1.絶ぇっ対イヤ!
1.絶ぇっ対イヤ!
まだまだ残暑は厳しい。
長期の休みが終わって、再び学校へ通う日々が戻ってきた。
姚子にとっての、初めての経験ばかりが詰まった忙しない休み期間は、こうして
終わった。
無論、その経験の大部分は、自らの意思によって体現したものではなく、侠兎の
浅薄な言動に端を発して被った貰い事故的なものばかりで、迷惑千万、無理無体、
艱難辛苦だらけだった。
しかしながら、思い返せば、一様にその全てが無意味だったと早計には決め切れ
ず、掛け替えのない貴重な経験の多少も含まれていたのは紛れもない事実だ。
もし一人でいたら、絶対にやってみようとは思わなかっただろうし、幾つかの感
動も決して味わう事はなかっただろう。
侠兎が一緒にいたればこそ、得られたものというのが確実にある。
ただし、その功罪は、比して罪の方がずっと大きい。
その日、午前のみで放課となった姚子は、帰りに少し寄り道し、家に着いたのは
午後2時前くらいだった。
「ただいまー」
「おう、遅いぞ姚子」
「あら侠兎、いたの。
お母さんは?」
「ご近所の奥さん家行った。
昼には帰るんじゃなかったのか、もう飯食っちまったぞ」
「いいよ、自分で作るから」
「なんだその袋、買い物か?」
「ちょっとね」
相も変わらず、侠兎は枢家に入り浸って、のんべんだらりと怠惰な暮らしを続け
ている。
それは、姚子がいようがいまいが基本的に何も変わらない。
リビングでソファに寝っ転がって、ポテトチップスをつまみながら午後の時代劇
に勤しむ。
他にするべき事があるだろうに、いつまで経っても進歩のない奴だ。
まあ、テレビ観賞は別として、きっと天界にいた頃からず~っとこんな自堕落な
生活を繰り返していたのだろうから、それをいきなり正せと言う方が無謀なのか
も知れない。
一日二日で直せるレベルの生活習慣という訳でもないだろうし。
(だから短いスカートでソファの上でゴロゴロするなって、パンツ丸出し)
通学鞄の他に、手に持っていたビニールの包みに興味を示した侠兎を見て、姚子
は、その中身を取り出して見せてやった。
「これ買ってきたの」
「なんだそれ、財布か?」
「財布じゃない、ポシェットよ」
「ポルシェ?」
「どう見たら高級車になる!
財布も入れるけど小物入れよ、肩から提げるの。
どう?、可愛いでしょ。
私には似合わないけどね」
淡いパステル調のオレンジ色でちょっと縦長の、どこかしら猫モチーフっぽさを
想起させる愛らしいデザインのポシェット。
自分が使うには幼過ぎるが、プレゼントするならこれくらいがちょうどいい。
「俺にくれるのか?」
「ざんねん、マリーシャちゃんにあげるんだよ」
「バカマリだと?
あんな奴に何もやるな、勿体にゃあ」
「別にそんなに高い物じゃないし、あんたのスコアブックとかメモ帳とか入れる
のに便利でしょ。
喜んでくれるかなぁ」
「奴等に物の価値なんて分かるみゃいが、タダでくれるんなら何だって喜ぶだろ
うさ」
「あんた、マリーシャちゃんには厳しい物言いばっかりするわね。
個人的に恨みがあるって訳でもないでしょうに」
「あいつはバカだからどうでもいいんだ、アプサラスって存在がどうにも許せん
のだ。
ただのベン子の使いっ走りのくせに、どこ行ってもやたらと偉そうに威張って
ばかりいやがるからな。
虎の威を借る女豹のポーズだ」
「なんで色気を振り撒く。
実際偉いんでしょ、上仙とかなんとかって」
「だが俺よりは下だ、それでも構わず平気で文句言いやんの。
人に苦情を垂れる前にまず礼儀を学べってんだ」
「お前が言うか。
そもそも、あんたの素行の悪さが原因じゃないのよ。
あんたを見てると誰だって文句の一つや二つ言いたくもなるって、まるっきり
自分の事しか考えてないんだもの」
「それのどこが悪い」
「これだもん、こういう人がご近所トラブルとか起こすのよ」
「それ知ってる、泥沼離婚劇ってヤツだろ」
「なんだか知らないけどお昼の情報番組見過ぎ」
「仕方なかろう、ナエちゃんが大好きなんだから」
侠兎はアプサラスを敵対視している。
弁才天に欲情して襲った事で捕縛されてしまったのを、未だに根に持っているか
らだろう。
自業自得のくせに、逆恨みにも程がある。
天界で傍若無人のままに振る舞った侠兎を拘束出来るアプサラスの実力たるや恐
るべしだが、マリーシャがそこに名を連ねる一人という事実もまた信じ難い。
(マリーシャちゃん、可愛いしいい子だと思うんだけどな・・)
とかなんとか、取り留めもなく思いに耽っていると、侠兎がまた唐突に予期せぬ
事を口走り始める。
「まあいい。
夜になったら出かけるからな、勝手に寝るなよ」
「夜?、出かけるってどこ?」
「4丁目の廃屋だ」
「はい?」
「はい?じゃにゃあ、廃屋だ」
「廃屋って・・・、もしかして」
「噂の廃屋だ」
「それってまさか、幽霊・・」
「当たりだ」
「ダメ!
