2.おずん
2.おずん
虫達の競演以外に秋を感じるにはまだまだ早い晩夏の深夜、姚子の一世一代の決
死行が、遂に幕を開けた。
遊園地のお化け屋敷でさえ怖くて一度も入った事のない彼女にとって、人生初の
文字通り命を懸けた大冒険だ。
中に入って余計な事をして霊を怒らせたりしたら、呪われ祟られ、まかり間違え
ば死に直結する。
いや、中に入るだけで既に機嫌を損なわせているかも知れないのだから、何某か
の攻撃は避けられない。
もう後には退けない、覚悟を決めろ、姚子。
とはいうものの、マリーシャの肩にしがみつかないと立つ事もままならない、生
まれたての子羊のような震える膝と、引ける腰での頼りない足取りで泣きベソを
かきかきなので、とても人に見せられる格好のよろしいものではない。
パジャマ姿のままだし・・。
その背後には、つまずいたりしてよろけたらいつでも支えられるように不怨鬼が
付き添っているが、彼の場合、すぐにでも姚子の体を撫で回したいという下心が
見え見えで、そんな妖怪に助けられるのもそれはそれで嫌だ。
妖怪ってだけで不気味この上ないのに・・。
一方の侠兎は、一人先頭に立って、鼻歌交じりで身の丈ほどもある深く生い茂る
雑草群を、物ともせずに掻き分けながらずんずん進み、玄関に辿り着くと躊躇う
事なく半壊しているドアを力まかせにこじ開ける。 バカンッ
なんで、この人はこんなに遠慮というものを知らないんだ。
壊れかけのドアはバキバキ音を立てて倒れ、大量の埃が舞い上がる。
同時に、なんとも言えない僅かに冷たい風が吹き抜け、姚子の頬を撫でた。
「ぎゃーーーーーっ!!」
「なんだ?、どうした姚子」
「な・・、なんか今触った・・」
「便器、姚子のケツ勝手に触るんじゃにゃあぞ」
「オーノー、私は何もノータッチですよ。
ですが、いざとなったらいつでもレスキュー出来るよう身構えておりますれば、
安心して身を委ねて下さってノープロブレムですよ、姚子さん」
(それも嫌なんだってば)
「姚子に手出したら承知しにゃあからな」
侠兎は再び前へ向き直り、倒れたドアを踏み越えて中へ入っていく。
家の中もまた荒れ放題で、照明がないのでほぼ暗闇状態ながらも、目を凝らすと
微かに見えてくるものもある。
玄関から正面にある部屋はリビングだったと思われるのだが、それを明確に確認
出来る物は何もない。
汚れてくすんだ壁には落書きがあったり、拳大の穴が開いている所も何ヶ所かあ
るようだ。
家具などはほとんどなさそうで、あるのは脚の折れたテーブルや椅子くらいだろ
うか。
侠兎はかなり夜目が利くとみえて、真っ暗な中でも臆する事は全くない。
床に散らばっているであろう割れた窓ガラスの破片をバリバリと踏み割りながら、
事もなげにリビングを抜けてその次の部屋へとどんどん先行する。
その少し後から続く姚子は、床板に足を着けただけで聞こえるミシミシと軋む音
に怯え、心臓が破裂しそうになる。
そして、マリーシャの肩を借りつつ恐る恐るリビングへ一歩踏み込んだ瞬間、奧
の窓の前に、白っぽく透けるモヤっとした煙のようなものが、フワーッと浮き上
がるのが視界に入った。
見えちゃった!
