6.理不尽だ
6.理不尽だ
翌日、帰宅した姚子を待っていたのは、侠兎と杼弥、そして老易者の麻辣斎冲駘
だった。
この麻辣斎が、驚くべき情報を持ち込んだ。
昨日、侠兎と姚子にそれまでの調査で得られた情報を報告し終えて家に帰った杼
弥は、その後戻ってきた麻辣斎から新たな情報を得る。
麻辣斎は、いじめに遭っていた重機一美の自宅と、現在彼女が入院しているとい
う病院を突き止めた。
そして、訪ねたその自宅前で、ごく微量の妖気を感じたそうなのだ。
ひっそりと静まり返った、人の気配すらも乏しいその家は、けだし確実に何人か
は在宅しているはずなのに、まるで空き家のような寂寞感が漂っていた。
その二階の一室の窓の横の外壁に、なにやら意味不明の文字か記号のような物が
一つ、浮き上がって見えていた。
ぼんやりとしたそれは、一見ただの汚れのようでもあるが、それが妖気の発生源
であるのはすぐに分かったという。
これには侠兎も活気づいた。
「それは間違いなく妖気なんだな、ジジイ」
「へえ、間違いごじゃりませんぢゃ。
あの窓の、ユラユラとそよ風に遊ぶ、妖しき芳香を纏いし白く目映き物体は、
紛う事無き女子大生のパン」 バコン!
「盗んでんじゃにゃーよエロジジイ!」
「痛たた、なにもいきなり殴らんでも・・・、ここは笑うところですぢょ」
「貴様が言うとギャグに聞こえん、それで笑う奴がこの世界のどこにいる。
今からでも警察に突き出してやろうか」
「い、今のはちょっとした若気の至りとでも申しましょうか、可愛いジョークと
いう事で水に流して下され」
「ジジイが若気るな、三途の川に流すぞ」
「今回は出番が少ないのですぢゃ~、このくらいのおいたは大目に見て下さらぬ
か~」
「セリフがあるだけありがたいと思え。
それとも全部編集でカットしてナレーションだけで済ませるか。
絵もドット絵のCGでピコピコ動くだけにして、それか背景の書き割りの一部
でいいや」
「やや、そればかりはご勘弁下されぇ~」
妖気を発する文様という事は、妖怪が記した物の可能性が高い。
これまでの、いじめていた3人の連続死といじめられていた一美の病気入院は、
人間社会の中での出来事として推移してきたものだったが、そこに妖怪が関わっ
ているとなると様相は一変し、世界はまるで違うものになる。
話が益々混沌とし、警察などでは真相に辿り着くのは到底不可能だ。
「妖気って事は妖怪か・・・、だが妖怪は文字を持たんぞ」
侠兎の疑問に杼弥が答える。
「人間に化けるような妖怪だったら、読み書きくらい出来たって不思議はないよ。
他は大概、意味も分からずその真似事だけをする程度だろうけどね。
だから、ボクは物の怪の類が目印として付けたんじゃないかと思ったんだ。
そこで、それを確かめようと一美の入院する病院に行ってみる事にした」
隣り町の更に隣りにあるその病院は、この地方の地域医療の中核医療機関の一つ
で、そこそこの病床数を持っている総合病院だった。
一美の病室は二人部屋だったが、隣りが空きベッドだった為、実質個室状態だっ
た。
杼弥は、その病室の前に立っただけで、中から微弱な妖気を感じ取った。
静かに扉を開け入って、それは間違いなく眠り続ける一美の体から発せられてい
ると確認した。
「でも、面会時間の刻限が迫っていたから、深追いは出来ないと思って一旦病院
を離れたんだ」
「おみゃあも地仙なら、そのくらいどうにか出来るだろ」
「既に防犯カメラに映っちゃってる事を考えたら、そこで不審を抱かせるような
行動は取るべきじゃないよ。
巻き込まれて捜査対象にでもなったら、そっちの方が面倒臭い」
「それもそうか」
「弱いけど、確かに妖気だったよ。
あの人が妖怪に取り憑かれていると見て、まず間違いないね」
「どんな妖怪だろうな」
「妖気の感じからすると、そんなに凶悪でも強力でもないかなっていうふうに思
ったよ」