それダメ、絶対ダメ、私行かない」
「無駄だ、拒否は許さん、おみゃあは俺のフォロワーだからな」
「何を発信した!
なんで急にそんな事言い出すの、あんたに関係ないでしょ」
「ナエちゃんに聞いたんだ、不思議な事があるってな」
(お母さん、余計な事まで言ってくれたぁ・・・)
姚子は幽霊が大の苦手だった。
ピーマン、虫、あるいはウニョウニョ動く奴などなど、嫌いな物は数々あれど、
中でも幽霊とかお化けとかの実体のないものは、考えるだけで体が連鎖的に拒絶
反応を示す。
いるのに見えないという理解の範疇を超えた不可解さが面白くない上に、それが
何かしらの悪意を持って存在し徘徊しているというのだから恐ろしくて堪らない。
神様の存在は信じないくせに、幽霊はいると思っている。
霊感を持たないので全く見る事も感じる事も出来ないが、であればこそ、そうし
たものに出会ってしまって呪われたら、祟られたらどうしようという漠然とした
不安が、掴み所がないだけにより一層の恐怖心を煽る。
4丁目の廃屋・・・。
それは、姚子も数日前に母から聞いて知っていた。
母も近所の奥さん達から聞いたのだそうで、そこに出たという幽霊の話である。
今から遡る事およそ1ヶ月前の事。
夏休み中の男子大学生4人組が暇を持て余して退屈している時に、その中の一人
が、この町の4丁目の山麓に朽ちた廃屋があるのを思い出した。
最近ではとんと聞かなくなっていたが、一昔前にはその手の噂もちらほらあった
という廃屋だそうだ。
さっそく肝試しに出かけてみようという話になり、深夜を待って車で向かった。
そして、現地で暫く過ごした帰り道で、車が単独の交通事故を起こしてしまい、
運転手は重傷を負い、残りの3人は帰らぬ人となってしまった。
問題はここからで、病院に担ぎ込まれて一命を取り留めた運転手を務めた学生は、
事情聴取に病室を訪れた警察官に対して、奇妙な事を口にした。
運転中、突然フロントガラスに白い服を着た女性が覆い被さってきたと供述した
のだ。
そのため、驚き慌てて反射的にハンドルを切ってしまい、車は車道を外れて路肩
の斜面を15メートルほど転落して樹木に激突してしまった。
目覚めた時は病院のベッドで、そこで同乗していた3人の友人の死亡を伝えられ
たという。
警察によると、現場は山間に近い細くうねった一本道だった。
付近に民家はなく、物音に気付いて通報した農家でさえ、そこから更に500メ
ートル以上も離れた住宅地にあった。
当然、道には信号もなければ外燈もガードレールもない。
検証の結果、現場には証言のような女性の痕跡は何一つ確認出来なかった。
車の音に驚いて近くの林から飛び出した白サギのような鳥や何かと思ってみたり、
または毛布やシーツのような布樣の物が風に飛ばされてきたかとの想定もしてみ
たが、付近にそのような物も発見されなかった。
学生達には飲酒や薬物使用の反応も出なかったので、幻覚を見たという可能性は
低いながらも、思い違いや記憶障害は事故後にはよくある事だ。
以上の事実から、警察は、スピードの出し過ぎと単純な運転操作ミスによる事故
であると結論付けた。
それでも、運転手の学生は自らの主張を曲げなかった。
それもそのはず、その女性の姿を、彼は既に例の廃屋で一度目撃していたからで
あった。
当時、その事故は地元新聞の記事にもなったらしいのだが、現場は姚子の住む町
からは離れた他県である上に、単なる交通事故として掲載されたので、関係者以
外にはそれほど大きな衝撃とはならなかった。
それが、生存者が警察に語ったという白い服の女性の話が、次第に噂として人伝
に広まり始めた。
廃屋にいた霊が、肝試しに訪れた大学生達に取り憑いて事故を引き起こし、あの
世へと導いたのだと。
噂の発信元は生存者の家族、または亡くなった3人の遺族からだと思われ、新聞
記者もその情報は掴んでいたらしいのだが、さすがに警察も発表せず裏も取れな
い未確認情報を記事には出来なかったようだ。
「バッカみたい、私は絶対行かないからね」
「何をガキみたいに駄々こねてんだ、面白そうじゃにゃあか。
廃屋?、あら素敵、楽しみだわぁ~ってならんのか」
「なるか、変な声真似するな」
「絶対面白いぞ、たぶんだけど」
「だから勝手に行けって。
私は明日も学校あるんだから、そんなのにつき合ってらんないよ。
それに、お化け退治なんかしたってポイント付く訳ないんだから、やったって
無駄だよ」
「誰がそんな事すると言った、俺は退治なんて一言も言っとらんぞ」
「だ、だって・・」
「俺は面白いから行こうと言ったんだ、他に理由なんかにゃあ」
「何が面白いのよ。
そういう事は軽はずみな気持ちでやっちゃいけないんだよ、知らないの?
