リリアナ
重い扉が閉じ、アルベルトの足音が遠ざかっていく。
会議室には、張り詰めた静寂と、軍務局局長が最後まで隠そうともしなかった苛立ちの余韻が残っていた。
「じゃあ、俺も帰るわ」
気怠そうな声とともに、特務局局長が椅子から立ち上がった。大きく伸びをしてから欠伸をする姿は、帝国最高幹部とは思えないほど緊張感に欠けている。
リリアナが眉をひそめた。
「まだ会議は終わっていませんよ」
「終わっただろ。王女は生きていて、殺すか生かすかで揉めた挙げ句、結論は出なかった」
特務局局長は肩を竦める。
「ほら、もう話すことがない。俺の仕事は終わりだ」
理屈としては間違っていないため、誰も反論できなかった。
◇
「パルパティーン」
「何だ」
「帰るぞ」
声を掛けられたパルパティーンは、壁際に立ったまま首を振った。
「俺は残る」
「真面目か」
「お前が不真面目すぎるだけだ」
「それもそうだな」
特務局局長は楽しそうに笑うと、そのまま扉へ向かった。
「じゃあな。次は、もっと面白い仕事を持ってこい」
誰に向けた言葉なのかも分からないまま、会議室を出ていく。
それを合図に、会議へ同席していた他の者たちも相次いで退室した。扉が再び閉じると、広い会議室にはリリアナとパルパティーンだけが残された。
◇
二人の付き合いは長い。
互いに幼い頃から知っているからこそ、リリアナが嘘をついている時も、何かに迷っている時も、パルパティーンには分かった。
他人には見えない僅かな変化まで、彼だけは見抜くことができた。
「あなたにお願いがあります」
リリアナは柔らかな微笑みを消し、真剣な眼差しをパルパティーンへ向けた。
「王女は、必ず生きたまま連れ帰ってください」
迷いのない声だった。
パルパティーンは僅かに眉をひそめる。
「本気で言っているのか」
「もちろんです」
予想どおりの即答だった。
だからこそ、気に入らない。
「あなたなら、王女を殺せたはずです」
パルパティーンは面倒そうに視線を逸らした。
「革命の設計者がいた」
「それは理由になりません。あなたに限っては」
リリアナは断言した。
長い付き合いだから分かっている。パルパティーンは、その程度の妨害で標的を諦める男ではない。
「そうかもな」
パルパティーンも否定しなかった。
リリアナはしばらく彼の横顔を見つめ、やがて静かに尋ねた。
「では、なぜ殺さなかったのですか?」
パルパティーンは答えず、窓の外へ視線を向けた。
眼下には、帝都を埋め尽くす無数の灯りが広がっている。
王女を殺すこと自体は難しくなかった。彼女はパルパティーンより遥かに弱く、援軍が現れたところで、その気になれば任務を続けることはできた。
命令どおり王女を殺せば、リリアナが進めている計画も終わる。
その方がいいと思った。
だが、本当にそれでいいのか、パルパティーンには分からなかった。
最近のリリアナはおかしい。特に天帝の話になると、何かに取り憑かれたように、あるいは縋りつくように、その命令へ従おうとする。
リリアナは、少しずつ変わってしまった。
王女を殺し、計画ごと終わらせるべきなのか。
それとも、リリアナが望むまま、計画を成し遂げさせるべきなのか。
答えが出ないまま、革命の設計者が現れた。
任務を中断するには、あまりにも都合のいい相手だった。
考えなくて済む。
どちらかを選ばなくて済む。
「都合が良かった」
パルパティーンが小さく呟いた。
「都合?」
「撤退する理由ができた。それだけだ」
リリアナは目を細め、僅かに笑った。
「変な人ですね。あなたは昔から、そういうところがあります」
「お前にだけは言われたくない」
パルパティーンは鼻で笑った。
◇
「お前は最近、おかしい」
パルパティーンが表情を改めると、リリアナは不思議そうに首を傾げた。
「そうでしょうか?」
「陛下の話になると、特にな」
数秒の沈黙が流れた。
それでも、リリアナは微笑みを崩さなかった。