思いもしない展開に、姚子も前のめりになって質問するが、それに答えられる者
はここにはいない。
「なんでいじめられてた人が妖怪に取り憑かれるの?、さっぱり分かんないんだ
けど」
「それが分かりゃ苦労にゃあわ」
「話を聞こうにも、人間の方は眠ったままだしね」
「だったら妖怪の方に聞くしかにゃあわな」
「ボクもそう思う」
「そいつはまた現れると思うか?」
「恐らく、確実にね」
「なら今夜行ってみるか」
「ボクは構わないよ」
「よし、決まりだ。
姚子は家で寝てろ、連れてくとまた松子が文句言うからな。
マラサイも家帰っていいぞ、俺と杼弥で行ってくる」
「あ~、もう出番は終わりなのですかいの・・」
「さっさと帰れボヤッキー」
(よかった、また一緒に来いとか言うのかと思った)
その夜遅く、病院近くに到着した侠兎と杼弥の二人は、一美の病室がある病棟を
見渡せるように、敷地脇の小さめの緑地公園にあるベンチに陣取り、その時がく
るのを待った。
「おみゃあどう思う?」
「どうして一美が取り憑かれたかって?」
「ああ」
「分かんないよ、色々有り得るからね。
お姉ちゃんはどう考えてんのさ」
「どうだかな・・・」
「いじめ、連続死、病気、そして妖怪、全てが繋がってる可能性もあるし、偶然
重なっただけかも知れない。
どっちに転ぶにしても、まずは一美と妖怪の関係を解明しないと前には進まな
いね」
「まあ、俺にはどうでもいいんだがな」
「お姉ちゃん、あんまり楽しそうじゃないね」
「こういうまどろっこしいのは性に合わんのだ、姚子の頼みだから仕方なくやっ
てるだけだ。
妖怪と聞いてちょっとは面白くなってきたけどな」
病院は、終日灯りが一部に絶えないので、そこだけ見ていると時間の経過が分か
らない。
たくさん人がいるはずなのに、全体に閑散としている。
ほとんど人の動きもないのに、静かに灯りだけが灯り続けている。
侠兎には退屈極まりないその時間も、そこには確かに生きている人達がいる。
どのくらいかの時を経て、杼弥のセンサーが反応した。
「動いた」
「来たか」
「あそこ」
彼が指差す先、入院病棟の白い外壁に、黒い人影のような物が、ユラユラ揺れる
ように映り込んでいるのが見えた。
二人は、息を潜めてじっと目を凝らし観察し始める。
暫く同じ場所で揺れていたその黒い影は、徐に両腕を大きく上に掲げ、手をつい
て壁をよじ登り出した。
手懸かりのない外壁を、四肢を交互に動かしてスルスルとリズミカルに登るその
様は、見ている侠兎に一つの生物を連想させた。
「ありゃなんだ、猿か?」
「あの腕の長さと脚の短さ、ガニ股具合からして猿っぽいね。
真っ直ぐ一美の病室へ向かってるよ」
「つまり、あそこを登るのは一度や二度じゃにゃあって事だな」
ところが、その黒猿っぽい妖怪は、途中まで登った所で、壁に張り付いたままピ
タリと動きを止めてしまった。
急な変化におやっと思った二人は少し緊張し、更に注視する。
5秒から10秒間くらいじっとしていたそれは、次の瞬間へばり付いた形の残像
を残してフッと姿を消した。
「あれ、消えやがった、どこ行った」
「分からない、どこだろう」
二人が首を伸ばし、身を乗り出してキョロキョロしていると、夜の帳り中から音
もなくいきなりフワッと沸き上がるように、目の前2メートルの所に現れた。
ザワッとして驚き、警戒して身構える二人。
黒猿は、若干高めの嗄れた声で、脅すように圧をかけた。
「ワシの気配に気付いておったな。
お主等何者じゃ、敵性の気を感じるぞ」
全身を黒い毛で覆われ、しかし顔は人間の老人の如く皺が刻まれ、窪んだ眼は二
人を威嚇し睨んでいる。
どうやら、杼弥の気配に反応したようだ。
代わりに侠兎が答えてやる。
「ただの通りすがりだよ、夜風に当たってちゃ悪いのか?」
「お主は普通のヒトか、ワシの邪魔はせんのだな」
「普通のヒトなんかじゃにゃあ、可愛い巨乳美少女侠兎ちゃんだ。
