仲間たち
翌朝。
日御子は館の廊下を歩いていた。
昨日は疲れてそのまま眠ってしまった。
目が覚めても不思議な感覚は消えていない。
どこからともなく、小さな黒い影が駆けてきた。
「にゃあ」
黒猫だった。
一直線に日御子の足元まで来ると、当然のように身体を擦り寄せる。
「どちらに行ってましたの?」
しゃがんで頭を撫でる。
黒猫は満足そうに喉を鳴らした。
尻尾が機嫌良さそうに左右に揺れていた。
「お散歩中ですの?」
返事の代わりに、くるりと踵を返す。
『早く来い』と言わんばかりに少し歩いては振り返る。
「分かりました」
日御子は口元を緩めながら、後を追いかけた。
◇
外から大きな音が聞こえた。
ドゴン。
何かが壊れる音だった。
日御子は思わず足を止め。
音のした方へ向かう。
そこは訓練場だった。
やはりというべきか。
壁が燃えていた。
「何をしていますの?」
日御子は呆れた。
アイザックがいた。
「訓練に決まってんだろ」
「壁が燃えていますけど」
「これは事故ってやつだ」
「事故ではありませんの」
明らかに確信犯だった。
◇
「またですか」
ふぉろんたいごだった。
額を押さえている。
「修理費いくらかかると思ってるんですか」
「え、そんなの分かんないっす」
「分かってください」
「ふぉろさん、細けーっすよ」
「細かくありません」
本気で頭を抱えていた。
アイザックは肩を竦める。
「俺には無理なんすよね」
「何がですか?」
「金の管理」
そりゃそうだ、と言いたげだった。
「ふぉろんさんがいなかったらNKJとっくに終わってましたよ」
「なのでちょっと尊敬してるっす」
「その気持ちがあるなら少しは反省してください」
ふぉろんたいごは深々とため息を吐いた。
◇
近くで遊んでいた子供達が駆け寄ってくる。
「あいざっくー!」
「見て見て!」
小さな木剣を掲げている。
アイザックは面倒そうな顔をした。
「何だよ」
「勝った!」
「そうか」
「褒めろ!」
「偉い偉い」
棒読みだった。
だが。
子供達は嬉しそうだった。
「優しいですの」
日御子が言う。
アイザックは顔をしかめた。
「違ぇし!」
「そうですの?」
「ガキ共が勝手に寄ってくるだけだ」
そう言いながら。
木箱の中から焼き芋を取り出す。
子供達へ放り投げた。
歓声が上がる。
日御子はその様子をじっと見つめる。
「私には……」
「……私の分はありませんの?」
アイザックは半ば呆れ顔で。
面倒そうに頭を掻いた。
「しゃあねーな」
木箱からもう一つ焼き芋を取り出す。
軽く放り投げた。
日御子は慌てて受け取る。
「ありがとうございます」
「でもガキんちょと同じ扱いですの」
「似たようなもんだろ」
日御子は熱々の焼き芋を頬張った。
「不本意ですの」
それでも美味しそうに食べていた。
◇
お腹が膨れ。
散歩がてら裏庭へ向かってみた。
そこにはもりやんがいた。
地面へ手を置いている。
「何をしていますの?」
「畑」
短い返事だった。
次の瞬間。
土が盛り上がる。
畝が出来る。
石が動く。
水路まで完成する。
日御子は目を見開いた。
「便利ですの」
「うん」
もりやんは頷いた。
さらに。
館の壁近くの木に近付く。
地面に手を触れる。
木の生えている地面がうごめき。
窓を突き破りそうな枝が壁から離れた。
「それも異能ですの?」
「そう」
「凄いですの」
「便利」
どうやら心の底からそう思っているらしかった。
◇
「昔は嫌いだった」
珍しく。
もりやんから話した。
日御子は少し驚く。
「そうなんですの?」
「子供の頃」
もりやんは壁を見る。
「気付いたら家壊してた」
日御子は思わず黙った。
「怒られた」
「それは怒られますの」
「でも今は好き」
もりやんは静かに言う。
「作れるから」
その言葉に。
日御子は少しだけ考えた。
壊す力。
作る力。
同じ能力でも。
使い方で意味は変わる。
「私の能力は物を見通す力ですの」
「便利そう」
「物を見通せてもお腹は膨れませんの」
「畑が作れたら、食べ物に困りませんの」
「畑は大事」
もりやんがクスッと笑った。
◇
裏庭を離れようとした時だった。
汗だくの青年が木剣を担いで走っていた。
すれ違ったふぉろんたいごが呆れたように言う。
「また走ってるんですか」
青年は笑って手を振った。
妙に活気のある組織だ。
みんな好き好きに活動している。
◇
昼過ぎ。
日御子は資料室へ来ていた。
昨日見つけた場所だ。
壁一面の本棚。
地図や報告書が整然と並んでいる。
紙の匂いが漂う静かな空間だった。
日御子の目が輝く。
「素晴らしいですの……」
ポリアンナが一歩下がる。
「ごゆっくりどうぞ」
日御子はもう聞いていなかった。
◇
数時間後。
黒猫が呆れたように欠伸をした。
日御子は地図を読んでいた。
幸せだった。
ニヤニヤが止まらない。
「えっ、この年代の街道地図ですの!?」
「この建物配置は面白いですの」
「……」
「補給効率も悪くありませんの」
「……にゃ」
黒猫は全く興味がなかった。
◇
ふと。
一冊の帳簿が目に入った。
古い資料。
ヒノモト王国。
戦争記録。
行政記録。
食糧管理記録。
自然と手が伸びる。
故郷の資料だった。
ページを開く。
何気なく読む。
そして。
日御子の手が止まった。
(……?)