「ぁ・・・・」
その場に膝から崩れ落ちる姚子。
「よ、姚子ちゃん、立って下さい、重いですぅ」
マリーシャは、姚子の全体重を華奢な腕で必死に支えた。
その声を聞き、侠兎は立ち止まって後戻りする。
「おい姚子、姚子はどうした」
「姚子ちゃん寝ちゃってますぅ」
「寝てんじゃにゃー気を失ってんだ、泡吹いてんぞ」
姚子の体を壁に凭れかけ座らせてやりつつ、侠兎が事情を聞く。
「てめぇ姚子に何をした」
「私じゃないですぅ、私は支えてただけですよぉ」
「てめぇか便器」
「ノーノー私は何も、神に誓ってゴッド・オンリーノウズ」
「じゃあなんだってんだ」
「恐らく、あれを見てしまったのではのプロバブリー」
不怨鬼の視線の先、部屋の奥の窓際の隅には、半透明な白い気体様の塊がユラユ
ラ揺らめいている。
「ありゃなんだ」
「え?、あれがあなたの言う面白い物なんじゃないんですか?」
侠兎は気付いていなかったが、マリーシャと不怨鬼は部屋に入る前から既にそこ
にあるものを認識していた。
見ていると、その気体は徐々に変容し始め、次第に人の形に凝縮していき、一人
の女性の姿を形作った。
黒髪を後ろで束ねた、白装束の若い少女だった。
どうやら、これが件の交通事故を引き起こした霊の正体と判断してよさそうだ。
その、朴訥とした飾り気のない青白い顔の霊は、申し訳なさそうな表情を浮かべ、
か細い声で言葉を発した。
「どうもすみません、沢山お客様が見えなすったので、つい嬉すぐなってすまい
ますた」
「おみゃあ何者だ、名はなんだ」
「ずんと言います、みんながらはおずんと呼ばれとりますた」
なんだか妙に訛りのきつい話し方だが、理解不能とまでは言えないか。
喪神状態の姚子を除く3名は、おずんという名の霊を前にしても、全く緊張も警
戒もしていない。
邪悪な気配を一切感じないのだから、何も用心するには及ぶまい。
「ここはおみゃあん家なのか?」
「いいえ、違います。
故郷は常陸国だす」
「そう言われても分かんにゃあが、歳は幾つだ」
「14です」
「それがなんでここにいる」
その問いに、おずんは神妙な面持ちで、自分の身に降りかかった悲劇について語
り始めた。
「私は山の村の小作農の娘だすが、佐久山の宿に奉公に出て、旅籠でご厄介に
なっとりますた。
旦那様も奥様も、番頭さんもみんなええ人で、とっても親切にすてもらっとり
ますただよ。
旅籠も盛況で、毎日忙すぐ、んでも楽すぐ働いでますただ。
それが、ある年の夏に大雨が降りますて、鉄砲水でみんな流されですまいます
て・・・」
「全滅か」
「はい」
「それでおみゃあも死んだって訳か」
「んだす。
だども、私は死ぬ前に一目おっ母に会いてえ、一目だけでいいがら会いてえと
思いながら泥水に流されで・・・。
気付いだらこうなってますただ」
「未練、というやつですかぁ?」
「それなら私も聞いた事がありますぞ。
人間というのは、思いが成就されぬままデスると、いつまでもレスト・イン・
ピース出来ぬと言いますな。
結果として思念だけがゴーストとなりドリフターだと」
マリーシャよりは、不怨鬼の方が人間の近くで生きている為か、その業というも
のを幾らかは理解出来ているようだ。
侠兎にはそんなのはどうでもいい事だ。
「で、それからどうなった」
「おっ母に会いたぐて、おっ母の所さ帰りたぐて、だどもどこ行ったらええのか
分がらなぐって、あつこつ彷徨ってたらこごさ辿り着ぎますた。
そん時は、こごには私と同ずような行き場のなぐなった人が他にも何人かいで、
みんなすて身の上を話す合ったりすて暮らすておったそうで、私も仲間に入れ
でもろで暮らす事になりますた。
初めは楽すかったです。
みんなええ人で、知らねえ話もいっぺい聞がすてもらいますた。
それが、時間が経つ毎に一人減り、二人減りすて、どんどんいなぐなってすま
って・・・。
いつの間にが、気が付げば私一人になってますただ。
もう寂すくて寂すくて・・・、私も別の場所さ行ごうがどうすようが考えます
たが、どごに行っても誰にも会わねがったらて思うと怖ぐなって、こごに残り
ますた。
そすたらこごにも時々人が来るようになって、それが嬉すぐて出でいぐとみん
な怖がって逃げてすまいます。
私は悲すぐて、いっつも泣いてますた。
んでも、暫ぐすっとまた人が来てくれますた。
それがらは、せっかぐ来て下すったのにまだ驚がすて逃げられだら悲すくなる
もんで、隠れでこっそり見るようにすてますた。
それでも大勢でわいわい来てくれれば嬉すぐなってつい・・」
「なるほどな。
最近も若い男が何人か来たらしいな」
「はい、久々だったので、思わず付いで行ってすまいますた」
「おかげで死んだんだぞ、そいつら」
「すみません、そんなつもりではながったんです。
ただ、話相手か遊んで欲すかっただけなんだす」
「それにしたってだな、付いてったのはまずかったな」
「すみません、すみません。
私はこれがらどうすればええんだか・・・」
「知らん、自分で考えろ」
事情を知ると、侠兎は途端に興味を失ってしまった。
どうやら、期待していたものとはかなりかけ離れた話を聞いて、テンションがた
落ちらしい。
マリーシャの質問が嫌味に聞こえる。
最後まで自分本意の勝手気ままな愚か者だ。
「これが面白い事なんですか?、皎侠兎」
「うるさいわ、俺だってこんなの予想外だ。
もっとこう、おどろおどろした修羅場チックな場面とか想像してたんだよ。
だから、もしもの時の為におみゃあと便器を連れてきたのに、まるっきり要ら
ん配慮だったな」
「じゃあこれで終わりなんですかぁ?