しかも不法侵入っていう立派な犯罪だし」
「もしかしたらその霊は誰かのスタンドかも知れんじゃにゃあか。
そんなのに出会ったら俺にも発現するかも知れんぞ、これがワクワクせずにい
りゃりょーか」
「バカな事言わないで、てかスタンドって何よ」
「こんなチャンスは滅多ににゃあぞ、みすみす逃してたまるもんか。
昔から言うだろ、ドンブラコ、見送るババアに、福は無し」
「初耳だそんなの、勝手に作るな!」
「チャンスは一度きりだ、手をこまねいてはいかんというありがたい格言だ」
「そんなの格言じゃない、あんたの作ったヘンテコ川柳でしょうが!」
「何をそんなにムキになる、もしかして怖いのか?」
「怖いんじゃない、嫌いなの」
「嫌いだと?、どこが?」
「だから・・、そういうの全般よ」
「なんだか煮え切らん回答だな、もっとはっきり言え」
「だから、肝試しとか・・、肝試しとか肝試しよ」
「肝試しってなんだ?」
「あんたが今からやろうとしてる事よ!」
「へぇーそうなのか・・・。
そうかそうか、そんなに嫌いじゃしょうがにゃあな」
「分かったらもう誘わないでね」
「へいへい、そうですか」
侠兎はヘラヘラしながら、意外にもあっさりと引き下がった。
(イヤだ、それだけは・・・、誰がなんと言おうと絶対行かない)
姚子は堅く心に誓っていた。
はずだったのだが・・・・・・
深夜、自室のベッドで眠っていたはずの姚子は、生温い風に髪が遊ぶのを頬に感
じて目を覚ました。
「あれ?、ここどこ?」
キョトンとしながら周囲を見渡すと、なぜか屋外の道端で、見た事もない家々に
囲まれてアスファルトの路上で横になっていた。
部屋にいたはずなのに、なんでこんな知らない場所にいるのか。
夢の中・・・?
気が付けば、目の前に侠兎が立っている。
「侠兎・・・、なんであんたがここに・・・」
「連れてきてやったぞ」
ニタニタ笑う侠兎。
その横には、ヘタレマッチョ妖怪の不怨鬼が腕組みをして仁王立ちしている。
何がどうなったらこうなるのか、頭が混乱して全く収拾がつかない。
いつまでも理解出来ない姚子を見かねて、侠兎が説明してやる。
「どうせ行こうって言っても嫌がるだろうって思ったからな、おみゃあが寝入る
のを待って便器に運ばせた」
「いやぁ、久々の人間のガールの女体、堪能させていただきました。
我が姫ほどには及びませぬが、姚子さんもなかなかの乳をお持ちで、実に
心地良いものでしたぞ」
「俺の姚子の乳を勝手に揉みやがって、俺だって最近ご無沙汰なんだぞ」
「でしたらお詫びに姫のお宝もマッサージして差し上げますぞ」
「要らんわアホ」
つまり、ここは例の廃屋がある4丁目という事だ。
姚子は寝ている間に無理矢理連れてこられてしまったのだ・・・、体中を触りま
くられながら。
この少し先には、あの幽霊屋敷がおどろおどろしく佇んでいて、餌食となる人間
が訪れるのを口を開けて待っている・・・。
事態を呑み込んだ姚子は著しく狼狽し、血相を変えて侠兎に激しく抗議した。
「な、な、なに勝手してくれんのよ!!」
「文句なら便器に言え」
「あんたのせいでしょ!」
「ここまで来たらじたばた出来にゃあだろ」
「なんであんたはいっつもそんな自分勝手なの!