おみゃあが何するかも知らんのに邪魔もへったくれもあるか」
「ならばよかろう、余計な手出しは無用だ」
「おみゃあは何者だ」
「我の名は、笠栗の炭猴」
「笠栗?、炭猴?」
聞き慣れない名前に首を傾げる侠兎を見て、杼弥が解説した。
彼は、この妖怪の発する妖気が昨日一美の病室で感じたものと同一だと感知して
いた。
「確か、この近くに笠栗山って山があったはずだけど、そこの事じゃない?」
「ふぅん、山猿か、ならおみゃあ便器を知ってるか?」
「便器じゃと?」
「鎮守山の主を気取ってるスケベ妖怪の事だよ」
「妖怪、主、知らんな。
鎮守山など興味もないわ」
「なんだ、あいつ偉そうに宣ってたくせに全然たいした事にゃあのか。
やっぱりただのヘタレだったんだな」
「ほお、その山の物の怪と見知り越しとな」
「あれは俺のファンだ」
「ふむ、ただのヒトではないのだな、どうりでこのワシを見てもよく落ち着いて
いられる」
「で、その山猿がなんでここにいる」
「ワシはここにいる娘と約定を交わしたのじゃ」
「約定だと?」
炭猴の言葉を聞き、杼弥が反応した。
「娘って、一美っていう女の子だよね」
「いかにも。
二月ほど前の事、その一美という娘がワシの棲む祠に願を掛けに来たのじゃ。
ヒトがワシに願掛けするなど久しくなかった事であったので、不思議に思った
ものじゃ。
そこで、夜更けを待って娘の元へ赴き、真意を確かめた。
3人の女を死なせて欲しいという娘の願いは切実で、深い怨恨の念と憎悪、敵
意を感じた。
ヒトの怨みを晴らす肩代わりなど妄りにするものではない。
じゃから、ワシは見返りとしてお前の命をもらうと申しつけてやったのじゃ。
思い留まる選択肢もあると告げるつもりでな。
じゃが、娘はそれで構わないと二つ返事であっさりと条件を呑んだ。
そこまで覚悟しての願掛けじゃったという事なのじゃろう。
ワシは3人の命を奪い、そして、娘の体にありついておるのじゃ」
「ちょっと待って、3人っていうのはみんな同じ学校の友達3人だよね。
そのうち二人は交通事故で死んでるはずだよ、どうやって殺せるのさ」
「造作もない事。
どちらの場合も、それぞれ女に取り憑いて機会を窺い、頃合いを見てぶつける
相手を探し、その車の運転手に乗り移って操ってやればものの数秒で済む話。
ただ、最後の女だけは最も怨まれていたようだったからな、一番苦しませてや
ろうと考え別の方法を執る事にした。
追い詰めて追い詰めて、逃げ場をなくしておいてから、娘の怨みの深さを思い
知らせてやった。
死ぬ間際になって、女は泣きながらワシに許しを請うたが、ワシが体を乗っ取
っておったからな、有無を言わさずそのまま川へ飛び込んでやったわ」
「意識を失わせず体だけを支配して自殺させるなんて・・・、惨いね」
謎は解けた。
いじめっ子3人の連続死は、重機一美による復讐だったのだ。
一美が妖怪に願を掛け、その妖怪の手によって殺されていた。
更に、その対価として命を差し出す約束をし、生気を奪われ続けているという訳
だった。
事実を知って、侠兎は大きく息を吐いてベンチに凭れかかった。
「なるほど、そういう事だったのか。
今日ここへ来たのも、その命をいただくためだったんだな」
「約束を果たし、その対価をもらう、何もおかしな事はあるまい。
ヒトの世の言う不義理というものでもないはずだが」
「ならばなぜ一度に命を奪わにゃあ。
ちょっとずつ生気を吸い取って徐々に弱らせるのはそこそこ残酷だぞ」
「それがワシのやり方なのじゃ、非難される筋合いのものではない」
「で、毎日通ってんのか、ご苦労な事で」
翌日、姚子はその展開に驚悸する。
こんな結果は、普通の人間が調査したのでは絶対に得られない。
偶然が重なっただけとしか見えなかったのは、人間の知覚を超えた力が働いてい
たからだったのだ。
願を掛けた一美の思いは、そこまで憎悪に満ちていたという事なのか。
