帝国の思惑
統天帝国エテルナ。
大陸最大の国土と軍事力を誇る帝国の中心に、巨大な城がそびえ立っている。その窓には夜更けを迎えても無数の灯りが輝き、城内を行き交う者たちの足が止まることはなかった。
伝令が廊下を駆け抜け、将校たちが険しい表情で言葉を交わす。規則正しく響く軍靴と重い鎧の音が、石造りの廊下へ絶え間なく反響していた。
――王女、追跡不能。
その報告は、すでに城中へ知れ渡っている。
兵士たちは足早に通り過ぎる幹部へ道を譲り、一斉に敬礼した。張り詰めた緊張は、帝国城全体へ伝染している。
誰もが理解していた。
たった一人の王女の存在が、今まさに帝国全体を動かそうとしていることを。
◇
城の最上階にある、帝国中枢の会議室。
中央には黒曜石のような漆黒の長机が置かれ、その上座に三人の局長が並んでいた。
帝国軍を統べる軍務局。
諜報と工作を担う諜報局。
強力な戦闘系異能者を束ねる特務局。
軍勢、情報、個の力。帝国を支える三本の柱が、一堂に会している。
三局長の後方には、部下や側近である数人の男女が立っていた。その中に、黒い眼帯をつけた鋭い目つきの男がいる。
日御子を襲った男――パルパティーンだった。
「失敗したそうだな、パルパティーン」
最初に口を開いたのは、軍務局局長のアルベルトだった。
軍服に身を包んだ壮年の男で、鍛え上げられた体躯と鋭い眼光は、歴戦の将軍そのものだった。椅子へ腰掛けたまま僅かに身を乗り出し、壁際のパルパティーンを睨みつけている。
「王女は生きている」
パルパティーンの返答は短かった。
アルベルトの眉間に深い皺が刻まれる。
「だから命令した。発見次第、始末しろとな」
パルパティーンは悪びれることなく肩を竦めた。
「邪魔が入った。革命の設計者がいた」
「……何?」
アルベルトは、聞き間違いを疑うようにパルパティーンを見た。
「なぜ奴が、そこにいた」
「知らん。途中から現れた」
王女と革命の設計者に接点があるという報告は、これまで一度も上がっていない。
アルベルトはしばらく言葉を失い、やがて額を押さえた。
「最悪だ」
ふと壁際へ視線を向けた。その先には、彼の部下である青年が静かに控えていた。
すぐにパルパティーンへ視線を戻したアルベルトの声には、苛立ちだけでなく、明確な危機感が滲んでいた。
「《王域》だけなら、さほどの脅威ではない。だが、《理想国家》と組まれるとなれば話が変わる」
アルベルトの拳に力が籠もる。
「軍が死ぬ」
低い声が会議室へ響いた。
「前線が死ぬ。そして、優秀な兵から死んでいく」
帝国軍の頂点に立つアルベルトだからこそ、その危険性を誰よりも正確に理解していた。
アルベルトはパルパティーンを睨みつける。
「王女は殺せ。今度こそ、確実にな」
「私は反対です」
長机の向かい側から、穏やかな声が返ってきた。
諜報局局長、リリアナ。
銀色の髪を持つ女性は、椅子へ静かに腰掛け、柔らかな微笑みを浮かべている。一見すれば優しげだが、その瞳は感情に揺れることなく、冷静にアルベルトを見つめていた。
「理由は?」
「まだ利用価値があります。王女には、果たしてもらわなければならない役目が残っています」
「不要だ」
「必要です。まだ鍵が揃っていませんから」
リリアナは微笑みを崩さない。
「父親の件も残っています」
アルベルトの目が僅かに細くなった。
「まだ諦めていないのか」
「当然です」
穏やかな声の奥に、決して譲らない意志があった。
「天帝陛下の宿願ですから」
その一言で、会議室の空気が変わった。
天帝。
その存在だけは、帝国において別格だった。
軍務局も、諜報局も、特務局も、全ては天帝のために動く。それが、統天帝国エテルナという国だった。
「計画のために、危険を放置するつもりか」
「危険を冒してでも、利用する価値があります」
「危険だから、殺すべきだと言っている」
二人の主張は平行線を辿る。
その時、窓際から場違いな欠伸が聞こえた。
「どっちでもいいだろ」
声を上げたのは、特務局局長だった。
長い黒髪の男は、重厚な椅子へだらしなく身体を預けている。帝国の命運に関わる会議だというのに、その姿からは欠片ほどのやる気も感じられない。
「殺してもいいし、生かしてもいい。面白い方にすればいいだろ」
アルベルトが呆れたように天井を仰ぎ、リリアナも小さくため息を吐いた。
この男は国家にも政治にも興味がない。関心を向けるのは、ただ強者だけだった。
「今回の暗殺を部下に許可したのは、お前だろう」
アルベルトが問うと、特務局局長は気のない様子で頷いた。
「面白そうだったからな」
その視線が、壁際のパルパティーンへ向く。
「おい」
「何だ」
「楽しかったか?」
パルパティーンは少し考えてから答えた。
「そこそこだった」
特務局局長は満足そうに笑う。
「なら良かった」
アルベルトは、本気で頭痛を堪えるように額を押さえた。
それ以上議論を重ねても、結論は出なかった。
王女を殺すか、利用するか。最終的な決定は、天帝の意向に委ねられる。その一点だけは、誰にも覆すことができない。
やがてアルベルトが、苛立ちを隠さず立ち上がった。
押し退けられた椅子が、重い音を立てる。
「好きにしろ」
吐き捨てるように言い残し、扉へ向かう。
そのまま会議室を出るかと思われたが、アルベルトは扉の前で足を止めた。
振り返った鋭い視線が、最初にリリアナを、続いてパルパティーンを捉える。
「次は、私が動く」
低い声だった。
その一言だけで、会議室の空気が再び張り詰める。
アルベルトが、部下ではなく自ら動く。その意味を理解できない者は、この場に一人もいなかった。
【第十話 リリアナ】へ続く