なんでもっと人の事考えないの、何かあったらどうすんのよ」
「そん時はそん時だ、なんとかなる」
侠兎のあまりの放埒さと適当さに腸が煮えくり返る姚子。
しかしそれも後の祭り、一挙に恐怖が全身を支配した。
心拍が上がり、悪寒が走って鳥肌が立ち、体中がガタガタと震え出して感情が抑
えられなくなる。
「いやだぁ~、帰る~」 びぇ~ん
「今更泣くな、ガキじゃあるみゃいし、近所迷惑だぞ」
「なんでお化け屋敷ぃ~、あんなの壊してぇ~」 ぶびゅぇ~ん
「幼児退行すんな、可愛いじゃにゃあか」
深夜の道端で繰り広げられるアホ騒ぎを知ってか知らずか、そこへ上空からマ
リーシャが舞い降りてきた。
「どうもー、こんばんわですぅ」
「おう、来たかバカマリ」
「人を馬鹿者呼ばわりするのは低レベル人間の証明なのですぅ」
「うるさいわ、せっかく誘ってやったのに文句垂れるな」
「肉まん始めて下さぁい」
「知るか」
「あれ、姚子ちゃん泣いてるんですか?、悪魔に陵辱されたんですかぁ?」
「してにゃあわ」
マリーシャの愛らしい笑顔を見て、姚子はほんの少しだけ落ち着きを取り戻した。
「マリーシャちゃんも来たの?」 グスン
「はいですぅ、バカ悪魔が面白い所へ連れてってやると言うものですから。
でもただの思念霊体ですね、この気配から察するに」
「分かるの?」
「はい、邪心や悪意は感じませんよぉ、これの何が面白いんでしょうかぁ」
「そ、そうだよね、面白くないよね、じゃあ一緒に帰ろう」
「でもせっかくだから見てみたいですぅ」
姚子の淡い希望を即断で断ち切ったマリーシャに呼応して、侠兎は次なる行動を
起こす。
「よし、みんな揃ったから行くとするか、立て姚子」
「だから、私は嫌なんだってば!」
「なら一人で帰れ、俺は知らん」
「そ、そんなぁ~」
「一緒に行くんなら便器とマリーシャを護衛に付けてやる、それなら怖くにゃあ
だろ」
「大丈夫ですよ姚子ちゃん、全然平気ですから一緒に霊体見物しましょう」
「で、でも・・・」
「だったらこれあげますよ、厄災除けのお札でぇす。
不測の事態に備えていつも持ち歩いているものですけど、普通の霊障程度なら
干渉してきても全て排除出来ますよぉ」
「あ、ありがとう」
マリーシャが手渡したのは、見慣れない文字が書かれた一枚の札だった。
こんな紙切れ一枚で何をどうしろと言うんだ。
なんの気安めにもならないではないか。
憤慨し落胆し動揺しながらも、笑顔のマリーシャに手を引かれ促されて、姚子は
ベソをかきつつ渋々立ち上がる。
が、膝がガクガク震えてまともに歩けそうにない。
既に腰が抜けている。
水仙に抱き付きしがみついて、ようやく一歩踏み出せた。
当時としては比較的珍しかったであろう鉄骨造りのその家は、外燈のない道路か
ら横道に入り、更に30~40メートルほど歩いた山の麓に、木々に囲まれてポ
ツンと一軒だけ建っていた。
無人と化して既に数十年は優に経過しているものと思われ、二階建ての一階部分
は周囲を雑草で覆い尽くされている。
下からは、日本の家屋では一般的な傾斜のある瓦屋根が確認出来ず、撤去された
か初めから設えられていないようだ。
構造体がしっかりしているのか、すぐにも朽ち果て崩れ落ちそうな感じには見え
ないが、いかんせん灯りがないので全体像もよく把握出来ない。
長年風雨に曝されどす黒く変色し汚れたコンクリートの外壁は至る所でひび割れ、
一部は剥落して断熱材か何かが露出している。
窓ガラスは悉く失われ、夜風が吹き抜ける度に鈍く低い音が小さく流れ、壁を伝
う蔓草の葉が来客を手招きするかのように揺らめく。
青臭い植物の臭いは、建物の陰に群生するドクダミから発せられるものだろうか。
その異様な佇まいを見ただけで、姚子は卒倒しそうになった。
いる、何かいる、絶対にいる、間違いない、ここには幽霊がいる!
確信を持ってそう思った。
いやいや、そんな事は既にマリーシャが宣言している。
コオロギの鳴く音が、本来は涼やかで風情ある音色と響くはずなのに、なんでこ
んなに薄気味悪く聞こえてしまうのか。
マリーシャに導かれながら、一歩、また一歩と踏み締めるように、震える膝に力
を込めてゆっくりと前へ進む。
そうでしか進めない。
頭から血の気が引いていく音が聞こえるようだ。
姚子の嘗てない冒険が、今始まる。
(お願いだから始めないでェ~)
<続>