せっかく時間外に抜け出してきたのにぃ」
「グダグダ文句ばっかり言うんじゃにゃあ、姚子ん家帰ったらハッピーターン食
わしてやるから」
「ハッピータンってなんですか?」
「ふふん、須弥山じゃ絶対に食えん超美味な菓子だ、尻尾巻いて驚くな」
「尻尾なんか付いてませーん。
肉まんより美味しいですかぁ?」
「肉まんこだわるなおみゃあ。
比較する対象が間違ってる、唐揚げとローストチキンのどっちが美味いかなん
て決められんだろ」
「おずんちゃんはいつ亡くなったんですかぁ?」
「唐突だなおい、勝手に話変えんな」
「悪魔の話はつまんないですぅ」
マリーシャに聞かれて、でもおずんは明確には答えられず戸惑った。
「いづと言われでも、私には分がらねえっす。
あれがらどんだげ経ったのかも、今がいづなのかも分がらねえです」
「そりゃそうなんだろうな、昨日今日の話じゃなさそうだしな。
便器、おみゃあは何か分かるか」
「私にそれを問うはナンセンスですよ姫。
人間のヒストリーなど私共には蚊帳の外、マイライフに無関係なればノーリア
クションなのですよ」
「おみゃあが一番人間に近い所にいるのにか?」
「人間とは時間の感覚が違いますからな。
タイムをマネーと言う人間の気持ちなど誰がイマジン出来ましょう」
「おみゃあの言語感覚の方が想像を絶するぞ。
じゃあ鉄砲水とか言うのはどうだ。
それってあれだろ、要するに土砂崩れとか洪水的な」
「左様です。
以前は大雨が降ったり嵐が来たりした時など、あちこちでよく起こったそうで
すな。
流浪の物の怪共がしばしば土産話として話しておりました」
「ここら辺の話じゃにゃあって事か」
「この辺りには、そんなにビッグマウンテンも、ラージリバーも、ディープキャ
ニオンもありませんからな。
あるのは小川くらいです故、氾濫はあってもメガデスほど被害甚大とまではな
らぬのです」
「いつなのかも、どこなのかも分からないのは悲しいですぅ。
せめてお墓の場所でも分かれば供養してあげられるんですけどねぇ」
「ならおみゃあが探してやれ、俺は知らん」
「私は、下界ではサーラ様に命じられた事以外何もしてはならぬのですぅ」
「ベン子がそんな勝手を許す訳もなしか。
いいじゃにゃあか、どうせ誰も告げ口なんかしにゃあから、分かりっこにゃあ
って」
「そんな訳には行きませーん。
絶対バレちゃいますから、怒られるのは嫌なのですぅ」
彼女達がどんなに考えても、おずんがいつどこから来たのかを知るのは不可能だ
った。
具体的な地名などの情報を与えられても、そもそも人間が名付けた日本の地理を
全く理解していないのだから、その場所の特定など出来るはずがない。
それを知るであろう唯一の姚子は気絶したままだし、残された者達が取り得る行
動は自ずと限られてしまう。
はてさて、どうしたものか・・・。
<続>