この復讐劇がどういう顛末を描くのか、姚子ならずとも関心があろう。
「で、どうなったの?」
「山猿か?、気分が削がれたとか言って、そのまま帰ったよ」
「え?、何もしてないの?」
「なにが」
「その妖怪よ、やっつけたりとか退治とか」
「知るかそんなの。
俺は何もしてにゃあよ」
この言葉に愕然とする。
まさか、人に取り憑いている妖怪をそのまま見逃してしまうとは。
それでは一美はもうじき死んでしまうではないか。
次第に感情が高ぶる姚子。
「え?、なんで?、だってそれじゃあの子は」
「いずれ死ぬんだろうな」
「なんで、なんで助けてあげないの?、死んじゃうんだよ」
「は?、なんで助けてやらにゃならんのだ」
「なんでって、いじめられてた人なのよ、助けてあげなきゃ」
「そんな必要あるか?、俺達には関係にゃあだろ。
関係にゃあのに首突っ込むなって何度言えば分かるんだおみゃあは」
「確かに関係はないけど、でも知っちゃったからには放っとけないよ」
「放っとけよ、今更何しろってんだよ。
その女はそういう約束をしたんだ。
自分が死ぬ事を分かった上で妖怪に頼んだんだぞ、どっちも納得してるんだか
ら何も文句はなかろう。
なんでそれに無関係なよそ者がしゃしゃり出て行かなきゃならん、理屈に合わ
んだろ」
「でも・・、だって、それじゃなんにも解決してないよ。
いじめられてた方も死ぬなんて、なんか理不尽だよ」
「自分で蒔いた種だ、自分で刈り取るっきゃにゃあだろ」
釈然としない。
どうにも納得がいかない。
確かに、理屈の上では侠兎の言う通りだとは思うが、しかし、このまま見逃して
おいていいものなのだろうか。
一美の命をみすみす見殺しにしてしまっていいのか。
妖怪が手を引いてくれれば、彼女の命は救えるかも知れないのだ。
彼女はまだ死んでいない、まだ生きてる。
助かる見込みがあるのに助けないのは人道に反する。
なんとかする方法はないものか。
姚子は、俯いたまま額に手を当て考え込んでしまった。
それを泣いたと勘違いした侠兎。
「泣くな姚子、泣くなら俺の胸で泣け」
「泣かないわよ。
いいよ、あんたがその気なら墨さんに頼むから」
墨松子に電話で相談してみる事にした。
「松子の野郎なんだって?」
「明日来るから、その時詳しい話をしようって」
「ならおみゃあ等の好きにやれ、俺の仕事はもう終わりだ。
杼弥、約束の報酬だ、ジジイに渡してやれ」
侠兎は、いつの間にか用意していた小さな紙包みを杼弥に手渡した。
「またなんかあったら手伝ってくれ、今度はちゃんと報酬は用意する」
「ボクはいつでもいいよ、お姉ちゃんといると退屈しなさそうだから」
それを受け取り、杼弥は姚子に小さく頭を下げて部屋を去った。
「報酬って、何をあげたの?」
「おみゃあのパンツ」
「キ、キャーなにやってんのあんた!」
「杼弥は要らんって断ったからジジイの分だけな。
あんなにいっぱいあるんだから1枚くらい構わんだろ」
「構うわよ!」
まさかまさかまさか、報酬が姚子の下着だったとは予想の遥か彼方をブッ飛んで
いる。
慌てて箪笥の中を検めて、幸か不幸かお気に入りの一品ではなかったので、その
意味ではホッと胸を撫で下ろしたが、こんな事が許されていい訳がない!
こっちはこっちで理不尽だ。
「なに勝手な事やってんのあんたは、自分のをあげればいいじゃない」
「だって俺のとじゃ比較にならんだろ、数的に。
それにぃ、あたしのおパンティーはプライスレスなのぉ。
とっておきのプレミアご褒美だからぁ、後々に温存しておかなくちゃならにゃ
あでしょ?」
「なにがプライスレスだ、こんな時だけ女の子しゃべりすんな、全然可愛くない。
こんなの二度と許さないからね」
「分かったよ、これからはおみゃあの許可取りゃいいんだろ」
「誰が許可するか、バカ」
(なにしてくれるんだ、このスケベ野郎達は)
<続>




