が頭に浮かんで、母親が出来る事が少し嬉しくも感じられたからだ。そんな淡い期待など無意味な事は分かっている、こういう物は事前に潰しておかなければ親父との生活などやっていけない。そう考えると結婚相手は不遇でならない、自分の母親が顔も知らない様に、その女もすぐに逃げて行くかもしれない。こうして鬱々と考えて時間が過ぎてゆく、これではいつになっても課題も進まない。苦悩の末に会ってみない限りはどうしようもないと割り切って隣の部屋へ移動し、絵の下書きを始めた。二時間程経って新太は部屋に戻ってきた。現実逃避の効能は偉大なようで、課題にもゆっくりと手を付けだした。親父が玄関を開け、また出掛けて行く音が下の階から微かに聞こえた。