「当然ではありませんか」
「当然じゃない。昔のお前は違った」
リリアナの笑みが、僅かに薄くなる。
「人は変わるものです」
「変わりすぎだ」
静かな声だった。
怒鳴っているわけでも、責め立てているわけでもない。それでも、その言葉には長い年月をともに過ごした者にしか持ち得ない重さがあった。
「王女を殺せば終わる」
パルパティーンが言った。
「終わりません」
「終わるさ」
「終わりません」
リリアナの返答には、迷いがなかった。
パルパティーンは目を閉じ、小さく呟く。
「お前が終われる」
リリアナの表情に、初めて困惑が浮かんだ。
「意味が分かりません」
「だろうな」
パルパティーンは苦笑した。
昔から、リリアナは他人の心の動きにはよく気がつく。それなのに、自分自身のことだけは何も分かっていない。
◇
やがてリリアナは、小さく息を吐いた。
「話は終わりです。私はまだ仕事がありますので」
「そうか」
パルパティーンは、それ以上何も言わなかった。
何を言ったところで、今のリリアナは変わらない。それを誰よりも理解していた。
リリアナが指を鳴らす。
合図を受けたように扉が開き、一人の青年が会議室へ入ってきた。
名はユリウス。
リリアナの側近を務めている男だった。
穏やかな笑みを浮かべた、優しそうな顔立ち。一見すれば、どこにでもいそうな青年にしか見えない。
しかし、その姿には言葉で説明できない違和感があった。
パルパティーンは僅かに眉をひそめる。
(こいつは気に入らない)
昔から、どうにも好きになれない男だった。
◇
「お呼びでしょうか」
ユリウスが穏やかな笑みを浮かべる。
「例の件です。経過を聞かせてください」
「こちらをご確認ください」
差し出された書類へ目を通し、リリアナは満足そうに頷いた。
「問題ありません。引き続きお願いします」
「承知いたしました」
ユリウスが恭しく頭を下げる。
二人のやり取りを眺めながら、パルパティーンは静かに眉を寄せた。
相変わらず、何を考えているのか読めない男だった。
◇
「失礼いたします」
ユリウスが退室し、扉が閉じる。
再び静寂に包まれた会議室で、パルパティーンはリリアナへ目を向けた。
「あいつを信用しているんだな」
「優秀な部下ですから」
「そうか」
短く答え、それ以上は追及しなかった。
窓の外では、帝都の灯りが夜の闇を照らしていた。
リリアナは、その光へ魅入られたように見つめ続けている。
パルパティーンは、そんな彼女の横顔から目を離せなかった。
昔とは変わってしまった横顔。
誰よりも長くリリアナを知っているからこそ、分かってしまう。
彼女は少しずつ、確実に壊れ始めている。
だが、本人だけは何も気づいていない。
それが何よりも厄介だった。
◇
翌日。
帝城の最奥に位置する謁見の間は、物音一つない静寂に包まれていた。
玉座には、一人の男が座っている。
窓から差し込む光を背負い、その表情は影に隠れて見えない。
リリアナは玉座の前まで進むと、迷うことなく跪いた。
その頬は僅かに紅潮し、恍惚とした笑みが浮かんでいる。
「ご報告申し上げます」
声が微かに震えていた。
恐怖ではない。
歓喜だった。
「計画は、順調に進行しております」
玉座の男は、しばらく何も答えなかった。
やがて静かな声が、広い謁見の間へ響く。
「……まだ目覚めぬか」
「はい」
リリアナはさらに深く頭を下げた。
「ですが、ご安心ください。全ては計画どおりに進んでおります」
男は何も答えなかった。
やがてリリアナは立ち上がり、満足そうな笑みを浮かべたまま謁見の間を後にした。
重い扉が閉じ、再び静寂が訪れる。
玉座の男は、窓の外へ視線を向けた。
「まだ……間に合う」
天帝は静かに目を閉じた。
「それまでに……」
その先を口にすることなく、光の届かない玉座で、天帝は再び深い沈黙へ沈んでいった。
【第十一話 はじめまして】へ続く