食糧配給記録。
戦争初期。
配給率100パーセント。
戦争五年目。
80パーセント。
戦争十年目。
65パーセント。
ここまでは理解できる。
問題はその先だった。
民間配給率。
65パーセント。
軍配給率。
65パーセント。
貴族配給率。
65パーセント。
王族配給率。
65パーセント。
日御子は目を瞬いた。
もう一度見る。
間違いない。
同じだった。
(そんなはずは……)
暴君だったはずだ。
民を苦しめた王だったはずだ。
なのに。
(なぜ一律で削減してるんですの?)
説明できない違和感。
指先が、微かに震えていた。
胸の奥がざわつく。
数字が噛み合わない理由が分からない。
◇
その時だった。
急に頭が痛んだ。
ズキリ。
鋭い痛み。
思わず額を押さえる。
「っ……」
最近増えている。
この頭痛。
三年ほど前からだ。
そして年々悪化している。
◇
「大丈夫ですか?」
声がした。
ポリアンナだった。
いつの間にか後ろに立っていた。
「突然でびっくりしますの」
「すみません」
全く悪びれていなかった。
ポリアンナは資料を覗き込んだ。
「面白い資料でもありましたか?」
日御子は慌ててポリアンナの視線を逸らした。
「変わった資料ならありますの」
日御子は一枚の紙を持ち上げる。
「ほら」
「血液型の統計資料ですの」
ポリアンナが覗き込んだ。
「S型の資料ですか」
「ええ」
日御子は頷く。
「珍しい血液型ですの」
S型。
世界中で知られている希少な血液型だ。
その割合は一万人に一人。
存在だけなら誰でも知っている。
だが。
実際に出会った事のある人間は少ない。
「実は私、S型なんですよ」
ポリアンナはどこか自慢げに言った。
今度は日御子が目を丸くする。
「本当ですの?」
「ええ」
「父もS型でしたわ」
「えっ!」
今度はポリアンナが目を瞬いた。
珍しく驚いた顔を見せる。
「それは珍しいですね」
「そうですの?」
「ええ」
ポリアンナは頷いた。
「文献によると、昔はもう少し居たらしいんですが」
「今ではS型同士で出会う事はほとんどありませんから」
奇妙な偶然だった。
ポリアンナは苦笑した。
「珍しい血液型だと言われる割に、私の村には数人いましたが」
「外では会った事がありません」
「だから少し驚きました」
「私もですの」
日御子は笑みが溢れた。
そして
ふと遠くを見る。
その笑みはどこか寂しそうだった。
ポリアンナは静かにその表情を見つめた。
何も聞かなかった。
理由も。
事情も。
過去も。
(本人が話したくなった時に話せばいい)
そう決めていた。
◇
「お邪魔をしましたね」
ポリアンナは微笑む。
「別に構いませんの」
「ごゆっくりどうぞ」
そう言って資料室を後にした。
日御子はその背中を見送る。
不思議な人だった。
聞きたい事は沢山あるはずなのに。
何も聞いてこない。
まるで。
自分が話すのを待っているかのように。
◇
その夜。
客室。
日御子は眠れずにいた。
机の上には昼間読んだ資料。
何度見ても数字は変わらない。
それなのに。
胸の奥の違和感だけが大きくなる。
「どうして……」
思わず漏れる。
その瞬間。
胸が痛んだ。
理由は分からない。
暴君だった。
憎むべき相手だった。
それなのに。
なぜだろう。
その顔を思い出そうとすると。
悲しい気持ちになる。
黒猫は何も言わず、静かにベッドへ飛び乗った。
慣れた様子で日御子の隣へ身体を丸める。
日御子もまた、何も言わなかった。
黒猫が静かに目を開く。
金色の瞳が月明かりを映した。
まるで。
その答えを知っているかのように。
【第九話 帝国の思惑】へ続く




